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ポアンカレの定理
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{{混同|link2=ポアンカレ=バーコフの定理|ポアンカレの回帰定理|ポアンカレの最終幾何定理|ポアンカレの補題|ポアンカレ予想}} [[古典力学]]において、'''ポアンカレの定理'''(—のていり、{{lang-en-short|Poincaré's theorem}})は[[可積分系]]に摂動が加わると一般に非可積分系となることを述べる定理である。[[三体問題]]を解析的に解くことが不可能であることを示すために[[アンリ・ポアンカレ]]によって19世紀末に導かれた。 == 定理 == [[ハミルトン力学]]において、系の[[自由度]]に等しい数の独立な[[運動の積分]]が存在し、それらが互いに[[ポアソン括弧|ポアソン可換]]であるとき、この系は[[可積分系]]と呼ばれ解を求積法によって求めることができる(リウヴィルの定理)<ref>大貫&吉田, pp. 100-103.</ref>。特に、<math>n</math> 自由度系においてこれらの積分 <math>\Phi_1</math>, <math>\Phi_2</math>, ..., <math>\Phi_n</math> がそれぞれ一定値を取る超曲面 :<math>\Phi_s = \mathrm{Const.}</math> が連結かつコンパクトであり、その上で勾配 <math>\nabla \Phi_s</math> が一次独立であるならば、この超曲面は <math>n</math> 次元[[トーラス]] <math>\mathbb{T}^n</math> と微分同相であり、トーラスの自然な座標 <math>\boldsymbol{\theta}</math> と正準共役な変数 <math>\mathbf{J}</math> が存在し、[[ハミルトニアン]] <math>H_0</math> を <math>H_0 = H_0 ( \mathbf{J} )</math> という形に表示することができる([[リウヴィル=アーノルドの定理]])<ref>大貫&吉田, pp. 105-107.</ref>。このような正準座標 <math>( \mathbf{J}, \boldsymbol{\theta} )</math> を[[作用・角変数]]と呼び、このとき運動方程式は振動数ベクトル <math>\boldsymbol{\omega} = \partial H_0 / \partial \mathbf{J}</math> を用いて :<math>\frac{ d \mathbf{J} }{ d t } = 0 , \ \ \frac{ d \boldsymbol{\theta} }{ d t } = \boldsymbol{\omega}</math> と書ける<ref>大貫&吉田, pp. 109-110.</ref>。この方程式はただちに解け、従って可積分系は一般に求積可能である。 ポアンカレの定理は、可積分系に[[摂動]]が加わったとき、その系(近可積分系と呼ばれる)が依然として可積分系になるかどうかを扱ったものである<ref>大貫&吉田, pp. 164-165.</ref>。近可積分系はしばしば[[摂動論]]を用いて取り扱われるが、古典力学における[[正準摂動論]]は多自由度系 <math>n \geq 2</math> の場合には[[小分母の問題]]と呼ばれる問題が存在する。摂動論によって得られた摂動級数の各項は[[フーリエ級数]] :<math>\sum_{\mathbf{m} \in \mathbb{Z}^n - \{0\}} \frac{ S_\mathbf{m} }{ \mathbf{m} \cdot \boldsymbol{\omega} ( \mathbf{J} ) } e^{i \mathbf{m} \cdot \boldsymbol{\theta}}</math> という形に表示される<ref>Boccaletti & Pucacco, pp. 89-92.</ref>。係数 <math>S_\mathbf{m}</math> は、例えば摂動の1次では摂動ハミルトニアン <math>H_1</math> のフーリエ級数表示 :<math>H_1 ( \mathbf{J}, \boldsymbol{\theta} ) = \sum_{\mathbf{m} \in \mathbb{Z}^n} h_\mathbf{m} ( \mathbf{J} ) e^{i \mathbf{m} \cdot \boldsymbol{\theta}}</math> に現れる係数 <math>h_\mathbf{m}</math> に等しい<ref>Boccaletti & Pucacco, pp. 80-86.</ref>。ところが一般に <math>| \mathbf{m} \cdot \boldsymbol{\omega} ( \mathbf{J} ) |</math> は整数ベクトル <math>\mathbf{m}</math> を適切に選べば任意に小さな値を取ることができ、特に <math>\boldsymbol{\omega} ( \mathbf{J} )</math> が{{仮リンク|通約可能|en|Commensurability (mathematics)}}な場合にはあるゼロでない <math>\mathbf{m}</math> に対して :<math>\mathbf{m} \cdot \boldsymbol{\omega} ( \mathbf{J} ) = 0</math> が成立する<ref name="Boccaletti&Pucacco92"/>。