グラス・ガヴナンのソースを表示

[[File:Myths and legends; the Celtic race (1910) (14596782139).jpg|thumb|250px|キャン（キアン）の魔法の牛と、赤毛の少年（バロールが化けている）<ref name=rolleston/>。{{small|{{right|―[[:en:Stephen Reid (artist)|Stephen Reid]]（挿絵）、[[:en:T. W. Rolleston|T. W. Rolleston]] ''Myths and Legends''、1910年}}}}]]
'''グラス・ガヴナン'''あるいは'''グラス・ガヴレン'''（{{lang-ga|Glas Gaibhnenn}},<ref name=odonovan/><ref name=gafm/> Glas Ghaibhleann{{sfnp|Bruford|1966|p=162}}; <small>発音表記: Glos gov-nan</small><ref>{{Harvnb|Gregory|1905|p=472}}</ref>, <small> glas-gav-e-lan;{{sfn|Heaney|1994|p=246}}</small>、[[アイルランド英語]]: Glas Gaivlen<ref name="odonovan"/>, Gloss Gavlen<ref name=larminie/>）は、アイルランドの口承[[民話]]（[[ケルト神話]]）に登場する豊穣の牝牛。

== 名前 ==
グラス・ガヴレン Glas Gaivlen （音写）が元の採集話のままの表記だが、これをグラス・ガヴナン（{{lang-ga|Glas Gaibhnenn}}<ref name=odonovan/><ref name=gafm/>）と訂正すべきと編者の{{仮リンク|ジョン・オドノヴァン|en|John O'Donovan (scholar)|label=オドノヴァン}}が注釈している<ref name=odonovan/>。グロス・ガヴレン Gloss Gavlen （音写）が{{仮リンク|ウィリアム・ラーミニー|en|William Larminie|label=ラーミニー}}の採集話での表記である<ref name="larminie"/>。

また Glas Gaibhneach という表記もオドノヴァンは別の文献で使っている（オカリーが書簡に書写）<ref name=cow-corofin-co-clare/>。 さらなる異綴りに Glas Gamhain, Glas Gamhnach 等がある<ref name="power"/>。

== 毛色 ==
グラスは「緑色（の牝牛）」の意だとオドノヴァンは注釈する。だがグラス・ガヴナンは「鍛冶師の灰色（の牝牛）」というのがラーミニーの<ref name=larminie-glas/>、そして「鍛冶師[[ゴヴニュ]]の灰色または{{仮リンク|虎毛|en|brindle}}の牝牛」というのが{{仮リンク|ジョン・リース|en|John Rhys|label=リース}}の解釈である{{sfnp|Rhys|1888|p=319}}。

また別の類話では、白い牝牛グラスダウリャカナ(?) Glassdhablecana （‘両脇が灰色な牝牛’の意）という設定になっている（{{仮リンク|ウィリアム・ハミルトン・マクスウェル|en|William Hamilton Maxwell|label=W・H・マクスウェル}}が投稿した短編）{{efn2|"the grey-flanked-cow"。 アイルランド語で dabh は‘牝牛’,<ref name=oreilly-dabh/>で damh が‘牡牛’、leaca が‘顔の側面、頬；丘の傾斜、坂’等の意<ref name=odonaill-leaca/>。}}<ref>{{harvnb|Maxwell|1837|p=527}}: "white heifer"</ref>。マキロップの事典は、語釈とはしていないが「緑の班のある白い牝牛」だと説明する<ref name=mackillop-glas_ghaibhleann/>。

このように、グラス・ガヴナンの「グラス」は毛色を指すものとして意見は一致するが。この単語の意味する色合いの幅が広いため、説明が様々になっている{{efn2|アイルランド語の glas は、日本語の「青」が「グリーン」でも「ブルー」でもありうるし、さらに「グレー」も含む。}}。

=== 冠名とする語釈 ===
～ガヴナンを「鍛冶師の（牝牛）」とラーミニーが解釈する一方{{efn2|＜ガウ（ガヴ）（{{lang-ga|gobha, gabha}}‘鍛冶師’<ref name=oreilly-gobha/>）に拠る。}}<ref name=larminie-glas>{{harvp|Larminie|1893|p=251}}: "Gloss Gavlen" means simply the Grey (cow) of the Smith, gavlen being properly gavnen―(''gaibhnenn'') according to O'Donovan.</ref>、鍛冶師[[ゴヴニュ]]の名を冠した名であるととリースは一歩踏み込んで解釈した{{sfnp|Rhys|1888|p=319}}{{efn2|オドノヴァンの版の民話だと、持ち主が鍛冶師ではないので、そのままではこの[[エポニム|冠名語句]]的な解釈はできない。}}。

