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ひずみ (化学)
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[[化学]]において、[[分子]]は、その[[化学構造]]がひずみの無い基準化合物と比較してその[[内部エネルギー]]を上昇するようなある種の[[応力]]を受けた時に'''ひずみ'''({{lang-en-short|Strain}})を受ける。分子の内部エネルギーはその内部に蓄えられる全ての[[エネルギー]]から成る。ひずんだ分子は、ひずんでいない分子が持っていない追加の内部エネルギーを持っている。この追加の内部エネルギー([[ひずみエネルギー]])は{{仮リンク|圧縮 (物理学)|en|Compression (physics)|label=圧縮}}された[[ばね]]に例えることができる<ref name="Anslyn">Anslyn and Dougherty, ''Modern Physical Organic Chemistry'', University Science Books, 2006, {{ISBN2|978-1-891389-31-3}}</ref>。圧縮されたばねがその[[ポテンシャルエネルギー]]の放出するのを妨げるために適切な位置で保持しなければならないのと同じように、分子は分子内の結合によってエネルギー的に好ましくない配座に保持されうる。配座を適切な位置で支える結合がなければ、ひずみエネルギーは解放される。 ==概要== ===熱力学=== 2つの[[立体配座|分子配座]]の[[化学平衡|平衡]]は2つの配座の{{仮リンク|ギブズの自由エネルギー|en|Gibbs free energy|preserve=1}}における差によって決定される。このエネルギー差から、2つの配座に対する[[平衡定数]]を決定できる。 :<math>\ln K_{eq}=-\frac{\Delta {G^o}}{RT}\,</math> ある状態から別の状態へギブズの自由エネルギーが減少するならば、この変換は{{仮リンク|自発的過程|en|Spontaneous process|label=自発的}}であり、より低いエネルギー状態がより安定である。高度にひずんだ、より高いエネルギーを持つ分子配座は自発的により低いエネルギーの分子配座へと変換する。 [[File:Anti and Gauche Butane.png|thumb|right|upright=1.2|alt=Examples of the anti and gauche conformations of butane.|ブタンのアンチおよびゴーシュ配座の例]] [[エンタルピー]]および[[エントロピー]]は(一定[[温度]]において)以下の式によってギブズの自由エネルギーと関連している。 :<math>\Delta{G^o}=\Delta{H^o}-T\Delta{S^o}\,.</math> エンタルピーが通常は、より安定な分子配座を決定するためにより重要な熱力学的関数である<ref name="Anslyn"/>。ひずみには複数の異なる種類が存在するものの、それら全てに関連するひずみエネルギーは分子内の結合が弱くなることが原因である。エンタルピーが通常はより重要であるため、エントロピーはしばしば無視することができる<ref name="Anslyn"/>。これが常に当てはまる訳ではない。エンタルピーの差が小さければ、エントロピーが平衡に関してより大きな影響を持ちうる。例えば、[[ブタン|''n''-ブタン]]は{{仮リンク|アルカンの立体化学|en|Alkane stereochemistry|label=アンチとゴーシュ}}の2つの可能な配座を持つ。アンチ配座の方が0.9 kcal/mol安定である<ref name="Anslyn"/>。室温では、ブタンはおおよそ82%がアンチ形、18%がゴーシュ形であると予測できる。しかしながら、ゴーシュ形には2種類あるのに対してアンチ形は1種類しか存在しない。したがって、エントロピーは、ゴーシュ配座が有利となる方に0.4 kcal/molの寄与をする<ref name="Coxon">Coxon and Norman, ''Principles of Organic Synthesis'', 3rd ed., Blackie Academic & Pro., 1993, {{ISBN2|978-0-7514-0126-4}}</ref>。その結果、室温におけるブタンの実際の配座分布は70%がアンチ形、30%がゴーシュ形である。 ===分子のひずみの決定=== [[File:Cyclohexane and methylcyclopentane.png|thumb|left|upright=1.4|alt=Images of cyclohexane and methylcyclopentane.|シクロヘキサンとメチルシクロペンタンの化学構造式。]] [[化合物]]の[[生成熱]](ΔH<sub>f</sub><sup>o</sup>)は、それぞれ分かれた元素からその化合物が形成された時のエンタルピー変化として記述される<ref name="Levine">Levine, ''Physical Chemistry'', 5th ed., McGraw-Hill, 2002, {{ISBN2|978-0-07-253495-5}}</ref>。