無限の猿定理のソースを表示

[[ファイル:monkey-typing.jpg|thumb|250px|[[チンパンジー]]が十分に長い時間の間、でたらめにタイプライターのキーを叩き続けたと仮定すると、打ち出されるものは[[ほとんど (数学)|ほとんど確実に]]シェイクスピアのある戯曲（なにか他の作品でもよい）を含むことになる。]]
'''無限の猿定理'''（むげんのさるていり、{{lang-en|infinite monkey theorem}}）とは、十分長い時間をかけてランダムに文字列を作り続ければ、どんな文字列も[[ほとんど (数学)#ほとんど確実に|ほとんど確実に]]できあがるという定理である。比喩的に「[[猿]]が[[タイプライター]]の鍵盤をいつまでも[[ランダム]]に叩きつづければ、[[ウィリアム・シェイクスピア]]の作品を打ち出す」などと表現されるため、この名がある。

== 概要 ==
この「定理」は、巨大だが有限な数を想像することで無限に関する理論を扱うことの危険性、および無限を想像することによって巨大な数を扱うことの危険性について示唆を与える。猿の打鍵によって所望の[[テキスト]]が得られる[[確率]]は、たとえば『[[ハムレット]]』くらいの長さのものになると、極めて小さくなる。[[宇宙の年齢]]に匹敵する時間をかけても、実際にそういったことが起こる見込みはほとんどない。しかし、定理は「十分長い」時間をかければ「ほとんど確実」にそうなる、と主張する。

この定理をたとえる話にはさまざまなバリエーションが存在する。タイピストを複数、さらには無限の数にまで拡張しているものもあり、目標とする文章量を図書館の蔵書すべてとするものから、たったひとつの文とするものまである。定理が厳密に記述されるよりもずっと前から、実質的に定理に関連する着想を多くの者が得ている。その歴史は[[アリストテレス]]『生成消滅論』や[[マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]『神々の本性について』にまでさかのぼり、[[ブレーズ・パスカル]]、[[ジョナサン・スウィフト]]らを経て、タイプライターを小道具に用いる現代の諸命題にまで連なる。20世紀初め、[[エミール・ボレル]]と[[アーサー・エディントン]]は、<!-- ??? 以下は誤訳っぽい -->[[統計力学]]の基礎における暗黙のタイムスケールについて説明するために、この定理を用いた。また、キリスト教{{仮リンク|護教論者|en|Christian apologists}}（[[創造論]]者）と[[リチャード・ドーキンス]]の双方が、この定理の猿を[[進化]]のたとえとして用いることは妥当だと主張している。

現代においても、打鍵する猿への大衆的な関心が止むことはなく<!-- ちょっとおおげさ -->、数多の文学作品、テレビやラジオ、音楽、インターネット上で取り上げられ続けている。2003年、6匹の[[クロザル]]を使った実験が行われたが、この猿たちが文学界にもたらしたものは、ほとんど「S」の字だけからなる5ページのテクストのみであった。

== 「定理」の数学的な解釈 ==
定理の主張に含まれる「十分長い」、「[[ほとんど (数学)|ほとんど確実]]」といった言葉は[[確率論]]およびその基礎となる[[解析学]]において厳密に定義された用語であり、したがって定理の主張は数学的に意味のある主張である。ただし「ほとんど確実に」という言葉は[[測度論]]に基づく確率論で用いられる語であり、主張の内容を正確に理解したり証明したりするには測度論を必要とする。証明には{{仮リンク|ボレル-カンテリの補題|en|Borel-Cantelli lemma}}を用いる。

ここではそのような厳密な議論には立ち入らず、この定理の言わんとすることを初等的に考察してみる。話を簡単にするため、タイプライターのキーがちょうど100個あるとする (この数は実際の[[キー配列]]での数に近い)。例えば「monkey」という1単語からなる文章は全部で6文字あるので、ランダムにキーを叩いて、「monkey」とタイプされる[[確率]]は、

<math>\begin{align} \frac{1}{100} \times \frac{1}{100} \times \frac{1}{100} \times \frac{1}{100} \times \frac{1}{100} \times \frac{1}{100} &= \left( \frac{1}{100} \right)^6 &=\frac{1}{1000000000000}\end{align}</math> (1兆分の1)

である (ここでは、タイプの一様性と独立性を仮定している)。これは非常に小さな確率であるが、0ではないため、猿が「ランダムに6個のキーを打つ」という操作を非常に多くの回数繰り返せば「monkey」という文字列がタイプされる確率は100%に非常に近くなる。

文章中の文字数が7つ、8つと増えるごとに、その文章が打たれる確率は減ってゆくが、いずれにせよ0にはならないから、7文字の文章であろうと8文字の文章であろうと、根気よくランダムにキーを打ち続ければ、いつかはその文章が打たれることになる。同様に考えれば、一冊に何万もの文字を含むシェイクスピアの著作であっても、いずれは打ち出されることになるのである。

しかし、文章が含む文字の数が増えれば増えるほど、その文章が打たれる確率は[[指数関数]]的に減少し、そのような文字列が現れるのに必要な時間の期待値はとてつもない速度で上昇していくことにも注意しなければならない（[[指数関数時間]]を参照）。例えば仮に1秒間に10万文字打てるとしても、たった100文字の文章を登場させるのに要する時間は100億年の1[[無量大数]]倍の1000京倍（すなわち10<sup>97</sup>年）にもなる。まして、猿が『[[ハムレット]]』一冊を打つのにかかる時間は途方もない長さである。このように、理論上は有限の時間で猿はどんな文章でも打てるが、そのために要する時間は想像を絶するほど大きなものである。