このときこのフーリエ級数は収束せず、従って摂動展開が意味をなさなくなる<ref name="Boccaletti&Pucacco92"/>。これが小分母の問題 (small divisors problem) である<ref>{{Cite web |url=https://scienceworld.wolfram.com/physics/SmallDivisorsProblem.html |title=Small Divisors Problem -- from Eric Weisstein's World of Physics |publisher=Wolfram Research |accessdate=2020-10-25}}</ref>。ポアンカレの定理は小分母の問題と密接に関係しており<ref>Boccaletti & Pucacco, p. 93.</ref>、作用変数 <math>\mathbf{J}</math> のうち、<math>n - 1</math> 個の一次独立なベクトル <math>\mathbf{k}_s \in \mathbb{Z}^n</math> (<math>s = 1, 2, \cdots, n-1</math>) が存在し、<math>h_{\mathbf{k}_s} ( \mathbf{J} ) \neq 0</math> かつ :<math>\mathbf{k}_s \cdot \boldsymbol{\omega} ( \mathbf{J} ) = 0</math> を満足するものの全体をポアンカレ集合と呼ぶ<ref>Kozlov, p. 33.</ref><ref name="Boccaletti&Pucacco92">Boccaletti & Pucacco, p. 92.</ref>。 以上の準備のもとで、ポアンカレの定理は次のことを主張する<ref>Kozlov, p. 35.</ref><ref>Boccaletti & Pucacco, pp. 93-95.</ref><ref>Barrow-Green, pp. 127-129.</ref><ref group="注釈">ここに記したものは Kozlov による表現であり、証明は Kozlov pp. 33-35 において与えられている。大貫&吉田は自由度2の場合に限ってポアンカレの定理を定式化し証明している他、それとほぼ同じ証明が柴山による「ハミルトン系の非可積分性の証明」([[#外部リンク]]節)にある。</ref>。 <blockquote style="padding:1ex;border:2px solid #808080; background:#white"> 領域 <math>D \subset \mathbb{R}^n</math> とトーラス <math>\mathbb{T}^n</math> の直積 <math>M = D \times \mathbb{T}^n</math> を[[位相空間 (物理学)|位相空間]]とする可積分系 <math>H_0</math> (その作用・角変数を <math>( \mathbf{J}, \boldsymbol{\theta} )</math> とする) がツイスト条件(非退化の条件) :<math>\mathrm{det} \, \left( \frac{ \partial^2 H_0 }{ \partial J_i \partial J_j } \right) \neq 0</math> を満たすと仮定する。パラメータ <math>\epsilon</math> に[[解析関数|解析的]]に依存する近可積分系 :<math>H ( \mathbf{J}, \boldsymbol{\theta}, \epsilon ) = H_0 ( \mathbf{J} ) + \epsilon H_1 ( \mathbf{J}, \boldsymbol{\theta} ) + \epsilon^2 H_2 ( \mathbf{J}, \boldsymbol{\theta} ) + \cdots</math> について、そのポアンカレ集合が <math>D</math> で[[稠密集合|稠密]]であるならば、この系にはハミルトニアンと独立な運動の積分 :<math>\Phi ( \mathbf{J}, \boldsymbol{\theta}, \epsilon) = \Phi_0 ( \mathbf{J}, \boldsymbol{\theta} ) + \epsilon \Phi_1 ( \mathbf{J}, \boldsymbol{\theta} ) + \epsilon^2 \Phi_2 ( \mathbf{J}, \boldsymbol{\theta} ) + \cdots</math> で各係数 <math>\Phi_s</math> が作用・角変数 <math>( \mathbf{J}, \boldsymbol{\theta} )</math> の解析的な関数であるようなものは存在しない。 </blockquote> ポアンカレの定理は多自由度の近可積分系には一般に摂動パラメータに解析的に依存する非自明な積分が存在しないこと<ref>吉田&大貫, p. 162.</ref>、あるいは可積分系は摂動パラメータ <math>\epsilon</math> に関して連続的には存在し得ないことを示している<ref name="#1">大貫&吉田, p. 169.</ref>。ただし具体的に与えられた系にポアンカレの定理が適用可能かどうかを判定することは、その仮定が成立するか検討する必要があり、困難であることが多い<ref name="#1"/>。