化合物に対する生成熱が予測または基準化合物と異なる時、この差はしばしばひずみが原因である。例えば、[[シクロヘキサン]]のΔH<sub>f</sub><sup>o</sup>が−29.9 kcal/molであるのに対して、[[メチルシクロペンタン]]のΔH<sub>f</sub><sup>o</sup>は−25.5 kcal/molである<ref name="Anslyn"/>。同じ原子と結合の数を持つにもかかわらず、メチルシクロペンタンはシクロヘキサンよりもエネルギー的に高い。このエネルギー差は、シクロヘキサンでは見られない5員環の[[環ひずみ]]に起因する。実験的には、ひずみエネルギーは、簡単に実験することができる[[燃焼熱]]を用いてしばしば決定される。 分子内のひずみエネルギーの決定は、ひずみなしでの予測される内部エネルギーの知識を必要とする。これを行うためには2つのやり方がある。一つ目は、前述したシクロヘキサンとメチルシクロペンタンの例のように、ひずみを持たない類似化合物と比較する方法である。不運なことに、適した化合物を得るのは困難なことが多い。別の方法は、{{仮リンク|ベンソン法|en|Benson group increment theory|label=ベンソンの加性則}}を用いる。化合物内の原子について適切なグループ・インクリメントが利用可能な限り、ΔH<sub>f</sub><sup>o</sup>の推算が可能である。実験的なΔH<sub>f</sub><sup>o</sup>と予測されたΔH<sub>f</sub><sup>o</sup>が異なるとすると、このエネルギー差はひずみエネルギーに帰することができる。 ==ひずみの種類== ===ファンデルワールスひずみ=== {{Main article|w:Van der Waals strain}} {{仮リンク|ファンデルワールスひずみ|en|Van der Waals strain}}(立体ひずみ)は、原子がそれらの[[ファンデルワールス半径]]が許容するよりも接近せざるをえない時に起こる。具体的には、ファンデルワールスひずみは、相互作用している原子同士が互いに少なくとも4結合離れている時のひずみの形式であると考えられる<ref name="Brown">Brown, Foote, and Iverson, ''Organic Chemistry'', 4th ed., Brooks/Cole, 2005, {{ISBN2|978-0-534-46773-9}}</ref>。類似分子における立体ひずみの量は相互作用する基の大きさに依存する。嵩高い''tert''-ブチル基は[[メチル基]]よりも大きな空間を占め、しばしばより大きな立体相互作用を受ける。 トリアルキルアミンと[[トリメチルボラン]]との反応における立体ひずみの効果は[[ハーバート・ブラウン|ブラウン]]らによって研究された<ref name=BrownandJohannesen>{{Cite journal | title = Dissociation of the Addition Compounds of Trimethlboron with n-Butyl- and Neopentyldimethylamines; Interaction of Trimethylboron and Boron Trifluoride with highly hindered bases | journal = [[J. Am. Chem. Soc.]] | year = 1952 | volume = 75 | pages = 16–20 | doi = 10.1021/ja01097a005 | author1 = Brown, H.C. | author2 = Johannesen, R.B.}}</ref>。ブラウンらは、アミン上のアルキル基の大きさが増大するにつれて、平衡定数も同様に低下することを見出した。平衡の変化は、アミンのアルキル基とホウ素上のメチル基との間の立体ひずみが原因であるとされた。 [[File:alkylamine.png|thumb|center|upright=1.8|alt=Reaction of trialkylamines and trimethylboron.|トリアルキルアミンとトリメチルボランの反応]] ====''syn''-ペンタンひずみ==== {{Main article|syn-ペンタン相互作用}} [[File:Syn-pentane interaction.svg|thumb|400px]] 一見同一の配座のひずみエネルギーが等しくない状況が存在する。[[syn-ペンタン相互作用|''syn''-ペンタンひずみ]]がこの状況の一例である。[[ペンタン|''n''-ペンタン]]の真ん中の2つの結合をゴーシュ配座にするやり方には2種類があり、一方はもう一方よりもエネルギー的に3 kcal/mol高い<ref name="Anslyn"/>。2つのメチル置換された結合がアンチからゴーシュへと逆方向に回転した時、分子は2つの末端メチル基が近接する[[シクロペンタン]]様の配座を取る。