このように人間の直観的にはあり得ないと思えるが、数学の定理上において無限の猿定理は当たり前に成り立つ解釈でもある。

ハムレットを20万文字と仮定すれば、それが打たれる確率は100分の1を20万乗した値となる。その分母である100<sup>200000</sup>は[[グラハム数|、グラハム数]]と比べれば[[ゼロ]]に近いほど小さい数値である。そして「十分長い」とはその[[グラハム数]]すらゼロに近いほど大きい数値を定義している。そのため、確率分母100<sup>200000</sup>はあっという間に飲み込まれてしまう。そのため、ハムレットは「十分長い」時間の中で[[ほとんど確実に]]猿にタイプライターで打たれることになる。<!--
簡単のため、[[約物]]やスペースを省き、大文字と小文字の区別を度外視して考える。猿が一貫してランダムに英文タイプライターで文字を打つとすれば、『ハムレット』の最初の文字は26回に1回の割合で打ち出される。最初の2文字なら676 (= 26×26) 回に1回の割合となる。このように、確率は[[指数関数|指数関数的]]に減少し、20文字目にはわずか 26<sup>20</sup> = 19,928,148,895,209,409,152,340,197,376回 (およそ 2 × 10<sup>28</sup>回) に1回となる。『ハムレット』の全テクストでは、確率はきわめて僅かなものとなり、通常の感覚では無に等しい。『ハムレット』のテクストが130,000文字を含んでいるとすると (実際には、約物を省いてももっと多い)、1回の試行で完全なテクストが得られる確率は 3.4 × 10<sup>183,946</sup> 分の1となる。テクストが得られるまでの平均の打鍵回数も、3.4 × 10<sup>183,946</sup>回となる<ref>AからZまでのアルファベットの集合から長さ130,000の所望の文字列を得るために打たなければならない文字数の平均は、(およそ) 3.4 × 10<sup>183,946</sup> となる。ただし、所望の文字列の文字がすべて等しい場合は別である。この場合、平均値はおよそ4パーセント増え、3.6 × 10<sup>183,946</sup>となる。この場合、ある位置で正しい文字から始まっていないと、次の位置に正しい文字が現れる確率が4パーセント減少する (つまり、位置が重なり合う場合、正しい文字列が現れるという事象が独立でなくなり、2回の成功の間に正の相関が生じる。そのため、(??? 誤訳???)失敗の後の成功は単なる成功よりも起こりにくくなる)。</ref>。-->
<!--
以上の内容をあえて数学的に厳密に書くと、
*各々の文字が一様に分布している無限文字列が一つ与えられたとき、任意の有限文字列はほとんど確実にどこかに存在する。しかも、実際には無数の場所に存在する。
*各々の文字が一様に分布している無限文字列が無限個与えられたとき、任意の有限文字列はほとんど確実に無限文字列のどれかの先頭に存在する。しかも、実際には無限個の文字列の先頭に存在する。
という事になるが、これらはいずれも{{仮リンク|ボレル-カンテッリの補題|en|Borel-Cantelli lemma|label=ボレル-カンテッリの第二の補題}}より直ちに導かれる。2つ目の定理を導くためには、補題において ''n'' 番目の文字列が与えられた有限列で始まるという事象を ''E''<sub>''n''</sub> とすればよい。''E''<sub>''n''</sub> はみな独立であり、その事象が起こる確率 ''p'' は 0 ではないので
{{Indent|<math>\sum_{n=1}^\infty P(E_n) = \sum_{n=1}^\infty p = \infty</math>}}
となる。よって、補題より無限の ''E''<sub>''n''</sub> が起こる確率は 1 である。1つ目の定理も同様に示せる。一つの無限列を、望む有限列の長さに切り分けて、''n'' 個目のブロックがその有限列に一致するという事象を ''E''<sub>''n''</sub> とすればよい<ref>最初の定理の証明として、似通っているがより間接的な筋道をたどるものが次に見える。{{cite book |last=Gut |first=Allan |title=Probability: A Graduate Course |year=2005 |publisher=Springer |id=ISBN 0387228330 |pages=97100}}</ref>。
-->

== 歴史 ==
=== 起源 ===
打鍵する猿の観念は (それが猿のたとえで表現されるかどうかはともかく) 古くから知られていた。

[[ファイル:Thomas Henry Huxley - Project Gutenberg eText 16935.jpg|thumb|right|200px|[[トマス・ヘンリー・ハクスリー|トマス・ハクスリー]]が{{仮リンク|サミュエル・ウィルバーフォース|en|Samuel Wilberforce}}との論争の際にこの理論の一変種を提唱したと言われることがあるが、誤りである。]]
[[ジェームズ・ジーンズ]]は、1931年の著書 “''The Mysterious Universe''” で、猿の[[たとえ話]]の起源は「ハクスリー」(おそらく[[トマス・ヘンリー・ハクスリー]]を指すのであろう) にあるとした。これは誤りである<ref>{{cite journal |first=Thanu |last=Padmanabhan |title=The dark side of astronomy |journal=Nature |volume=435 |pages=2021 |year=2005 |doi=10.1038/435020a}} {{cite book |author=Platt, Suzy; Library of Congress Congressional Research Service |title=Respectfully quoted: a dictionary of quotations |year=1993 |publisher=Barnes & Noble |id=ISBN 0880297689|pages=388389}}</ref>。今日ではさらに、つぎのように言われることもある——[[1860年]][[6月30日]]に、[[オックスフォード]]で開催された{{仮リンク|イギリス科学振興協会|en|British Association for the Advancement of Science}}でハクスリーが[[チャールズ・ダーウィン]]の『[[種の起源]]』をめぐり国教会オックスフォード主教{{仮リンク|サミュエル・ウィルバーフォース|en|Samuel Wilberforce}}と交わした伝説的な論争 ([[1860年オックスフォード進化論争]]) の際に、ハクスリーが例として引いたのだ、と。この逸話は根拠に乏しいばかりか、1860年代にはタイプライター自体がまだ出現していなかったという事実があるため、信じがたい<ref>{{cite book |first=Nicholas |last=Rescher |title=Studies in the Philosophy of Science |year=2006 |publisher=ontos verlag |id=ISBN 3938793201 |pages=103}}</ref>。霊長類の扱いは、別の理由で論議の的となっていたのである<!-- Primates were still a sensitive topic for other reasons, and -->。ハクスリーとウィルバーフォースの論争には、猿に関わるこんな一幕があった——主教<!-- bishop -->は祖母と祖父どちらの家系から猿の血を引いているのかとハクスリーに問うた。ハクスリーは、主教どののように不正直な弁論をなさる御仁の血よりは猿の血を引く方がましとの旨を答えた<ref>{{cite journal|last=Lucas|first=J. R.|month=June|year=1979|title=Wilberforce and Huxley: A Legendary Encounter|journal=The Historical Journal|volume=22|issue=2|pages=313330}} 次の場所でも読める。[http://users.ox.ac.uk/~jrlucas/legend.html], Retrieved on [[2007年]][[3月7日]]</ref>。

[[アルゼンチン]]の作家[[ホルヘ・ルイス・ボルヘス|ボルヘス]]は、[[1939年]]の「完全な図書館」(''{{lang|es|La biblioteca total}}'') と題したエッセイで、無限猿の観念<!-- + -->の歴史<!-- /+ -->を[[アリストテレス]]まで遡って論じた<!-- traced -->。『[[形而上学 (アリストテレス)|形而上学]]』(''{{lang|el|μεταφυσικ}}'') でアリストテレスは、[[原子論|原子]]（アトム）のランダムな組み合わせによって世界が現出するという[[レウキッポス]]の見かたを紹介し、原子自体はそれぞれ類似的<!-- (ホモイア) -->だが、形態<!-- (スケーマ) -->、配列<!-- (タクシス) -->、位置<!-- (テシス) -->の差別<!-- (ディアフォラ) -->が起こりうるのだと説明している。また彼は『生成消滅論』(''{{lang|el|περ γενσεω και φθορ}}'', ''{{lang|la|De generatione et corruptione}}'') で、この考えかたを同じような「原子」つまりアルファベットの文字から悲劇でも喜劇でも作り出せるということにたとえている<ref>{{cite book|和書
| author = アリストテレス
| title = 生成消滅論
| pages = 315b14
}}所収{{cite book|和書
| title = アリストテレス全集
| volume = 4
| others = 戸塚七郎訳
| publisher = 岩波書店
| year = 1968
| month = Aug.
| pages = p.241
}}</ref>。3世紀後の[[マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]は『神々の本性について』(''{{lang|la|De natura deorum}}'') で、このような原子論者の世界観に反駁した。