民話では、鍛冶師ガヴニン (Gaivnin)や<ref name=curtin-p296-connemara/>、ガヴィジーンなどの名で呼ばれているので<ref name=larminie/>、それらだと持ち主名ともおおよそ一致する。

=== 仔牛のない牝牛 ===
だが、名前の後半の～ガヴナンは、アイルランド語 [[wikt:gamuin|gamuin]] 「仔牛、当歳牛<!--"calf, yearling"-->と解釈できると、教会史家で地誌作家の{{仮リンク|パトリック・C・パワー|en|Patrick C. Power|label=パトリック・パワー}}神父が指摘する<ref name="power"/>。

しかし{{仮リンク|ジェレマイア・カーティン|en|Jeremiah Curtin|label=カーティン}}の説明は少し違っていて、類話の一つのグラス・ガナッハ Glas Gainach <ref name=curtin-p001-kerry/>という異綴りにみられる gaunach は仔牛でなく、「一歳牛をもつ母牛」の意味であり、つまり当年は出産していない牝牛との事を指すとする。さらに、グラス・ガヴラン Glas Gavlen （カーティンが[[ドニゴール県]]から採集した民話での名前<ref name=curtin-p283-donegal/>）について、gavlen は、「五年も生んでいない母牛」という意味であると、牛飼いから説明された{{sfnp|Curtin|1911|pp=549–550}}。

== 概要 ==
[[キアン]]が魔法の牛を獲得する試練の最中、または牛奪還のすべとして[[バロール]]の娘と巡り合い、[[ルー (神)|ルー]]の父親となる民話。いくつかの例が、[[アイルランド英語]]で朗誦されて19世紀に採集・記録された。これは正統な神話（中世の写本に残る古文学）ではなく、であるが、[[グレゴリー夫人]]に代表される再話版神話に織り込まれている。

