交換子のソースを表示

[[数学]]における'''交換子'''（こうかんし、{{lang-en-short|''commutator''}}）は、[[二項演算]]がどの程度[[交換法則|可換性]]からかけ離れているかを測る指標の役割を果たすものである。考えている代数構造により定義が異なる。物理学、特に[[量子力学]]における交換子の役割については、'''[[交換関係 (量子力学)]]'''の項を参照。

== 群論における交換子 ==
[[群 (数学)|群]] {{mvar|G}} の二つの元 {{math|''g'', ''h''}} の'''交換子'''は
: {{math|1=[''g'', ''h''] = ''g''<sup>&minus;1</sup>''h''<sup>&minus;1</sup>''gh''}}
あるいは
: {{math|1=[''g'', ''h''] = ''ghg''<sup>&minus;1</sup>''h''<sup>&minus;1</sup>}}
で定義される（文献によって異なる。群論の専門家は上の方をよく使う{{要出典|date=2016年5月}}）。交換子がその群の[[単位元]] {{math|1}} に等しいことと、{{math|''g''}} と {{math|''h''}} が互いに可換（つまり {{math|1=''gh'' = ''hg''}}）となることとは同値である。{{math|''G''}} のすべての交換子から生成される {{math|''G''}} の[[部分群]]を、{{math|''G''}} の'''導来群''' {{lang|en|(derived group)}} または[[交換子群]]と呼び、{{math|［''G'', ''G''］}} あるいは {{math|''G''&prime;}} と表記する。注意すべきは、一般には交換子は群演算について閉じていないので、交換子全体の成す集合 {{math|{{(}} ［''x'', ''y''］｜''x'', ''y'' ∈ ''G'' {{)}}}} そのものではなく、それで[[生成 (数学)|生成]]される部分群 {{math|1=〈 ［''x'', ''y''］｜''x'', ''y'' ∈ ''G'' 〉}} を考えなければならないことである。交換子の概念は、[[冪零群]]や[[可解群]]の定義に用いられる。
:{{math|1=［''G'', ''G''］ = 〈 ［''x'', ''y''］｜''x'', ''y'' ∈ ''G'' 〉.}}

=== 群論における恒等関係式 ===
交換子についての関係式は[[群論]]における重要な道具である{{sfn|McKay|2000|p=4}}。以下、''a<sup>x</sup>'' は ''x'' による ''a'' の[[共軛変換]]（共軛元） ''x''<sup>&minus;1</sup>''ax'' を表す。
# <math>x^y = x[x,y].</math>
# <math>[y,x] = [x,y]^{-1}.</math>
# <math>[x y, z] = [x, z]^y [y, z]</math> かつ <math>[x, y z] = [x, z][x, y]^z.</math>
# <math>[x, y^{-1}] = [y, x]^{y^{-1}}</math> かつ <math>[x^{-1}, y] = [y, x]^{x^{-1}}.</math>
# <math>[[x, y^{-1}], z]^y[[y, z^{-1}], x]^z[[z, x^{-1}], y]^x = 1</math> かつ <math>[[x,y],z^x][[z,x],y^z][[y,z],x^y]=1.</math>

最後の 5 番目の式は'''ホール–ヴィットの恒等式''' {{lang|en|(''Hall–Witt identity'')}} として知られるものである。これは環論的な意味での交換子に対する[[ヤコビの恒等式]]（次節の[[#環論における恒等関係式|環論における恒等関係式]]）の群論的な対応物である。

上記の ''x'' による ''a'' の共軛変換の定義は群論の研究者がよく使うものだが、
: ''xax''<sup>&minus;1</sup>
を ''x'' による ''a'' の共軛変換の定義とする（この場合はしばしば <sup>''x''</sup>''a'' と書いたりする）こともよくあるので注意を要する。こちらの定義についても（適当に読み替えを行えば）上述の[[#群論における恒等関係式|群論における恒等関係式]]と同様の関係式が成立する。