{{quote|しかし、そのこと〔粒子の偶然の衝突で宇宙が誕生したということ〕が起こりえたと考える者は、どうして次のことに考えが至らないのか、わたしは理解に苦しむ。すなわち、黄金製であれ何であれ、二十一種類<ref>〔引用者注〕当時のラテン文字ではIとJ、UとVは区別されず、W、Y、Zはなかったため、字の種類は21となる。詳細は[[ラテン文字]]を参照。</ref>のアルファベットの文字を数えきれないほど集めて何かある容器の中に投げ込み、それらを攪拌して地面に投げ出すと、たとえばエンニウスの『年代記』のように、読者にとってちゃんと読める形になって並ぶとはどうして考えないのか。もっとも、わたしは、幸運の助けを借りたとしても、たった一行の詩句さえまともにできるかどうか、いぶかしく思っているのだが。|<ref>{{cite book|和書
| last = キケロー
| first = マルクス・トゥッリウス
| title = 神々の本性について
| others = 山下太郎訳
| pages = 2巻37 (93節)
}}底本 {{cite book
| last = Mayor
| first = J. B.
| title = M. Tulli Ciceronis De Natura Deorum Libri III
| publisher = Cambridge
| year = 1883-91
}} 所収{{cite book|和書
| title = キケロー選集
| volume = 11
| year = 2000
| month = Dec.
| publisher = 岩波書店
| id = ISBN 4-00-092261-0
| pages = p.148
}}<!-- Marcus Tullius Cicero, ''De natura deorum'', 2.37. Translation from ''Cicero's Tusculan Disputations; Also, Treatises On The Nature Of The Gods, And On The Commonwealth'', C. D. Yonge, principal translator, New York, Harper & Brothers Publishers, Franklin Square. (1877).  --></ref> 山下太郎訳。亀甲括弧内は引用者が補った。}}

ボルヘスはこの主張の歴史を辿って[[ブレーズ・パスカル]]や[[ジョナサン・スウィフト]]に触れるなかで、彼の時代には言い回しが変化しているのを認めた。1939年当時、この成句は「六匹の猿でも筆記用具<ref>〔引用者注〕原文は{{lang|es|mquinas de escribir}}で「タイプライター」の意。</ref>さえあてがわれれば、遼遠なる未来には大英博物館の全蔵書を書き上げるであろう」となっていたという（ボルヘスは「厳密には、不死の猿一匹で充分であろう」と付け足している）<ref name="biblioteca_total" />。

=== 浸透 ===
<!-- {{main|Infinite monkey theorem in popular culture}} -->
無限の猿定理とそれが喚起するイメージは、確率の数理を[[大衆文化|一般向け]]に解説する際の[[ことわざ|常套句]]となったため、教育現場でよりはむしろ[[大衆文化]]を通じて広く知られるようになった<ref>この定理を常套句として使っている例としてはつぎのようなものがある。{{cite book|和書 |first=ノーバート |last=[[ノーバート・ウィーナー|ウィーナー]] |title=発明 |year=1994 |month=Jul. |origdate=Jun. 1954 |others=鎮目恭夫訳 |publisher=みすず書房 |id=ISBN 4-622-03952-4 |pages=pp.115f |quote=〔…〕真に重要な新しいアイディアが、低級な人間活動の多数参加と、既存の数々のアイディアを、その選択を第一級の頭脳が指導することなしに、偶然的に組み合わすことによって得られると期待することは、サルとタイプライターの愚のもうひとつの形態である。〔…中略…〕そのサルとは、現代の大研究所で働く科学者たちの多くを言い換えたものにほかならない〔…〕}} (原著{{cite book |title=Invention: The Care and Feeding of Ideas |first=Norbert |last=Wiener |others=introduction by Steve Joshua Heims |year=1993 |publisher=Massachusetts Institute of Technology}})。また、{{cite book |title=The Case of the Midwife Toad |author=[[アーサー・ケストラー|Arthur Koestler]] |location=New York |year=1972 |pages=p.30 |quote=実際、[[新ダーウィン主義]]は19世紀唯物論の刻印をとどめているが故に、限界に突き当たっている——まぐれ当たりに適切なキーを叩き当ててシェイクスピアのソネットを生み出せると主張する、タイプライターを前にした猿についての俚諺のようなものである。}}([http://www.angelfire.com/in/hypnosonic/Parable_of_the_Monkeys.html The Parable of the Monkeys]より翻訳重引)。ケストラーはこれに先立つ『[[機械の中の幽霊]]』（1967年）でも、当時の新ダーウィン主義を機械論的、還元主義的な「猿とタイプライター」の理論であると評している（8-12章）。また、{{cite journal|author=Jonathan W. Schooler, Sonya Dougal|year=1999|title=Why Creativity Is Not like the Proverbial Typing Monkey|journal=Psychological Inquiry|volume=Vol. 10|issue=No. 4}} 標題は「創造性を打鍵する猿にたとえられないわけ」。</ref>。

ホフマン (Hoffmann) とホフマン (Hofmann) は、2001年の論文「猿とタイプライターとネットワークと——偶発的卓越性の理論から見たインターネット」の序章で、この定理が地道にしかし広く一般にひろまっていることを注意した<!-- The enduring, widespread and popular nature of the knowledge of the theorem was noted in the introduction to a 2001 paper, "Monkeys, Typewriters and Networks  the Internet in the Light of the Theory of Accidental Excellence" (Hoffmann and Hofmann). --><ref>{{citation
| url = http://skylla.wz-berlin.de/pdf/2002/ii02-101.pdf
| title = Monkeys, Typewriters and Networks
| author = Ute Hoffmann & Jeanette Hofmann
| publisher = Wissenschaftszentrum Berlin fr Sozialforschung gGmbH (WZB)
| year = 2001
}}{{en icon}}. {{cite book
| chapter = Monkeys, Typewriters and Networks. Das Internet im Lichte der Theorie akzidentieller Exzellenz
| title = Wo wren wir ohne die Verrckten? Zur Rolle von Auenseitern in Wissenschaft, Politik und Wirtschaft
| editor = Berthoin Antal, Ariane and Camilla Krebsbach-Gnath (eds.)
| location = Berlin
| publisher = edition sigma
| year = 2001
| pages = pp. 119-140
}}{{de icon}}</ref>。2002年の[[ワシントン・ポスト]]紙の記事にはこうある——「少なからぬ人々が、無限の数の猿が無限の数のタイプライターで無限の時間をかければ、いつかシェイクスピアの作品ができあがるかもしれないという考えを楽しんでいる」<ref>[https://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A28521-2002Oct27?language=printer "Hello? This is Bob"], Ken Ringle, ''Washington Post'', 28 October 2002, page C01.</ref>。2003年、前述の[[Arts Council England|Arts Council]]が実在の猿とコンピュータのキーボードを使った実験に出資し、このことは広く報道された<ref>[http://www.vivaria.net/experiments/notes/documentation/press/ Notes Towards the Complete Works of Shakespeare]  some press clippings.</ref>。2007年、『[[WIRED (雑誌)|WIRED]]』誌はこの定理を「史上8大[[思考実験]]」のひとつに挙げた<ref>[http://www.wired.com/science/discoveries/magazine/15-06/st_best The Best Thought Experiments: Schrdinger's Cat, Borel's Monkeys], Greta Lorge, Wired Magazine: Issue 15.06, May 2007.</ref>。