== アイルランドの伝承 ==
=== グレゴリー夫人再話 ===
グレゴリー夫人版<ref>{{harvnb|館野|2011}}によるこの第2巻・第1章の試訳がある。</ref>の筋書きはおおよそ次のようなものである。邪眼のバロールは、自分が孫に殺される運命だと手下のドルイド僧に予言される。これを受けてバロールは一人娘の{{仮リンク|エスニウ|en|Ethniu|label=エスリン}}{{efn2|グレゴリー夫人はEthlinnに訂正しているが、オドノヴァン採集話では Ethnea<ref name=odonovan/>。}}をガラスの塔に幽閉{{efn2|"ガラスの塔"はグレゴリー夫人の脚色。このトーリー島には[[フォモール族|フォウォレ族]]の{{仮リンク|コナン (神話)|en|Conand (mythology)|label=コナン}}の塔（{{lang-ga|Tor Conaing}}</small>) が建っていた場所という伝説が土着しており、トーリー島の名もそれにちなむとされる。バロールもフォウォレ族である。そして伝[[ネンニウス]]『[[ブリトン人の歴史]]』の記述に拠れば島にはガラスの塔が存在した<ref name=arbois-de-jubainville/>}}。同じ頃、「火の尾根」という名の城に{{efn2|name=druim-na-teinne}}、[[ゴヴニュ]]、サウィン（サヴィン）<!--館野訳だとサーウィンだが、Samhainとは若干違う。注釈した"mhth"の/βh/音にしたがえば"サヴヒィン(?)"とでもなろうが複雑なので省く。-->、キアンの三兄弟が住んでいた{{efn2|綴りは Goibniu, Samthainn, Cianである。名前から"Mac"が除かれているなど、オドノヴァン採集の原話の名（後述）とは異なる。鍛冶師の兄弟は鍛冶の神と同名なのでゴヴニュとするが、古アイルランド式であり近代発音（ゴウニュ）ではない。}}{{efn2|name=mhth-pronuciation|"mh", "th", "mhth"発音について。"mh"については、チャールズ・スクワイアは''Samhain'' /'sa̯v-ïñ/「サヴィン」とするが、グレゴリー夫人は Sow-in 「サウィン」とする。"th"ではスクワイアは Scathah は /'skɑh-ɑx/ 「スカハアハ」とするが、グレゴリー夫人 Schathniamh Scau-nee-av とあり、前者は "th" を "h"、後者は母音扱いにしている<ref name=squire-pronunciation/>{{sfn|Gregory|1905|pp=472–473}}。"th"の古代発音はθ（"thistle" の "th"）であり12世紀ころ転じた<ref name=mackillop-pronunciation/><ref name=obaoill/>。"mhth"は歴史的綴りで本来/[[有声両唇摩擦音|β]][[無声声門摩擦音|h]]/（ヴヒィ?）の音価だったとあるが<ref name=obaoill/>、その細かい音写は省く。}}{{efn2|普通名詞としては、Ó Dónaill (1977)の辞書によれば"[https://www.teanglann.ie/en/fgb/s%c3%a1mhth%c3%a1n sámhthán]" {{=}} "[https://www.teanglann.ie/en/fgb/sabh%C3%A1n sabhán1]" とある。同辞書にはこれを sabh の[[指小形]]で'小さな棒'の意味とする。しかし sabhán には'子狼、仔犬'の意味もあり<ref name=oreilly-sabhan/>、アイルランドの姓"Ó Sabháin"の語源となっていて、この姓は Sawane; O Sawan; Savin等と英国化されている<ref name=oxford-names-sabin/>。}}。キアンが自慢の牛グラス・ガヴナンを持って鍛冶師のゴヴニウを訪ね、剣の作成を注文する間、もう一人の兄弟がバロールに騙されて牛を盗まれてしまう。キアンは、山のビローグというトゥアハ・デ・ダナーン神族の女ドルイド僧(魔女)に相談するが{{efn2|グレゴリー夫人は "Birog"、ローレストン "Biróg"。オドノヴァン採集話では"Biroge"で、後述のように守護霊である。}}、バロールが生きながらえる間は牛は戻らないと教わる。キアンはこの魔女が呼び起こした海風に乗って海峡を渡り、バロールの獄塔に侵入し、バロールの娘と契りを交わす。再話はここで娘が産み落とした子供・長腕のルーに焦点が切り替わるので、牛を取り戻せたか否かが不明である<ref name="gafm" />。

=== ラーミニー採集話 ===
{{仮リンク|ウィリアム・ラーミニー|en|William Larminie}}収集の民話、題名「グロス・ガヴレン The Gloss Gavlen」は、より後年に発表された作品だが、主人公名が神話と合致する都合上、先に紹介する。話は二部構成になっている{{sfn|Westropp|1917|p=183}}。

前半は、{{仮リンク|án Sao|en|Gobán Saor|label=大工のゴバン}}（工匠ゴバン）<!--"ゴバン":岡田仁 「イエィツ中期の三つの詩集」で確認した表記-->が{{efn2|原典は ゴバウン・シール Gobaun Seer とあるが、これは俗の表記で、正しいアイルランド語では Goban Sao(i)r である<ref name=irish-builder/>。"Gobban the Builder"等と英訳される<ref name=ocurry-manners3/>。"saor, saer は古くは広義の'職人'の意だったが、のちに'大工、左官'を特に意味するようになった<ref name=dil-saer/>。}}強打のバラルという城主の依頼で豪勢な城を建設した{{efn2|原典はバラル・ベヴァン(?) Balar Beimann とあるが、これについては"''Balar Beimann'' or ‘Balor of the Mighty Blows’"との説明がある{{sfn|Squire|1905|p=49}}。ただし正しい古アイルランド語表記は"balcbeimnech"である{{sfn|Arbois de Jubainville|1903|p=104}}{{sfn|Gruffydd|1928|p=176}}。"balc"は'強く'、"béimnech"は'打ちし、殴りし、切りし'等の意の形容詞<ref name=dil-balc&beimnech/>。}}。しかし完成すると、バラルは大工に他人の城の[[普請]]をさせまいと、その殺害を計略する。すんでのところ助かったゴバンは、でたらめな名前の道具三式をバラルの息子に取りに行かせる。大工の妻は事態を察し、その子を人質のたてにとって、正当な給金と大工の無事な返還を要求する<ref name=larminie />{{efn2|前半のここまでは類話があり、{{仮リンク|エドワード・ウォルシュ (詩人)|en|Edward Walsh (poet)|label=エドワード・ウォルシュ}}が1833年に《{{仮リンク|ダブリン・ペニー・ジャーナル|en|Dublin Penny Journal}}》誌で発表している。ただし依頼主はバラルでなく某英国王である<ref name=walsh-dbj-goban-saer/>。}}。