特定の部分群で割った剰余群を考えれば、広くさまざまな恒等式が成り立つようにできる。これは[[可解群]]や[[冪零群]]の研究においてとくに有用である。たとえば、任意の群において積の自乗は

:<math> (xy)^2 = x^2y^2[y,x][[y,x],y]</math>

が成り立つという意味でよく振舞う。したがって、[[導来部分群]]が[[中心 (代数学)|群の中心]]に含まれる（中心的）ならば

:<math>(xy)^n = x^n y^n [y,x]^{\binom{n}{2}}</math>

という関係が成り立つ。

== 環論における交換子 ==
[[環 (数学)|環]]または[[結合多元環]]の二つの元 ''a'', ''b'' の'''交換子'''は
: [''a'', ''b''] = ''ab'' &minus; ''ba''
で定義される。交換子 [''a'', ''b''] が [[加法単位元|0]] となるための必要十分な条件は、''a'' と ''b'' とが互いに交換可能であることである。[[線型代数学]]では、ベクトル空間のふたつの自己準同型は、基底をひとつ定めれば（基底のとり方に関わらず）、互いに交換可能な行列によって表される。交換子を[[リー括弧積]]とみなすことにより、任意の結合多元環を[[リー環]]にすることができる。[[ヒルベルト空間]]において定義されるふたつの作用素の交換子は、それらの作用素によって記述されたふたつの[[物理量|観測可能量]]がどの程度よく振舞うかが交換子によって測れるという意味で、[[量子力学]]において重要である。[[不確定性原理]]はこれらの物理量の交換子を[[不確定性関係|ロバートソン–シュレーディンガー関係式]]を通して扱った定理である。

=== 環論における恒等関係式 ===
交換子は以下のような性質を満たす。
* リー環の基本関係式
** <math>[A,A] = 0</math>
** <math>[A,B] = -[B,A]</math>
** <math>[A,[B,C]] + [B,[C,A]] + [C,[A,B]] = 0</math>
*: 二つ目の関係式は反交換性あるいは[[交代性]]と呼ばれるもの、また三番目は[[ヤコビ恒等式]]である。
* その他有用な関係式
** <math> [A,BC] = [A,B]C + B[A,C]</math>
** <math> [AB,C] = A[B,C] + [A,C]B</math>
** <math> [ABC,D] = AB[C,D] + A[B,D]C + [A,D]BC</math>
** <math> [AB,CD] = A[B,CD] +[A,CD]B = A[B,C]D + AC[B,D] +[A,C]DB + C[A,D]B</math>
** <math> [[[A,B], C], D] + [[[B,C], D], A] + [[[C, D], A], B] + [[[D, A], B], C] = [[A, C], [B, D]]</math>
** <math> [AB,C]=A\{B,C\}-\{A,C\}B</math>
*: ただし、{''A'', ''B''} = ''AB'' + ''BA'' は後述の[[#反交換子|反交換子]]である。

環 ''R'' の元 ''A'' を一つ固定して、上に挙げた有用な関係式の最初のものを考えると、これは写像
: <math>D_A\colon R \to R;\quad B \mapsto [A,B] </math>
に対する[[ライプニッツの法則|積の微分法則]]と解釈することができる。言い換えれば、写像 ''D''<sub>''A''</sub> は環 ''R'' 上の[[導分]]（微分作用素）を定める。

[[ベイカー–キャンベル–ハウスドルフの公式]]の特別な場合だが、交換子を用いて書ける次の恒等式
: <math> e^{A}Be^{-A} = B + [A,B] + \frac{1}{2!}[A,[A,B]] + \frac{1}{3!}[A,[A,[A,B]]] + \cdots </math>
は有用である。