== 使用例と論争 ==
=== 文学 ===
==== 文学理論 ====
[[R・G・コリングウッド]]は1938年、芸術は偶然によっては生み出されないと主張し、彼の批評家たちへの皮肉をこめ<!-- た余談とし -->て次のように書いた。

{{quote|〔…〕ある者は、猿がタイプライターをいじくっているうちに〔…〕シェイクスピアの完全なテクストを生み出すことはあると指摘し、この提案を受け入れなかった。暇をもてあましている読者は、なぐさみに、この確率が意味のある大きさになるまでにいったいどのくらい時間がかかるものか、計算してみるとよい。しかし、この提言の関心はそこにはない。人間が書物のページに印刷された文字の列をシェイクスピアの「作品」と一致するとみなす際の心的状態を明らかにしようとするところにある。|<ref>p.126 of ''The Principles of Art'', as summarized and quoted by {{cite journal |first=Richard J. |last=Sclafani |title=The logical primitiveness of the concept of a work of art |journal=British Journal of Aesthetics |year=1975 |volume=15 |issue=1 |doi=10.1093/bjaesthetics/15.1.14 |pages=14}}</ref>}}

[[ネルソン・グッドマン]]は逆の立場をとる。キャサリン・エルギンやボルヘス『[[『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール|『ドン・キホーテ』の著者ピエール・メナール]]』の例を引いて、次のように論点を述べた。

{{quote|メナールが書いたものは、テクストの別稿であるにすぎない。われわれのだれにでも同じことができる。輪転機や複写機にもできる。よくこう言うではないか——無限に多くの猿がいて〔…〕いつかその一匹がテクストの複製を生み出す、と。われわれの手になるこの複製は、セルバンテスの手稿にも、メナールの手稿にも、これまでに印刷された書物の一冊一冊にもひけをとらない『ドン・キホーテ』という作品の実物なのだ。|<ref>{{cite book |author=John, Eileen and Dominic Lopes, editors |title=The Philosophy of Literature: Contemporary and Classic Readings: An Anthology |year=2004 |publisher=Blackwell |id=ISBN 1-4051-1208-5 |pages=96}}</ref>}}<!-- 訳者コメント: このひと、ボルヘスの文章を読んでなかったのかね。 -->

別の著書でグッドマンは自説をさらに敷衍している。「猿がでたらめに複写物を作り出すと考えても、かわりはない。それは同じテクストである。それはどこをとっても同じ解釈を受ける。〔…〕」[[ジェラール・ジュネット]]はグッドマンの主張に疑問を呈し、これを退けている<ref>{{cite book |first=Grard |last= Genette |title=The Work of Art: Immanence and Transcendence |year=1997 |publisher=Cornell UP |id=ISBN 0801482720}}</ref>。

{{仮リンク|ホルヘ・グラシア|en|Jorge J. E. Gracia}}によれば、テクストの同一性に対する疑義はさらなる疑義を呼び起こす。[[作者]]というものへの疑義である。猿は『ハムレット』の意味を理解できないがゆえに、作者としては不適格である。にもかかわらず『ハムレット』を打ち出す能力を持てばよいのであれば、テクストに作者などいらなくなる。これに対する解答のひとつは、テクストを発見しそれが『ハムレット』と一致することを認めた者が作者である、と言うことである。あるいは、シェイクスピアが作者であり、猿はその代行者で、テクストを発見する者はテクストの利用者にすぎない、と言うこともできる。これらの解答には難点がある。テクストが、それに関わる者たちとは無関係に意味を持ってしまうのである——シェイクスピアが生まれるより前に猿が作業していたら、いったいどうなるのか。あるいは、シェイクスピアなどこれまで生まれたこともなかったとしたら、どうなるのか。猿が打った原稿を誰も発見してくれなかったらどうか<ref>{{cite book |last=Gracia |first=Jorge |title=Texts: Ontological Status, Identity, Author, Audience |year=1996 |publisher=SUNY Press |id=ISBN 0-7914-2901-6 |pages=12, 122125}}</ref>。

==== ボルヘス ====
[[ファイル:JorgeLuisBorges002.JPG|thumb|right|[[ホルヘ・ルイス・ボルヘス]]は「完全な図書館」の観念の歴史を跡づけた。]]
[[ホルヘ・ルイス・ボルヘス|ボルヘス]]は『完全な図書館』の中で、「完全な図書館」の企てが最高潮に達したときに生み出されるであろうもの<!-- content ... produced -->を想い描く。

{{quote|その目もくらむほどの蔵書のなかにはすべてのものがあるだろう。すべてのもの——未来の詳細な歴史、[[救いを求める女たち (アイスキュロス)|アイスキュロスの『エジプト人』]]、ガンジス河の水が空飛ぶ鷹の影を映した正確な回数、ローマの隠された真実の名称、ノヴァーリスが編集したであろう百科辞典、一九三四年八月十四日の夜明けにわたしが見た夢と夢の中の夢、[[フェルマーの定理|ピエール・フェルマの定理]]の証明、『エドウィン・ドルード』の書かれざる数章、その同じ数章の、ガラマンテス族がしゃべっていた言語への翻訳、バークリーが時間について考えた未発表の逆説、ユリゼンの鉄の書、千年の周期がめぐらぬうちはなにも告げようとしないであろう、[[ユリシーズ|スティーヴン・ディーダラス]]の早過ぎた顕現（エピファニア）、バシレイデスのグノーシス的福音、シレーヌたちが歌った歌、全蔵書の忠実な目録、その目録の誤謬表。すべてのものがあるが、理にかなった一行あるいは正しい情報一つのために、何百万というばかげた同音重複、言葉のごたまぜ、支離滅裂があるだろう。すべてのものがあるが、もしかしたらこの目くるめくばかりの書棚——昼なお暗く、混沌を孕んでいる書棚——が、読むにたえるただの一ページとして与えてくれないうちに、何世代もの人間が死んでゆくかもしれない。<ref>〔引用者注〕[[アイスキュロス]]『アイギュプティオイ』(『エジプト人』) は現存しない。[[ピエール・ド・フェルマー]] (フェルマ) が書き遺した定理については[[フェルマーの最終定理]]を参照。『{{仮リンク|エドウィン・ドルードの謎|en|The Mystery of Edwin Drood}}』(''The Mystery of Edwin Drood'') は[[チャールズ・ディケンズ]]の未完の小説。バークリーについては[[ジョージ・バークリー]]を参照。[[ウィリアム・ブレイク]]の作品では[[ユリゼン]]の「第一の書」のみが書かれている。スティーヴン・ディーダラスは[[ジェイムズ・ジョイス]]『[[ユリシーズ]]』の登場人物。ほかに次の各項目も参照。[[ガンジス川]]、[[ローマ]]、[[バシレイデース]] (バシレイデス)、[[ノヴァーリス]]、[[セイレーン]] (シレーヌ)。</ref>|<ref name="biblioteca_total">{{cite book|和書
| first = ホルヘ・ルイス
| last = ボルヘス
| authorlink = ホルヘ・ルイス・ボルヘス
| title = [[完全な図書館]]
| others = 土岐恒二訳
| journal = ちくま
| issue = 45
| year = 1973
| month = Jan.
| origdate = August 1939
| pages = 14-16
| publisher = 筑摩書房
}}、原著 {{cite journal
| last = Borges
| first = Jorge Luis
| title = La biblioteca total
| journal = Sur
| issue = No. 59
| date = Agosto de 1939
}}</ref> 土岐恒二訳。}}