後半では、依頼主がまず最高の鍛冶の名匠と評される鍛冶師ガヴィジーンを招へいし{{efn2|綴りは Gavidjeen Go。"dj"は「ヂィ」音、Kontje の"tje"は「チェ」音とみなす。鍛冶師の普通名詞は{{lang-ga|gabha}}; {{LangWithName|sga|古アイルランド語|gobae}}であるが、"Gaivnin Gow"という異表記がカーティンが採集したうちの一篇にみられる<ref name=curtin-p296-connemara/>。}}、鍛冶師は大工の入れ知恵で、一日二十樽の乳を出す牝牛グラス・ガヴレン(?)を報酬に求める。バラルは応じたものの、その牛がさまよったり逃げださずにするため必要な手綱を渡さなかった。そのため、鍛冶師は牛を見張りする剣士を募集しなくてはならず、その給金代わりに応募者には剣を鍛えてやっていた。<ref>{{harvp|Westropp|1917|p=183}}, " the second part of the tale shows Balor questioning his victims as to the best smith to do the iron-work, Goban replies ‘the Gavidjeen Go’".</ref>

この後半の主人公は、牛見張りに応募したコンチェの息子キアンという男だったが{{Efn2|Kian son of Contje。正しいアイルランド語表記は Cian mac Cáinte{{sfnp|Bruford|1966|p=162}}。}} 、しくじって牛を逃がしてしまい、鍛冶師に斬首されることになってしまう。しかし三日間の猶予を請い、牛の奪還に向かう。海岸に着くとなぜか[[マナナン・マクリル|マナナウン・マク・リル]]が小舟で迎えにきており{{efn2|"Mananaun son of Lir"。}}、キアンが得た獲物の半分を山分けにするという約束で、牛のありかの国に送り届けてもらう。まだ肉を生で食う習慣があるという、その極寒の地で、キアンはバラルの料理人として雇われる。そしてマナナーンの錠解きの魔法により、監禁されている娘との逢引を果たす。娘に子が生まれた頃、キアンはいとまを乞い、赤子と牛と手綱を抱えてマナナーンの小舟に乗り込む。バラルは気づいて大波や火炎の海原をおこすが、マナナーンが鎮めてしまう。マナナーンは約束の報酬として赤子をもらいうけて、これをドルドナ(Dul Dauna)と名づけて育てる{{efn2|これはイルダナハ、つまり長腕のルーのあだ名の転訛とされる{{sfn|Squire|1905|p=237}}。}}。この子はある日、船で通りかかったバラルにむかって投げ矢を投げつけてこれを殺してしまう<ref name=larminie />{{efn2|ラーミニーの話集例は、チャールズ・スクワイアも要約している。スクワイアは、ドルドナが"ポケットから"武器を取り出したことについて"ドニブルックの市の日の伝統も、どうやら太古の頃からあったことが偲ばれる"とコメントしているが{{sfn|Squire|1905|p=237}}、{{仮リンク|ドニブルックの市|en|Donnybrook Fair}}というのは隠語で、"喧嘩"等の意味と辞書にあり、場合によっては"派閥間闘争"のこと<ref name=hurley/><ref name=o-maitiu/>。[[井村君江]]は<!--これをドニブルックの市の日にルーのバロール殺し事件が起きたと-->別解釈をしている<ref name="I">参照：{{harvnb|井村|1990}}『ケルトの神話』85頁。</ref>。}}。

なお、前半部分には、類話として{{仮リンク|ストラスブールの天文時計|en|Strasbourg astronomical clock|label=シュトラスブルクの時計}}や、 <!--{{仮リンク|ロスリン礼拝堂|en|Rosslyn Chapel}}の-->{{仮リンク|アプレンティス・ピラー|en|Apprentice's Pillar}}（徒弟の柱）にまつわる伝説がある{{sfn|Westropp|1917|p=183}}。