例えば円制限平面[[三体問題]]は、[[ケプラーの法則]]に従い円運動する二天体がつくる[[重力場]]中を運動する同一の軌道面内の粒子の運動を問うものであり、そのハミルトニアンは二体の質量比 <math>\epsilon = m_2 / ( m_1 + m_2 )</math> を用いて :<math>H = \frac{ 1 }{ 2 } ( p_x^2 + p_y^2 ) - p_x y + p_y x - \frac{ 1 - \epsilon }{ \sqrt{ ( x + \epsilon )^2 + y^2 } } - \frac{ \epsilon }{ \sqrt{ ( x - 1 + \epsilon )^2 + y^2 } }</math> と書ける。これは質量比 <math>\epsilon</math> を摂動パラメータとみなすとき第一体がつくる重力場中のケプラー運動という可積分系に摂動が加わったものと解釈できる。ポアンカレの定理は(技術的な工夫を要するものの)円制限平面三体問題に対して適用可能であり、[[ブルンスの定理]]と併せて三体問題の非可積分性(従って求積不可能性)を示すものとみなされている<ref name="柴山">柴山, pp. 95-100.</ref>。 == 歴史 == [[アイザック・ニュートン]]らによって古典力学が定式化されると[[月]]の運動などへの興味から[[三体問題]]は詳細な研究対象となり、18世紀および19世紀を通じてオイラー積分(エネルギー、全運動量、全角運動量、重心運動)以外の[[運動の積分]]を見出す試みが継続された<ref>大貫&吉田, p. 163.</ref>。しかしこれらの試みはすべて失敗し、本定理に先行する1887年に [[:en:Heinrich Bruns|Heinrich Bruns]] によって三体問題には座標、運動量、時刻の[[代数関数]]として表される運動の積分はオイラー積分以外に存在しないことが示された<ref>{{Cite journal |last=Bruns |first=H. |title=Über die Integrale des Vielkörper-Problems |journal=Acta Mathematica |volume=11 |date=1887 |pages=25-96 |doi=10.1007/BF02612319}}</ref>。ただしこの[[ブルンスの定理]]は対象が代数関数に限定されているため、三体問題の求積不可能性を示すためには十分ではなかった<ref>大貫&吉田, p. 164.</ref>。 [[アンリ・ポアンカレ]]は、スウェーデン王[[オスカル2世 (スウェーデン王)|オスカル2世]]による三体問題に関する国際コンペティションに応募した研究の中で、[[ホモクリニック軌道]]の発見(これは[[カオス理論|カオス]]の最初の発見とみなされている<ref>{{cite journal|和書|author=神部勉 |date=2012-02 |url=https://hdl.handle.net/2433/171764 |title=オイラー方程式の新しい解表現,および最初のカオス理論のポアンカレ(1890)の再認識と上田アトラクタの発見(1961) (オイラー方程式の数理 : カルマン渦列と非定常渦運動100年) |journal=数理解析研究所講究録 |ISSN=1880-2818 |publisher=京都大学数理解析研究所 |volume=1776 |pages=43-58 |hdl=2433/171764 |CRID=1050001335764571776 |accessdate=2024-01-11}}</ref>)、リンドステット級数([[:en:Poincaré–Lindstedt method|Poincaré–Lindstedt method]])が発散すること<ref>Barrow-Green, pp. 126-127.</ref>、といった成果とともに制限三体問題の求積不可能性を示す本定理に到達し、[[1890年]]に出版された研究報告の中でこの定理について述べている<ref>Barrow-Green, pp. 1, 3.</ref>。また[[1892年]]に出版された著書 ''Les méthodes nouvelles de la mécanique céleste'' の第一巻で詳しい証明を与えた<ref>{{Cite book |last=Poincaré |first=Henri |title=Les méthodes nouvelles de la mécanique céleste, Tome 1 |date=1892 |url=https://fr.wikisource.org/wiki/Livre:Henri_Poincar%C3%A9_-_Les_m%C3%A9thodes_nouvelles_de_la_m%C3%A9canique_c%C3%A9leste,_Tome_1,_1892.djvu}}</ref><ref>Barrow-Green, p. 122.</ref>{{Refnest|group="注釈"|ポアンカレによるオリジナルの証明は厳密性に欠けると大貫&吉田は指摘している<ref>吉田&大貫, p. 166.</ref>。[[カール・ワイエルシュトラス]]もまたポアンカレの研究報告に対して同じ懸念を表明していた<ref>Barrow-Green, p. 135.</ref>。}}。なおポアンカレはこのコンペティションでメダルを獲得しているが、メダル獲得が決定した最初の研究成果には深刻な誤りがあり<ref>Barrow-Green, p. 67.</ref>、それを受けて最終的な研究報告は大きく修正されているが、修正前の成果に既に本定理は含まれている<ref>Barrow-Green, pp. 73-74, </ref>{{Refnest |group="注釈" |ただし、初期稿に付随する ''Note G'' には[[ヨースタ・ミッタク=レフラー]]の要請を受けて書かれた本定理の証明が含まれるが、出版稿ではこの証明は全面的に書き換えられている<ref>Barrow-Green, p. 128.