ボルヘスの完全な図書館の観念は、よく知られた<!-- widely-read -->1941年の短篇『[[バベルの図書館]]』(''{{lang|es|La biblioteca de Babel}}'') の主題となっている。ここで描かれるのは、六角形の部屋が無数につながってできた想像を絶する規模の図書館であり、アルファベットと若干の句読記号でもって書かれうるどんな書物でも、そのどこかに納まっているとされている。

==== その他の文学作品 ====
; [[ジョナサン・スウィフト]]『[[ガリヴァー旅行記]]』(1726年)
: ガリヴァーはバルニバービに立ち寄った際に「どんな無知な人間でも〔…〕立派に哲学や詩や政治や法律や数学や神学に関する書物が書ける」というふれこみの[[ザ・エンジン|装置(ザ・エンジン）]]を見学する。装置には同国の言語のあらゆる単語が収納されており、それらを機械的に組み合わせて文章らしきものを作り出す。装置の発明者は、これを書き写していけば「すべての技術と学問に関する完全な百科全書」ができると考えている<ref>{{cite book|和書
| first = ジョナサン
| last = スウィフト
| title = ガリヴァー旅行記
| others = 平井正穂訳
| publisher = 岩波書店
| series = 岩波文庫
| year = 1980
| month = Oct.
| origyear = 1726
| volume = 第三篇「ラピュータ、バルニバービ、ラグナグ、グラブダブドリッブおよび日本への渡航記」
| pages = pp.253f
| id = ISBN 4-00-322093-5
}}</ref>。スウィフトはこの描写によって、実社会の役に立たない研究に没頭する当時の科学界を風刺している。同様の着想は彼のエッセイ『精神の諸能力に関する俗説』にも見られる{{要出典|date=2008年10月}}。
; [[ルイス・キャロル]]『[[シルヴィーとブルーノ|シルヴィーとブルーノ・完結篇]]』(1893年)
: 歓送会で、出席者たちは悲しい現実に気づく。&mdash;&mdash;世界が当分のあいだ続くのだとすると、いずれあらゆる旋律が奏で尽くされ、あらゆる駄洒落が言い尽くされるときがくる。人々は「どんな本を書こうか」ではなく「どの本を書こうか」と考えるようになるだろう。言語の語の数は有限なのだから<ref>{{cite book
| first = Lewis | last = Carroll
| year = 1893
| title = Sylvie and Bruno Concluded
}} 所収 {{cite book
| first = Lewis | last = Carroll
| year = 1939 (reprinted in 1989)
| origyear = 1832-1898
| title = The Complete Works of Lewis Carroll
| location = London
| publisher = Nonesuch Press
| p. 537
}}</ref>。
;[[スタニスワフ・レム]]『{{仮リンク|宇宙創世記ロボットの旅|pl|Cyberiada|en|Cyberiad}}』(1965年)
:世界のすべてをロボットが埋めた遙か未来、主人公の宙道士は宇宙盗賊に捕まり、「この世界の真実の情報すべてを引き渡せ」と迫られる。彼らは「二流の悪魔」([[マックスウェルの悪魔]]の一種) を与える。それは[[気体]][[分子]]の配置を符号化し、その中から真実の情報だけを取り出して[[紙テープ#記録媒体としての紙テープ|紙テープ]]に出力するものであった。盗賊は限りなく吐き出される紙テープの山に埋もれてしまう<ref>{{cite book|和書
| first = スタニスワフ
| last = レム
| title = 宇宙創世記ロボットの旅
| chapter = 盗賊『馬面』氏の高望み
| others = 吉上昭三・村手義治訳
| year = 1973
| origyear = 1967
| publisher = 集英社
}}原著 {{cite book
| first = Stanisaw
| last = Lem
| title = Cyberiada
| year = 1968
}}</ref>。
<!-- 未見。資料確認までコメントアウト。
; [[トム・ストッパード]]『[[ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ]]』(1966年)
: なんかとりあげられてるっぽい。
-->
; [[ミヒャエル・エンデ]]『[[はてしない物語]]』(1979年)
: バスチアンはファンタージエンの帝位を追われ、「元帝王たちの都」にたどり着く。そこで灰色の猿アーガックスに案内され「出まかせ遊び」を見せられる。6つの面に文字の書かれた[[さいころ]]をでたらめにならべる遊びで、都の住人はこれに熱中している。アーガックスが皮肉混じりに解説する。{{quote|だがね、長いことやってると——ま、何年もやってるとだな、ときには偶然、ことばになることがある。とくに深い意味をもったことばではないにしろ、ことばはことばだ。〔…中略…〕永久につづけてりゃ、そもそも可能なかぎりのあらゆる詩、あらゆる物語ができるってわけだ。そればかりじゃない。物語についての物語も、それから、おれたちが今ここで出てきている、この物語もだ。な、理の当然だろ？ ちがうかい？|<ref>{{cite book|和書
| first = ミヒャエル
| last = エンデ
| title = はてしない物語
| others = 上田真而子・佐藤真理子訳
| publisher = 岩波書店
| year = 1982
| month = Jun.
| origyear = 1979
| pages = p.506
| id = ISBN 4-00-110981-6
}}原著{{cite book
| title = Die Unendliche Geschichie
| first = Michael
| last = Ende
| year = 1979
| publisher = K. Thienemanns verlag
| location = Stuttgart
}}</ref> 上田真而子・佐藤真理子訳。}}
; [[ダグラス・アダムス]]『[[銀河ヒッチハイク・ガイド]]』(1979年)
: アーサーとフォードはヴォゴン人によって宇宙空間に放り出されるが、間一髪、〈黄金の心〉号（あらゆる不可能を可能にすることで[[ワープ]]を行う「無限不可能性ドライブ」を搭載した初の宇宙船）に救助された。その際、無限不可能性ドライブの作用によって船内に「無限の数の猿」が出現し、『ハムレット』の台本ができあがったので話がしたいと二人にせがむ<ref>{{cite book|和書
| first = ダグラス
| last = アダムス
| title = 銀河ヒッチハイク・ガイド
| others = 安原和見訳
| publisher = 河出書房新社
| series = 河出文庫
| year = 2005
| month = Sep.
| origyear = 1979, 2001年
| id = ISBN 4-309-46255-3
| pages = p.115
}}</ref>。
<!-- 未見。資料確認までコメントアウト。
; [[マット・グレイニング]]『[[ザ・シンプソンズ]]』(19XX年)
: [[:en:Last Exit to Springfield]]の回にネタとしてででてくるっぽい。
-->