=== オドノヴァン採集話 ===
こちらは別に採集された、粗筋がよく似た類話である。ガヴィダ、マク・サヴィン（マク・サウィン）、 マク・キニーリーという三兄弟が{{efn2|綴りだがGavidaは音写とみられ、{{lang|ga|Mac Samhthiann}} (誤記)/{{lang|ga|Mac Samthainn}} はアイルランド語表記、主人公についてはアイルランド語表記{{lang|ga|Mac Cinnḟaelaiḋ (Mac Cinnfhaelaidh)}}と、英語式 "Mac Kineely"とが併記される。}}、[[ドニゴール県]]の沿岸に住んでおり、その海を隔てた向こうの{{仮リンク|トーリー島|en|Tory Island}}には、相手を石化する目を前頭部と後頭部に持った恐ろしい盗人バロール（<small>Balor</small>）が住んでいた。三兄弟のうちガヴィダは鍛冶師で、「火の尾根」〔<small>ドゥリム・ナ・テーネ</small>〕に鍛冶場をかまえていた{{efn2|name=druim-na-teinne|現今の[[ドニゴール県]]ドラムナティニー<ref name=laoide/>。"Druim na Teine, Ridge of the fire"。カーティン編「トーリー島のバロール」にも"druim na teine (hill of fire)"とみえる<ref name=curtin-p283-donegal/>。}}。

マク・キニーリー（キアンに相当）は地主で、グラス・ガヴレン(<small>Glas Gaivlen</small>)という、たいそう乳の出のいい牝牛を持っていた。バロールはドルイド僧から、孫に殺されるという運命の宣告を受ける。それが起こらぬよう、娘のエスネ (?)を塔に閉じ込める{{efn2|Ethnea}}。先祖によって建てられたその塔は「大塔（Tor More）」という名の大岩の上にあり、到達困難であった。バロールは、ある日ついに宝の牛を奪いに上陸した。マク・キニーリーは鍛冶師の兄弟に用事があり、牛の手綱をもうひとりの兄弟に預けていた。バロールは牛を引いているその男に向かって「後の二人はお前の鋼を全部使って自分たちの剣を作り、お前の剣は鉄で作ろうともくろんでるぞ」と嘘を吹き込み、その場を去らせた。兄弟らが気が付くと、バロールはすでに牛を奪って、島の海峡の半ばまで漕ぎ出していた。

マク・キニーリーには、山のビローグという女性の守護霊（[[リャナンシー]]）が憑いており、妖精女（[[バンシー]]）でもある彼女によれば、牛を取り戻すにはバロールをまず斃さねばならない。その手筈として、この妖精女は、嵐に乗せて島へと連れて行った。幽閉中の娘の世話役は十二人の侍女たちに限られており、塔は男人禁制だったため、妖精女は男を女装させて紛れ込ませた。男女は恋仲になり、三人の赤子が生まれてしまった。こちらの民話では牛が奪還されたか不明である。マク・キニーリーは、父親になったことが発覚しバロールに殺され、その血色が染みついた岩がいつまでも残った。三人の嬰児のうち、一人だけが救われて、鍛冶師ガヴィダの丁稚として育てられた。ある日、バロールがこの鍛冶場に槍を注文しに現れ、うっかり自分がマク・キニーリーを殺したことを自慢した。マク・キニーリーの遺児〇〇〇(<small>名前は明かされないが、長腕のルーに相当する子</small>)は、鍛冶作業にいそしむふりをしながら機をうかがい、赤熱した鉄棒をバロールの目に突き刺して敵討ちを果たした<ref name="odonovan" />。