</ref>。}}。 ポアンカレの定理は原理的に求積不可能な物理系の存在を知らしめ、運動方程式の解を求めるというそれまでの力学の中心的な研究手法から、より定性的な方向の研究を促した<ref>{{Cite web|和書|url = http://th.nao.ac.jp/MEMBER/tanikawa/21seiki/cm21j.pdf |author = 伊藤孝士, 谷川清隆 |title = 21世紀の天体力学 |page=3 |accessdate = 2020-10-25}} p.7.</ref>。ポアンカレはその後の研究の中で周期解の存在に関連して現在[[位相幾何学]]として知られる考え方を導入し、また[[ジョージ・デビット・バーコフ]]らによって受け継がれることになる[[力学系]]の理論を創始した<ref>Barrow-Green, pp. 3-4.</ref>。 == KAM定理 == [[1954年]]に[[アンドレイ・コルモゴロフ]]によってその主張と証明のアイデアが提示され、1960年代に[[ウラジーミル・アーノルド]]と[[ユルゲン・モーザー]]によって証明が完遂された[[KAM定理]]は、ポアンカレの定理と同じく可積分系に摂動が加わったときの系の挙動を述べたものである<ref name="Boccaletti&Pucacco102"/>(そしてやはり小分母の問題と関係している<ref>Boccaletti & Pucacco, pp. 99-102.</ref>)。KAM定理は、可積分系において存在したトーラスは摂動を受けてもその大部分が生き残り、従って近可積分系にもまたトーラスが存在することを主張する<ref name="Boccaletti&Pucacco102">Boccaletti & Pucacco, p. 102.</ref>。これはある意味で摂動後の系にも運動の積分が存在することを意味するが、ただしそれを作用変数 <math>\mathbf{J}</math> について'''解析的な'''関数によって表現することはできず、従ってKAM定理はポアンカレの定理と矛盾するものではない<ref>Boccaletti & Pucacco, p. 103.</ref>。 == 脚注 == === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book |last=Barrow-Green |firsT=June |title=Poincaré and the Three-Body Problem |date=1997 |publisher=American Mathematical Society |doi=10.1090/hmath/011/01}} * {{Cite book |last1=Boccaletti |first1=Dino |last2=Pucacco |first2=Giuseppe |title=Theory of Orbits: Volume 2: Perturbative and Geometrical Methods |date=2002 |publisher=Springer |isbn=3-540-60355-7}} * {{Cite journal |last=Kozlov |first=V. V. |title=Integrability and non-integrability in Hamiltonian mechanics |date=1983 |journal=Russian Mathematical Surveys |volume=38 |issue=1 |doi=10.1070/RM1983v038n01ABEH003330}} *{{Cite book |和書 |last1=大貫 |first1=義郎 |last2=吉田 |first2=春夫 |authorlink1=大貫義郎 |year=1997 |title=岩波講座 現代の物理学〈1〉力学 |publisher=岩波書店 |edition=第2刷 |isbn=4-00-010431-4}} * {{Cite book |和書 |last=柴山 |first=允瑠 |title=重点解説ハミルトン力学系 : 可積分系とKAM理論を中心に |year=2016 |publisher=サイエンス社 |issn=0386-8257}} == 関連項目 == * [[三体問題]] - [[制限三体問題]] - [[ブルンスの定理]] * [[可積分系]] - [[リウヴィル=アーノルドの定理]] * [[KAM定理]] == 外部リンク == * {{cite journal|和書|author=柴山允瑠 |date=2013-03 |url=https://hdl.handle.net/2433/194788 |title=ハミルトン系の非可積分性の証明 (力学系の作る集団ダイナミクス : 保存系・散逸系の枠組みを越えて) |journal=数理解析研究所講究録 |ISSN=1880-2818 |publisher=京都大学数理解析研究所 |volume=1827 |pages=1-17 |hdl=2433/194788 |CRID=1050845760735415296 |accessdate=2024-01-11 |ref=harv}} {{DEFAULTSORT:ほあんかれのていり}} [[Category:古典力学]] [[Category:ハミルトン力学]] [[Category:天体力学]] [[Category:物理学の定理]] [[Category:アンリ・ポアンカレ]] [[Category:数学のエポニム]] [[Category:数学に関する記事]]
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