この他、[[R・A・ラファティ]]の短編「寿限無、寿限無」（1970年）<ref>{{cite book|和書   
| first = R・A   
| last = ラファティ   
| title = 寿限無、寿限無（『どろぼう熊の惑星』収録）   
| others = [[浅倉久志]]訳   
| publisher = 早川書房   
| year = 1993   
| month =    
| origyear = 1970   
| pages =    
| id = ISBN 4-15-011009-3    
}}</ref>やラッセル・マロニーの短編『頑固な論理』<ref>{{cite book|和書
| first = ラッセル
| last = マロニー   
| title = 頑固な論理（『第四次元の小説』収録）   
| others = [[三浦朱門]]訳   
| publisher = 小学館
| year = 1994
| month =    
| origyear = <!-- 不明 -->
| pages =    
| id = ISBN 4-09-251006-3    
}}</ref>は、この定理自身がメイン・プロットとなっている作品である。

=== 宗教 ===
Doug Powellはキリスト教{{仮リンク|護教論者|en|Christian apologist}}の立場から、仮に猿が偶然『ハムレット』にある文字を打ち出すとしても、それを伝達する意志を持つことがないから、『ハムレット』そのものを生み出すことはできない、と論じた。彼は同時に、自然法則は[[デオキシリボ核酸|DNA]]が担っている情報を生み出すこともできなかったと述べている<ref>{{cite book |last=Powell |first=Doug |title=Holman Quicksource Guide to Christian Apologetics |year=2006 |publisher=Broadman & Holman |id=ISBN 080549460X |pages=60, 63}}</ref>。[[ジョン・F・マッカーサー]]師はより一般化された主張をしている。彼は、突然変異によってアメーバから絛虫が生み出されることは、猿がハムレットの独白を打ち出すことと同じくらいありそうになく、ゆえに進化論はあまりにも見込みが低い説である、と主張した<ref>{{cite book |first=John |last=MacArthur |title=Think Biblically!: Recovering a Christian Worldview |year=2003 |publisher=Crossway Books |id=ISBN 1581344120 |pages=7879}}</ref>。

=== 科学 ===
猿のタイピングの常套句は、「確率がどんなに低くとも、膨大な回数繰り返せばいつかは実現される」という数学的事実を大衆に分かりやすく説明するのに有効である為、[[ポップサイエンス]]の著作を始めとして様々な文献に表れる。

==== 進化論 ====
[[進化生物学]]者の[[リチャード・ドーキンス]]は一般向けの著書『[[盲目の時計職人]]』（1986年）の中で、[[自然淘汰]]にはランダムな[[突然変異]]から生物学的な[[複雑性]]を生み出す能力があるということを猿のタイピングの常套句で大衆に分かりやすく説明した。

ドーキンスが述べたシミュレーション実験では簡単なコンピュータプログラムを使う。このプログラムは、ランダムに打ち出される語句のうちすでに目的のテクストと一致した部分は固定していくことにより、ハムレットの台詞 “''METHINKS IT IS LIKE A WEASEL''”（「おれにはイタチのようにも見えるがな」〔小田島雄志訳〕）を生成する。この実験の要点は、ランダムな文字列の生成は生の材料を提供するだけであり、自然淘汰こそが情報を与える役割を担っている、という点である<ref>{{cite book|和書
| title = 盲目の時計職人
| author = ドーキンス, リチャード
| others = 中嶋康裕・遠藤彰・遠藤知二・[[疋田努]]訳、日高敏隆監修
| publisher = 早川書房
| year = 2004
| month = Mar
| id = ISBN 4-15-208557-6
| origyear = 1986
| pages = pp.86ff
}}(1993年10月刊『ブラインド・ウォッチメーカー』(上)・(下) の新装版)<!-- {{cite book |last=Dawkins |first=Richard |year=1986 |title=The Blind Watchmaker |publisher=Oxford UP}} --></ref>。

この他にも、猿が一度にひとつの文字しか打たず、それぞれの文字が連関していない、という問題点に依拠して、進化と無限の猿の間に類推は成立しない、とする意見がある。{{仮リンク|ヒュー・ペトリー|en|Hugh Petrie}}は、着想の深化（彼の議論では、生物の進化ではないことに注意）を考える場合、ランダムな生成ではなくより複雑な設定での生成を想定する必要があると説いた。

{{quote|類推を的を射たものにするには、猿にもっと複雑なタイプライターをあてがってやらねばなるまい。それは、エリザベス朝時代人の文章力と思考力すべてを備えている必要がある。人間の行動形態とその動因に関するエリザベス朝時代人の信念すべて、エリザベス朝時代人の道徳観や科学観、それに、これらを表現する言語の様式、といったものを備えていなければならない。さらには、特定のエリザベス朝時代人としてのシェイクスピアの信念体系を形づくった種々の経験についても考慮しなければならない。このようなタイプライターなら、猿に使わせて種々の異本を作り出させてもよいであろう。しかしもはや、シェイクスピア風の戯曲を獲得することが不可能であるかどうかは、明らかとはいえない。異なっているところは実は、これまでに集積した膨大な知識を要約するとそうなるというだけなのだから。|<ref>As quoted in {{cite book |first=James |last=Blachowicz |title=Of Two Minds: Nature of Inquiry |year=1998 |publisher=SUNY Press |id=ISBN 0791436411 |pages=109}}</ref>}}

{{仮リンク|ジェームズ・W・バレンタイン|en|James W. Valentine}}も、古典的な意味では猿は務めを果たすことはできないと認める。しかし彼は、[[後生動物]]ゲノムを英語の書き言葉の類推で説明しており、どちらにも「組合せ論的、階層的な構造」があるため、莫大な数のアルファベットの組合せのうちごく一部だけが許されているとする。<ref>{{cite book |first=James |last=Valentine |title=On the Origin of Phyla |year=2004 |publisher=University of Chicago Press |id=ISBN 0226845486 |pages=7780}}</ref>。