結合が同一方向に回転するとすると、これは起こらない。2つの末端メチル基環のひずみエネルギーが、2つの似た、しかし非常に異なる配座間のエネルギー差の主な原因である。 ====アリルひずみ==== {{Main article|アリル歪み}} [[File:allyl2.png|thumb|right|upright=1.0|alt=Allylic methyl and ethyl groups are close together.|アリル位のメチル基とエチル基が近接している。]] アリルひずみ(A<sup>1,3</sup>ひずみ)は、''syn''-ペンタンひずみと密接に関連している。[[アリル]]ひずみの一例は[[2-ペンテン]]で見ることができる。[[オレフィン]]の[[エチル基|エチル]]置換基は、オレフィンの[[ビシナル]]メチル基と近接するように末端メチル基を回転することが可能である。これらの種類の化合物は通常、置換基間の立体ひずみを避けるためにより直線状の配座を取る<ref name="Anslyn"/>。 ====1,3-ジアキシアルひずみ==== {{Main article|シクロヘキサンの立体配座}} 1.3-ジアキシアルひずみは''syn''-ペンタンひずみと似た種類のひずみである。この場合、ひずみはシクロヘキサン環上の置換基('α')と、置換基の置換位置から2結合離れた2つの[[メチレン]]基(このため、1,3-ジアキシアル相互作用と呼ばれる)との間の立体ひずみによって起こる。置換基が[[アキシアル]]位の時、置換基はアキシアル位にあるγ水素原子と近づく。ひずみの量は置換基の大きさに大きく依存し、置換基が[[エクアトリアル]]位に位置する主要ないす形配座をとることによって解放することができる。配座間のエネルギー差は{{仮リンク|A値|en|A value}}と呼ばれ、多くの異なる置換基についてよく知られている。A値は熱力学的パラメータであり、[[ギブズの自由エネルギー]]式を用いる手法に沿って元々測定された。一例として、シクロヘキサノン/シクロヘキサノールのアキシアル対エクアトリアル値(0.7 kcal/mol)の測定についての[[メールワイン・ポンドルフ・バーレー還元]]/[[オッペナウアー酸化]]平衡がある<ref>{{cite book|author=Eliel, E. L., Wilen, S. H.|title= The Stereochemistry of Organic Compounds|publisher=Wiley-Interscience|year= 1994|isbn=978-0-471-01670-0}}</ref>。 ===ねじれひずみ=== {{further information|アルカンの立体化学}} '''ねじれひずみ'''(torsional strain)は結合のねじりに対する抵抗である。環状分子では、'''{{仮リンク|ピッツァーひずみ|de|Pitzer-Spannung}}'''とも呼ばれる。 ねじれひずみは、3結合によって隔てられてた原子がより安定な[[ねじれ形配座]]の代わりに[[重なり形配座]]に置かれた時に起こる。[[エタン]]のねじれ形配座間の回転障壁は約2.9 kcal/molである<ref name="Anslyn"/>。当初は、この回転障壁はビシナル水素原子間の立体相互作用によるものであると考えられていたが、水素原子のファンデルワールス半径はこれが当てはまるには小さ過ぎる。近年の[[自然結合軌道]](NBO)を用いた研究では、ねじれ形配座がより安定なのは[[超共役|超共役効果]]によるものであることが示されている<ref name=Weinhold>{{Cite journal | title = Chemistry: A New Twist on Molecular Shape | journal = [[Nature (journal)|Nature]] | year = 2001 | volume = 411 | issue = 6837 | pages = 539–541 | doi = 10.1038/35079225 | author1 = Weinhold, F. | pmid=11385553}}</ref>。ねじれ形配座から離れる回転はこの安定化力によって妨げられる。しかしながら超共役による説明は化学コミュニティーで多数派を占めている訳ではなく、[[分子軌道法]]<ref>{{cite journal | last1 = Bickelhaupt | first1 = F.M. | last2 = Baerends | year = 2003 | title = The case for steric repulsion causing the staggered conformation of ethane. | url = | journal = Angew. Chem. Int. Ed. | volume = 42 | issue = | pages = 4183–4188 | doi=10.1002/anie.200350947}}</ref>や[[原子価結合法]]<ref>{{cite journal | last1 = Mo | first1 = Y.R. | display-authors = etal | year = 2004 | title = The magnitude of hyperconjugation in ethane: A perspective from ab initio valence bond theory | url = | journal = Angew. Chem. Int. Ed. | volume = 43 | issue = | pages = 1986–1990 | doi=10.1002/anie.200352931}}</ref>を用いた解析では依然、超共役ではなく([[パウリの排他原理]]による)立体反発による寄与が支配的であるとされる。 