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{{出典の明記|date=2024年4月10日 (水) 17:39 (UTC)}} {{Infobox industrial process | name = ルブラン法 | caption = | type = 化学 | sector = クロール・アルカリ産業 | technologies = | feedstock = [[塩化ナトリウム]]、[[硫酸]]、[[石炭]]、[[炭酸カルシウム]] | product = [[炭酸ナトリウム]]、[[塩酸]]、[[硫化カルシウム]]、[[二酸化炭素]] | companies = | facility = | inventor = [[ニコラ・ルブラン]] | year = 1791年 | developer = {{仮リンク|ウィリアム・ロッシュ|en|William Losh}}、{{仮リンク|ジェームズ・マスプラット|en|James Muspratt}}、{{仮リンク|チャールズ・テナント|en|Charles Tennant}} }}'''ルブラン法'''(ルブランほう)とは、[[18世紀]]末に初めて確立された[[炭酸ナトリウム]]の工業的製造法。[[19世紀]]の中頃までの間、盛んに用いられた方法である。[[フランス]]の[[化学者]][[ニコラ・ルブラン]]が考案したのでこの名がある。 == 背景 == ひとくくりに「[[アルカリ]]」という言葉で呼ばれる[[炭酸ナトリウム|ソーダ灰]]([[炭酸ナトリウム]])と[[炭酸カリウム]]は、[[ガラス]]、[[織物]]、[[石鹸|石けん]]および[[製紙業]]において非常に重要な[[化学物質]]である。西[[ヨーロッパ]]におけるアルカリの伝統的な拠りどころは[[灰|木灰]]から得られる[[:en:Potash|Potash]](粗製炭酸カリウム)であった。しかしながら[[1700年代]]までに、[[森林破壊]]はこの非効率的生産をもたらしてきたので、アルカリは輸入されなければならなかった。[[:en:Potash|Potash]]はまだ広大な森林を保っていた[[北アメリカ]]、[[スカンジナビア]]および[[ロシア]]から輸入された。ソーダ灰はオカヒジキと呼ばれる海岸に生える耐塩性の植物から生産されていたので[[スペイン]]や[[カナリア諸島]]から輸入されるか、あるいは、乾いた湖底から鉱物性[[ナトロン]]([[炭酸ナトリウム|炭酸ナトリウム水和物]])を採掘していた[[エジプト]]から輸入された。[[イギリス]]では特に、[[スコットランド]]や[[アイルランド]]の浜辺で洗われたケルプから得られるアルカリが国内で得られる唯一の原材料であった。 [[1783年]]、フランスの[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]とフランス科学学士院は、[[塩化ナトリウム|海塩]]([[塩化ナトリウム]])からアルカリを作り出す方法に2400[[リーブル]]の賞金をかけた。[[1791年]]に、[[オルレアン家]]当主[[ルイ・フィリップ2世 (オルレアン公)|ルイ・フィリップ二世]]の主治医であったニコラ・ルブランはその方法の特許権を得た。 == 化学的作用 == [[File:Leblanc_process_reaction_scheme.svg|thumb|300px|ルブラン法]] ルブラン法は、塩化ナトリウムが一連の処理を施され、最終的に炭酸ナトリウムを生成する一連の反応であった。最初の段階で、[[硫酸ナトリウム]](ソルトケーキと呼ばれる)を生成するために塩化ナトリウムを[[硫酸]]と混合して加熱する。この化学反応で[[塩化水素]]ガスが発生する。 : <chem>2NaCl\ + H2SO4 -> Na2SO4\ + 2HCl</chem> この化学反応は[[スウェーデン]]の化学者[[カール・ヴィルヘルム・シェーレ]]により[[1772年]]に発見された。ルブランの貢献は第2段階にあり、その段階ではソルトケーキが破砕した[[石灰岩|石灰石]]([[炭酸カルシウム]])および[[石炭]]と混合され、加熱された。次の化学反応の中で、石炭([[炭素]])は[[二酸化炭素]]へと[[酸化]]され、[[硫酸|硫酸塩]]は[[硫黄|硫化物]]へと[[還元]]されて解離し、後には黒灰と呼ばれる炭酸ナトリウムと[[硫化カルシウム]]の混合物が残る。 : <chem>Na2SO4\ + CaCO3\ + 2C -> Na2CO3\ + CaS\ + 2CO2</chem> 炭酸ナトリウムは水に溶け、炭酸カルシウムおよび硫化カルシウムは水に溶けにくいので、ソーダ灰は黒灰を洗浄することによって分別される。その後、固体の炭酸ナトリウムを得るために洗浄水を脱水する。この方法は浸出法(溶解法)と呼ばれた。 == 工業的歴史 == ルブランは1791年にルブラン法による最初の工場をパリの北に位置するサンドニに設立した。しかしながら[[フランス革命|フランス革命政府]]は[[1794年]]に[[ルイ・フィリップ]]の資産の残りとルブランの工場をひとまとめにして没収し、ルブランの企業秘密を公表した。[[ナポレオン1世]]は[[1801年]]にルブランの工場を返還したが、工場の補修と、ルブランの工場が接収されている間に設立されたその他のソーダ工場と競うための資金がなく、ルブランは[[1806年]]に[[自殺]]した。 [[1800年代]]の初期までに、フランスのソーダ灰生産量は毎年10,000-15,000トンであった。しかしながら、ルブラン法がもっとも広く普及したのはイギリスにおいてであった。イギリスにおける初めてのソーダ工場は、[[1807年]]にジョン・ロシュにより、River Tyneに設立されたが、塩産物に対するイギリスの法外な[[関税]]はルブラン法の経済性に対して大きな妨げであり、この工程は[[1824年]]まで小規模に行われ続けていたにすぎない。塩産物に対する関税の撤廃により、イギリスのソーダ工業は劇的に成長し、[[リヴァプール]]のジェームズ・マスプラットや[[グラスゴー]]の近くのチャールズ・テナントの化学工場が設立され、大きく成長した。[[1870年代]]までに、毎年200,000トンに達するイギリスのソーダ工業の生産量は、世界中の他の地域での生産量の合計を上回った。 == 環境汚染 == ルブラン法の装置は明らかに[[環境]]に配慮していない。塩化ナトリウムと硫酸からソルトケーキを産み出す工程は塩化水素ガスを放出し、このガスが1800年代の初期においては工業的には使い道がなかったことから、塩化水素ガスは単純に大気中に放散されていた。これに加えて、この工程は8トンのソーダ灰ごとに7トンの硫化カルシウムの廃棄物を産み出した。この固形廃棄物はまったく経済価値を持たないので、ソーダ工場の近辺の空き地に山積みにされ、そこでは風雨にさらされて硫化カルシウムが[[硫化水素]]を放出し、腐った卵のような匂いを放つ元となった。 それらの有害な放出物のため、ルブランのソーダ工場は[[訴訟]]と[[法律|法規制]]の標的となった。1839年のソーダ工場に対する訴訟では「それらの工場から排出されるガスは、その影響下にあるすべてを枯らすのに十分なほどの有害な性質を持っており、健康と財産を破滅させそうである。工場の付近の野原の牧草は焼け焦げ、庭園は野菜も果物も育てることができない。生い茂った木々は不快に剥き出しの枯れ木になった。家畜、家禽はうなだれて元気がなく、やせ衰えた。それは家具を変色させ、頻繁に起こることであるが、それに曝された時私たちは咳と頭痛に悩まされる。それらすべてのことはアルカリ工場が原因であると考えられる」と主張された。 [[1863年]]に、[[イギリス議会|イギリスの議会]]は最初のいくつかのアルカリに関する法律、すなわち、初めての現代的な[[大気汚染]]に関する規制法を可決した。この法律では、アルカリ工場で生み出される塩化水素の5%以上を大気中に放出することを禁じた。この法規制に従うために、ソーダ工場は発生する塩化水素ガスを[[活性炭]]を充填した塔に通して吸着させ、別の方向に流れる水に吸収させて除去された。結果として生じた[[塩酸]]を近傍の水域に排出して魚類およびその他の水生生物を殺した。 [[1880年代]]までに、[[漂白剤]]の製造のために塩酸を塩素ガスに転換する[[ディーコン法]]と硫化カルシウム廃材の再生法が発見されたが、その時までに、すでにルブラン法は時代遅れになっていた。 == ルブラン法の衰退 == [[1861年]]に、[[ベルギー]]の[[化学者]][[エルネスト・ソルベー]]は、[[アンモニア]]を用いて塩化ナトリウムと石灰石からソーダ灰を作り出すための、もっと直接的な方法を開発した。この[[ソルベー法]]が作り出す唯一の不用物は塩化カルシウムのみであり、したがってルブラン法よりもより経済的で汚染の少ない方法であった。[[1870年代]]後半から、ヨーロッパ大陸のソルベー法を用いたソーダ工場はそれぞれの国の市場においてイギリスのルブラン法によるソーダ産業と激しく競争した。それに加えて[[1874年]]にイギリス・ノースウイッチの近くのウイニングトンに設立されたBrunner Mond Solvay plantは全国的に激しく競った。[[1900年]]までに、世界中のソーダ工場の90%がソルベー法により生産されるか、または北アメリカ大陸では[[1986年]]に最後のソルベー法工場が閉鎖されるきっかけとなった、[[1938年]]に発見された[[トロナ]]の採掘によっている。ルブラン法による最後のソーダ工場は[[1920年代]]の始めに閉鎖された。 {{efn|ただし日中戦争期の中国で工場の疎開を行った際にあえてルブラン法を採用した例がある。これは良質の原料塩が入手できなかったためである。 ([https://web.archive.org/web/20150923170813/http://web.iss.u-tokyo.ac.jp/kyoten/research/books/tajima-200503.html 東京大学社会科学研究所 研究シリーズNo.17『20世紀の中国化学工業―永利化学・天原電化とその時代―』] 第2章 35ページ)}} == 関連項目 == *[[ニコラ・ルブラン]] *[[カール・ヴィルヘルム・シェーレ]] *[[エルネスト・ソルベー]] *[[ソルベー法]] *[[ガラス]] *[[塩基|アルカリ]] === 翻訳元 === *[[:en:Leblanc process]] 2006年12月16日 (土) 13:21 (UTC) の版 == 注釈 == {{notelist}} {{DEFAULTSORT:るふらんほう}} [[Category:無機反応]] [[Category:人名反応]] [[Category:化学工業]]
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