==== 統計力学 ====
[[エミール・ボレル]]も1913年の論文「統計力学と不可逆性」(''{{lang|fr|Mécanique Statistique et Irreversibilité}}'') でも「打鍵猿たち」({{lang-fr|singes dactylographes}}) という表現で自身の成果を比喩的に説明している<ref>{{cite journal | author=mile Borel | title=''Mécanique Statistique et Irreversibilité'' | journal=J. Phys. 5e srie | volume=3 | year=1913 | pages=189–196}}</ref>。また1914年の書籍 “''{{lang|fr|Le Hasard}}''” では、文字によって巨大な[[乱数列]]を生成する仮想の手段として猿のたとえを用いている。ボレルは、百万の猿が日に10時間文字を打つとしても、打ち出すものが世界最大の図書館の蔵書と完全に一致するということはほとんどありそうになく、まして統計力学の法則が破られることはますますもってほとんどありそうにないと、簡潔に述べている。

物理学者の[[アーサー・エディントン]]は、1928年の『物的世界の本質』(''The Nature of the Physical World'') で、ある容器に気体が満たされているときに、気体分子がいっせいに容器の一方の側へ向かって運動するようなことが起こる機会 (見込み) を、打鍵猿の比喩を用いて次のように解説した。

{{quote|〔…〕何故、我々がこの機会を無視するかといふ理由は、随分古いたとへを使つて説明することができる。若し、私がタイプライターのキーの上に私の指を徒らにさまよはせるならば、それでわけの通る文章がたまたまできる''かも知れない''。若し、非常に多数の猿がタイプライターをこつこつとたたいてゐるならば、彼等は、英国博物館にあるあらゆる書物を書上げる''かも知れない''。彼等がさうすることの機会は、分子全体が容器の元の半分へ帰る機会よりも、遙かに多いといふことは明白である。|<ref>{{cite book|和書
| title = 物的世界の本質
| first = アーサー
| last = エヂントン
| others = 寮佐吉訳
| publisher = 岩波書店
| year = 1931
| origyear = 1928
| pages = pp. 114f
}}引用文中の漢字は新字体にあらためたが、仮名遣いは原文どおりとした。原著{{cite book | author=Arthur Eddington | title=The Nature of the Physical World: The [[Gifford Lectures]] | publisher=Macmillan | location=New York | year=1928 | pages=72 | id=ISBN 0-8414-3885-4}}</ref> [[寮佐吉]]訳。強調した箇所は原文では傍点。}}<!--この描写は、膨大だが有限の数の猿が、膨大だが有限の時間働いて成果を挙げる確率は途方もなく小さくなることを読者に納得させるであろう。そして、ある種の物理現象が起こる確率はこれよりさらに小さい。猿の成功とくらべてもはるかにほとんどありそうにない物理過程は、実質的に不可能であるため、このような過程は決して起こることがないと言って差し支えない<ref name="KK" />。-->

[[チャールズ・キッテル|キッテル]]と[[ハーバート・クレーマー|クレーマー]]は、彼らによる[[熱力学]]の教科書の演習問題で猿がハムレットを打ち出す確率について問い、「ハムレットの確率はそれゆえどんな実際上の出来事という意味においても0である」から、猿がいつかは目標を達成するだろうという主張は「むやみに大きな数についての誤った結論を与える」ものであるとした<ref name="KK">{{cite book|和書|author=キッテル, チャーレス、クレーマー, ハーバート|title=第2版 キッテル 熱物理学|year=1983|month=Jan|publisher=丸善|pages=p.44|others=山下次郎・福地充訳|origyear=1980|id=ISBN 978-4-621-02727-1}}<!--{{cite book | author=[[Charles Kittel|Kittel, Charles]] and [[Herbert Kroemer]] | title=Thermal Physics (2nd ed.) | publisher=W. H. Freeman Company| year=1980 | id=ISBN 0-7167-1088-9 |pages=53}}--></ref>。この主張は統計学的な基礎に立って打鍵猿の比喩を用いたものとしては初出である{{要出典|date=2009年3月}}。

=== 乱数の生成 ===
この定理には、法外な量の時間と資源が必要だと考えられるために現実には完遂できない[[思考実験]]が関わっている。にもかかわらず、この定理は有限のランダムなテクストを生成する試みを促してきた。

[[アメリカ合衆国]][[アリゾナ州]][[スコッツデール (アリゾナ州)|スコッツデール]]のダン・オリバー ({{lang|en|Dan Oliver}}) が実行したあるコンピュータプログラムが、[[2004年]][[8月4日]]に成果をもたらした。一群の「猿」が4[[溝 (数)|溝]]2162[[穣]]5000[[垓]]年<!-- 42,162,500,000 billion billion monkey-years; 猿年の説明を加筆すること -->の間稼働したとき、一匹の「猿」が “VALENTINE. Cease toIdor:eFLP0FRjWK78aXzVOwm)-‘;8.t . . .” と打ち出したのである。この列の最初の19文字は『[[ヴェローナの二紳士]]』に見出せる。別のチームは『[[アテネのタイモン]]』の18文字、『[[トロイラスとクレシダ]]』の17文字、『[[リチャード二世 (シェイクスピア)|リチャード二世]]』の16文字を再現した<ref name=ja>{{cite journal
| url = http://www.newyorker.com/arts/critics/books/2007/04/09/070409crbo_books_acocella?currentPage=all
| last = Acocella
| first = Joan
| title = The Typing Life: How writers used to write
| journal = [[ザ・ニューヨーカー|The New Yorker]]
| date = April 9, 2007
}} A review of {{cite book
| title = The Iron Whim: A Fragmented History of Typewriting
| publisher = Cornell
| year = 2007
| first = Darren
| last = Wershler-Henry}}</ref>。

「モンキー・シェイクスピア・シミュレータ」と題したウェブサイト（[[2003年]][[7月1日]]開設）には、ランダムに打鍵する猿の巨大な個体群をシミュレートする[[Javaアプレット]]が組み込まれており、仮想猿たちがシェイクスピア風の戯曲を始めから終わりまで生み出すのにどのくらい時間がかかるかを見積もることもできる。たとえば、次のテクストは『[[ヘンリー四世 第2部|ヘンリー四世]]』第二部の断片を生み出したものだが、「27溝3785穣猿年」<!-- 2,737,850 million billion billion billion monkey-years -->を要して24文字の一致を見るに至った——
<blockquote>''RUMOUR. Open your ears; 9r"5j5&?OWTY Z0d…''
</blockquote>

処理能力の制約から、このプログラムは実際にランダムなテクストを生成してシェイクスピアのそれと比較するのではなく、確率論的モデル<!-- probabilistic model -->を用いている ({{仮リンク|乱数生成器|en|random number generator}}を使う)。シミュレータが「一致を検出」すると（すなわち、乱数生成器がある値またはある範囲内の値を生成すると）、シミュレータ自身が一致したテクストを生成することで一致をシミュレートする<ref>{{cite web | title = The Monkey Shakespeare Simulator | url= https://web.archive.org/web/20060207100939/http://user.tninet.se/~ecf599g/aardasnails/java/Monkey/webpages/index.html
| accessdate=2006-06-13}} 2008-10-06現在Javaアプレットの公開は休止中。</ref>。