=== 風土伝説とフィアナ伝説 ===
アイルランド、{{仮リンク|クレア県の市町村|en|List of townlands of County Clare|label=}}のひとつ、{{仮リンク|シャリー|en|Shallee}}にある、[[ドルメン]]らしき跡は、俗に'''「グラスの床」'''すなわち「青牛の床」 (<small>Leaba-na-glaise</small>) <ref name="borlase">{{Harvnb|Borlase|1897|p=883}}(O'Donovan が別途採集した土地伝説の要約を引用)</ref>と呼ばれており、鍛冶師の所有地だったと伝わる<ref name="borlase"/>。巷説では、その鍛冶師はマク・キニーリーか、ロン・マクリオヴァ<!--Al_batross氏の表記はロン・マクリヴァ-->だったとされる{{efn2|Lon Mac Liomhtha; [[フィン・マックール]]の名剣マク・アン・ルーンの製作者。この líomhtha には'磨かれた、（剣などが）研ぎ澄まされる等の加工をされた'の意味であり<ref name=oreilly-liomhtha/>、Ó Dónaill (1977)の辞書のオンライン版"[https://www.teanglann.ie/en/fgb/l%c3%adomh líomh]"には発音音声が付属し、アルスター方言だと"リユ"→"マクリュワ"、コノート方言だと"リオヴ"→"マクリオヴァ"と判じた。}}{{efn2|name=mhth-pronuciation}}。同県には、「グラスの山」{{efn2|Slieve-n-glaise}}ないし「グラスの丘」と呼ばれる地形もあり、その頂上あるいは中腹のドルメンは「グラスの岩」と呼ばれ{{efn2|Carrick-na-glaise}}、この山の洞窟には鍛冶師ロンが住んでいた。これは小人（ドワーフ）だとも、アイルランドで最初に鋭利な武器を作った人とも語り継がれる<ref>{{Harvnb|Borlase|1897}},"Lon Mac Liomhtha was reported to have lived on this mountain in a cave. He was represented as a dwarf, and as the first who ever made edged weapons in Ireland."</ref>。

オドノヴァンが記録した口承によれば<ref name=cow-corofin-co-clare/>、ここに住んだという鍛冶師ロンは、[[トゥアハ・デ・ダナーン]]神族のひとりで、三つ手に片足、胸から生えた手で鉄を返し、両腕でそれを鍛錬する。すばらしい跳躍力の、その一本足で移動する。「ロンは長年の間、'''グラス・ガヴナハ'''(?)というかけがえのない牝牛によって養われていた{{efn2|Glas Gaibhneach}}。その牛は、火事場から遠くないグラスの山で（放牧されて）牧草を食べていた。.. この牛は、スペインから盗んで来たものだったが..」数々の場所を転々して、ここ以外にその牛に満足に餌を与えるほど肥沃な地はアイルランドのどこにもなかった。「この牛は、どんなに大きな器を搾乳のために据えても乳で満杯に満たした」。牛が満たせない器が存在するかをめぐり、二人の女性が賭けをした。一人はざる（漉し器）を持ってきたのだが、牛乳はあふれかえり、七つの川を形成した。また「この牝牛の蹄は逆についていて、力づくでこの牛を奪おうという追跡者たちをかならず化かしてしまう」などとこの風土伝説はつづく。ロンはのちに[[フィン・マックール|フィン・マクール]]を訪ね、競争を申し出た。相手の俊足のキールテ（{{仮リンク|カイルテ|en|Caílte mac Rónáin}}）は、「グラスの床」まで走り抜けるのに鍛冶師を出し抜いた<ref name=cow-corofin-co-clare>{{harvnb|O'Donovan|1997|}}, ''[[:en:Ordnance Survey|Ordnance Survey Letters]]''所収、[[コロフィン]]在住 John Reagh O'Cahane の語った民話をオドノヴァンが筆記(transcribe)し、オカリーが書簡に書写した。{{harvnb|Borlase|1897|loc='''3''': 883–887}}, "The Cow" に抜粋・注釈; {{harvnb|Westropp|1895|pp=227–229}}に翻案。</ref>{{efn2|採集元は、[[クレア県]]の[[コロフィン]]市在住の仕立て屋 John Reagh O'Cahane で{{sfn|Westropp|1895|p=227}}、[[語り部]]（{{仮リンク|シェンハ|en|Seanchaí}}、英語でシャナキーともいう）でもあった<ref>{{harvnb|Borlase|1897}}, p. 887, note †</ref>; 話の筆記は O'Donovan 書簡, O.S.L. [Ordnance Survey Letters] <math>\tfrac{14}{B. 23}</math> p. 68 に記録されたので<ref>{{harvnb|Borlase|1897}}, p. 884, note ‡</ref>{{sfn|Westropp|1895|p=227}}、{{harvnb|O'Donovan|1997|}}の一冊本に再掲されている。{{harvnb|Borlase|1897|loc='''3''': 883–887}}に抜粋・注釈、{{harvnb|Westropp|1895|pp=227–229}}で翻案。}}。