== 次数つき交換子 ==
[[次数付き多元環|次数環]]を扱うとき、交換子もしばしば、斉次成分について
: <math>[\omega,\eta]_{\rm gr} := \omega\eta - (-1)^{\deg \omega\cdot \deg \eta} \eta\omega</math>
となるものとして定義される、'''次数付き交換子''' {{lang|en|(''graded commutator'')}} に置き換えられる。

== 導分 ==
多重交換子などを扱う場合などは特に、[[随伴表現]]を使った別の記法
: <math>\operatorname{ad}(x)(y) = [x, y]</math>

を用いたほうが有効なこともある。このとき、ad(''x'') は環の導分（微分作用素）で、"ad" は線型である。つまり、
: <math>\operatorname{ad}(x+y) = \operatorname{ad}(x) + \operatorname{ad}(y),</math>
: <math>\operatorname{ad}(\lambda x) = \lambda\operatorname{ad}(x)</math>
がともに成り立つ。また "ad" は[[リー環準同型]]、つまり
: <math>\operatorname{ad} ([x, y])=[\operatorname{ad} (x), \operatorname{ad}(y)]</math>
を満たすものである。しかし、一般には
: <math>\operatorname{ad}(xy) = \operatorname{ad}(x)\operatorname{ad}(y) </math>
が必ずしも成り立たず、多元環の準同型とは必ずしもならない。

; 例:
:* <math>\operatorname{ad}(x)\operatorname{ad}(x)(y) = [x,[x,y]],</math>
:* <math>\operatorname{ad}(x)\operatorname{ad}(a+b)(y) = [x,[a+b,y]].</math>

== 反交換子 ==
環や結合多元環の二つの元 ''a'', ''b'' の'''反交換子''' {{lang|en|(''anticommutator'')}} は
:<math>\{ a ,~ b\} = ab + ba</math>
で定義される。反交換子は交換子ほど応用範囲が広いわけではないが、たとえば[[クリフォード代数]]や[[ジョルダン代数]]の定義などに用いられる。

== 関連項目 ==<!--項目の50音順-->
{{Div col}}
*{{仮リンク|結合子|en|Associator}}
*[[正準交換関係]]
*{{仮リンク|導分|en|Derivation (abstract algebra)}}
*[[パンシェルル微分]]<!-- パンシェルル or ピンケルレ -->
*[[反交換関係]]
*[[ポアソン括弧]]
*{{仮リンク|モイヤル括弧|en|Moyal bracket}}
{{Div col end}}

==脚注==
{{reflist}}

== 参考文献 ==
*{{citation | last1 = Griffiths | first1 = David J. | author1-link = David J. Griffiths | title=Introduction to Quantum Mechanics | edition = 2nd | publisher=[[:en:Prentice Hall|Prentice Hall]] |year=2004 |isbn=0-13-805326-X}}
*{{citation | last1=Liboff | first1=Richard L. | author1-link = Richard L. Liboff | title=Introductory Quantum Mechanics | publisher=Addison-Wesley | year=2002 | isbn=0-8053-8714-5}}
*{{Citation | last1=McKay | first1=Susan | title=Finite p-groups | publisher=University of London | series=Queen Mary Maths Notes | isbn=978-0-902480-17-9 | id={{MathSciNet | id = 1802994}} | year=2000 | volume=18}}

== 外部リンク ==
*{{Kotobank|交換子|2=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典}}
*{{MathWorld|title=Anticommutator|urlname=Anticommutator}}
*{{MathWorld|title=Commutator|urlname=Commutator|last=Rowland|first=Todd|last2=Weisstein|first2=Eric W.}}
*{{MathWorld|title=Commutator Subgroup|urlname=CommutatorSubgroup|last=Rowland|first=Todd}}
*{{MathWorld|title=Lie Algebra Commutator Series|urlname=LieAlgebraCommutatorSeries|last=Rowland|first=Todd}}

{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:こうかんし}}<!--カテゴリの50音順-->
[[Category:環論]]
[[Category:群論]]
[[Category:数学に関する記事]]
[[Category:抽象代数学]]
[[Category:二項演算]]