ブタンといったより複雑な分子は2つ以上のねじれ形配座をとることができる。ブタンのアンチ配座はゴーシュ配座よりも約0.9 kcal/mol(3.8 kJ/mol)安定である<ref name="Anslyn"/>。これらのねじれ形配座はどちらも重なり形配座よりも安定である。エタンにおいて見られるような超共役効果の代わりに、ブタンにおけるひずみエネルギーはメチル基間の立体相互作用とこれらの相互作用によって引き起こされる[[角ひずみ]]の両方が原因である。 ===環ひずみ=== {{Main article|環ひずみ}} 分子構造の[[VSEPR理論]]によれば、分子の望ましい幾何配置は結合性電子と非結合性電子が可能な限り離れるような配置である。分子において、これらの角度が最適値と比較して幾らか圧縮または拡張されることは非常にありふれたことである。このひずみは角ひずみまたはバイヤーひずみと呼ばれる<ref name=Wiberg>{{Cite journal | title = The Concept of Strain in Organic Chemistry | journal = [[Angew. Chem. Int. Ed. Engl.]] | year = 1986 | volume = 25 | pages = 312–322 | doi = 10.1002/anie.198603121 | author1 = Wiberg, K. | issue = 4}}</ref>。角ひずみの最も単純な例はシクロプロパンやシクロブタンといった小さなシクロアルカンでる。そのうえ、解消することができない環形の重なり配座もしばしば存在する。 {|class=wikitable |+一般的なシクロアルカンのひずみ<ref name="Anslyn"/> |- ! 環の大きさ ! ひずみエネルギー (kcal/mol) ! rowspan=8 | ! 環の大きさ !ひずみエネルギー (kcal/mol) |- |3 |27.5 |10 |12.4 |- |4 |26.3 |11 |11.3 |- |5 |6.2 |12 |4.1 |- |6 |0.1 |13 |5.2 |- |7 |6.2 |14 |1.9 |- |8 |9.7 |15 |1.9 |- |9 |12.6 |16 |2.0 |} 原理上は、角ひずみは非環状化合物でも起こり得るが、この現象は希である。 ====小員環==== [[シクロヘキサン]]はシクロアルカンにおける環ひずみを決定するための基準点と見なされており、ひずみがないかほとんど存在しないことが一般的に受け入れられている<ref name="Anslyn"/>。比較すると、より小さなシクロアルカンはひずみの増大によってエネルギー的により高い。シクロプロパンは三角形に似ており、ゆえにsp<sup>3</sup>混成炭素原子の望ましい109.5° よりもかなり小さい60° の結合角を持つ。そのうえ、シクロプロパンにおける水素原子は重なり形配座をとっている。シクロブタンは似たひずみを受け、約88° の結合角(完全に平面ではない)と重なり形水素原子を持つ。シクロプロパンおよびシクロブタンのひずみエネルギーはそれぞれ27.5および26.3 kcal/molである<ref name="Anslyn"/>。シクロペンタンが受けるひずみはかなり小さく、主に重なり形の水素原子からのねじれひずみによるものであり、ひずみエネルギーは6.2 kcal/molである。 ====渡環ひずみ==== {{Main article|プレローグひずみ}} 意外かもしれないが、中員環(7-13炭素)はシクロヘキサンよりも大きなひずみエネルギーを受ける。{{仮リンク|プレローグひずみ|en|Prelog strain}}とも呼ばれる渡環ひずみは、環状分子が角ひずみとねじれひずみを避けようと試みる時に起こる。その際に、向かい合った環上の置換基が近接し、ファンデルワールスひずみを受ける。 ====二環系==== {{Main article|二環式化合物}} [[二環式化合物|二環系]]におけるひずみエネルギー量は一般に、個々の環におけるひずみエネルギーの和である<ref name="Anslyn"/>。これは常に当てはまる訳ではなく、縮環することで追加のひずみが引き起こされることもある。 ==脚注== {{Reflist}} ==関連項目== * [[変形]] {{DEFAULTSORT:ひすみ (かかく)}} [[Category:立体化学]]
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