== 民話例の一覧 ==
いかに出版されている民話を列挙する。上では解析していないが、{{仮リンク|ジェレマイア・カーティン|en|Jeremiah Curtin}}編『Hero-Tales of Ireland』に三篇が所収される<ref name=brown-sirperceval5/>。なお{{仮リンク|ウィリアム・ジョン・グリフィズ|en|William John Gruffydd}}編『{{仮リンク|マソヌウイの息子マース|en|Math fab Mathonwy (branch)}}』(1928年){{sfn|Gruffydd|1928|pp=65–76}}に何本かの民話の要約が記載されている{{sfnp|Bruford|1966|p=162}}。

*「グラス・ガヴレン」(仮題).
:原典："Glas Gaivlen" {{仮リンク|トーリー島|en|Tory Island}}在住 Shane O'Dugan より1835年に採集された口承民話<ref name=odonovan/>。
* 「バラルの伝説」
:原題："The Legend of Ballar". 1837年発表{{sfn|Maxwell|1837|pp=527–530}}。
*「グロス・ガヴレン」 
:原題："The Gloss Gavlen" {{仮リンク|アキル島|en|Achill Island}}在住 John McGinty より採集された口承民話<ref name=larminie/>。1884年以降に採集{{sfn|Larminie|1893|pp=xxiii–xxv}}。
*「雌牛」 
:原題："The Cow" [[コロフィン]]市在住の John Reagh O'Cahane より採集された口承民話{{sfn|O'Donovan|O'Curry|1997}}{{sfn|Borlase|1897|pp=883–887}}{{sfn|Westropp|1895|pp=227–229}}。
*「エリンの刀鍛冶エリン・ガウと牝牛のグラス・ガイナッハ(?)」
:原題： "Elin Gow, the Swordsmith from Erin, and the Cow Glas Gainach"  [[ケリー県]][[ディングル]]町の以東、{{仮リンク|イーグル山|en|Mount Eagle (Ireland)}}在住 Maurice Lynch<ref name=curtin-p001-kerry/>。
*「トーリー島のバロール」
: 原題："Balor on Tory Island" [[ドニゴール県]]{{仮リンク|ゴータホーク|en|Gortahork}}在住 Michale Curran<ref name=curtin-p283-donegal/>。
*「邪眼のバロルと孫のルイ・ラヴァーダ」 
:原題："Balor of the Evil Eye and Lui Lavada his Grandson"  [[コネマラ山地|コネマラ地域]]在住 Colman Gorm<ref name=curtin-p296-connemara/>。
* 「バロルとマク・キンリー」
: 原題："Balor agus Mac Cionnfhaolaidh" （アイルランド語版；上述「トーリー島のバロール」に近い）<ref name=laoide/>

== 注釈 ==
{{notelist2}}

== 出典 ==
;脚注
{{Reflist|30em|refs=
<ref name=arbois-de-jubainville>{{citation|last=Arbois de Jubainville |first=Henry |authorlink=:en:Marie Henri d'Arbois de Jubainville |title=The Irish Mythological Cycle and Celtic Mythology |place=Dublin |publisher=Hodges, Figgs & Co. |year=1903 |url=https://books.google.co.jp/books?id=7EPXAAAAMAAJ&pg=PA67&redir_esc=y&hl=ja |page=67|}}</ref>

<ref name=brown-sirperceval5>{{citation|last=Brown|first=Arthur C. L. |authorlink=<!--Arthur C. L. Brown--> |title=The Grail and the English Sir Perceval. V |journal=Modern Philology |volume=22 |number=1 |date=August 1924 |url= |pages=87–88<!--79–96-->|jstor=433319}}</ref>

<ref name=curtin-p001-kerry>{{harvp|Curtin|1911|pp=1–34}}「エリンの刀鍛冶エリン・ガウと牝牛のグラス・ガイナッハ(?)」。語り部は p. 549</ref>
<ref name=curtin-p283-donegal>{{harvp|Curtin|1911|pp=283–295}}「トーリー島のバロール」</ref>
<ref name=curtin-p296-connemara>{{harvp|Curtin|1911|pp=296–311}}「邪眼のバロルと孫のルイ・ラヴァーダ」</ref>

<ref name=dil-balc&beimnech>eDIL s.v. "[http://dil.ie/5293 balc]";  "[http://dil.ie/5567 béimnech (1)]".</ref>
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