理想的な猿は統計的にどのくらいの頻度である文字列を打ち出さねばならないかという問いは、乱数生成器の実用性を調べる方法にも結びつく。対象となる乱数生成器は単純なものから「よく洗練された」ものにまで及ぶ。計算機科学の{{仮リンク|George Marsaglia|en|George Marsaglia}}と{{仮リンク|Arif Zaman|en|Arif Zaman}}は、講義でこのようなテストを「重畳''m''[[タプル]]テスト」({{lang|en|overlapping ''m''-tuple tests}}) と呼んだ。ランダムな列の中の引き続く要素の''m''個のタプルを考えるからである。しかし彼らは、これを「猿テスト」({{lang|en|monkey tests}}) と呼んだほうが生徒の受けがいいことにも気づいている。彼らは1993年、テストの分類とさまざまな乱数生成器での結果についてレポートを出版した<ref>{{cite journal |author=Marsaglia, George and Arif Zaman |title=Monkey Tests for Random Number Generators |journal=Computers & Mathematics with Applications |volume=9 |pages=110 |year=1993 |url=http://stat.fsu.edu/pub/diehard/cdrom/pscript/monkey.ps|doi=10.1016/0898-1221(93)90001-C}} – <sup>[https://scholar.google.co.uk/scholar?hl=en&lr=&q=intitle%3AMonkey+Tests+for+Random+Number+Generators&as_publication=Computers+%26+Mathematics+with+Applications&as_ylo=1993&as_yhi=1993&btnG=Search Scholar search]</sup></ref>。

== 実際の猿==
{{出典の明記|date=2017年3月|section=1}}
無限の猿定理は''(一様)ランダムに''キーを打ち続けたらどのようになるかを論じたものであるが、実際の猿は自身の思考なり好みなりに応じてキーを打つ可能性がある。
では実際の猿が意味のある文書をタイプする可能性はあるだろうか。

これに対し霊長類行動学者のチェニー (Cheney) とセイファース (Seyfarth) は、実際の猿が『[[ロメオとジュリエット]]』を作り出すという望みをかなえるには運に頼るほかなかろうと評した。<!-- Primate behaviorists Cheney and Seyfarth remark that real monkeys would indeed have to rely on chance to have any hope of producing ''[[Romeo and Juliet]]''. -->猿の仲間 (ここでは[[チンパンジー]]) は[[心の理論]]を欠いており、自身の知識、感情、信条を他者のそれと区別できないと考えられる。したがって猿は、たとえ戯曲を書いて登場人物の行動を叙述することは習得できたとしても、登場人物の心中を描き出して<!-- reveal -->アイロニーに満ちた悲劇を組み立てることは到底できないという<ref>{{cite book |author=Cheney, Dorothy L. and Robert M. Seyfarth |title=How Monkeys See the World: Inside the Mind of Another Species |publisher=University of Chicago Press |year=1992 |id=ISBN 0-226-10246-7 |pages=253255}}</ref>。

2003年、{{仮リンク|プリマス大学|en|University of Plymouth}}メディア研 (MediaLab) 芸術コースの講師と学生たちが、{{仮リンク|Arts Council|en|Arts Council}}から2,000ポンドの助成を受けて、実際の猿が生み出す文芸作品を研究した。[[イングランド]]の[[デヴォン]]州{{仮リンク|ペイントン動物園|en|Paignton Zoo}}にある6匹の[[クロザル]]の檻の中に、コンピュータのキーボードを一月の間放置し、結果を無線接続でウェブサイトに配信した。調査員のひとりマイク・フィリップス (Mike Phillips) は、費用を抑えたためにテレビ画像に比べると迫真性に欠けるようになったが、そのために「かえって刺激的で蠱惑的な見栄えになった」とした。
猿たちはなにも生み出さないどころか、5ページもの<ref>{{cite book|title = Notes Towards the Complete Works of Shakespeare |url = http://i-dat.org/wp-content/uploads/2002/06/NOTES_EN.pdf |publisher = Kahve-Society & Liquid Press |year = 2002 |author = Elmo |author2 = Gum |author3 = Heather |author4 = Holly |author5 = Mistletoe |author6 = Rowan}}</ref>ほとんどが[[S]]の字からなるテクストを生み出した。もっとも、最初は雄のボスザル<!-- 誤訳? the lead male began... -->がキーボードに石を叩きつけていたし、その後も猿たちはキーボードの上で排尿や排便を繰り返してはいたが。動物園の学芸員は、この実験を「科学的価値はほとんどない。ただし、『無限の猿』の理論には欠陥があることを明らかにした」と評した。フィリップスは、この芸術家によるプロジェクトは本来パフォーマンス・アートなのであり、自分たちはそこから「おそろしく多くのこと」を学んだと語った。彼は次のように結論づけている——「〔猿は〕乱数生成器ではない。それよりもはるかに複雑精妙なものである。〔中略〕猿たちは画面に映し出されるものに強い関心を示し、字を打つとなにかが起こるのを眺めていた。そこには一定の意図が働いていた<ref>{{cite magazine|url=https://www.wired.com/news/culture/0,1284,58790,00.html |title=Monkeys don't write Shakespeare |agency=Associated Press |magazine=Wired News |date=2003-05-09 |access-date=2023-05-17 |archive-url=https://web.archive.org/web/20040201230858/http://www.wired.com/news/culture/0%2C1284%2C58790%2C00.html |archive-date=2004-02-01 |url-status=dead}}</ref>。

== 脚注と参考文献 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}

== 関連項目 ==
* [[思考実験]]
* [[自然選択説]]
* [[大数の法則]]
* [[タイプライター]]
* [[熱力学]]
* [[ボゴソート]]
* [[霊長類学]]
* [[バベルの図書館]]

== 外部リンク ==
* [http://mathforum.org/library/drmath/view/55871.html Monkeys Typing Shakespeare: Infinity Theory] - “Ask Dr. Math” より。1998年8月、Adam Bridge
* [http://www.angelfire.com/in/hypnosonic/Parable_of_the_Monkeys.html The Parable of the Monkeys] - 書誌と引用
* [http://vlab.infotech.monash.edu.au/simulations/evolution/richard-dawkin-weasel/ Infinite Monkey / Dawkin's Weasel demo applet] - モナシュ大学複雑性仮想研究所
* [https://www.ietf.org/rfc/rfc2795.txt RFC 2795] - 無限猿プロトコルスイート (The Infinite Monkey Protocol Suite) (IMPS)
* [https://azureworld.blogspot.com/2007/04/planck-monkeys.html Planck Monkeys] - 宇宙を猿粒子で満たす
* [http://www.granular.com/ISC-J/9506/main.html http://www.granular.com/ISC-J/9506/main.html サルはハムレットを打てるか？ ] - [[田口善弘]]

{{DEFAULTSORT:むけんのさるていり}}
[[Category:進化]]
<!-- [[Category:Infinity]] -->[[Category:数学に関する記事]]
[[Category:文学理論]]
<!-- [[Category:Mathematical theorems]] -->
<!-- [[Category:Monkeys]] -->[[Category:架空のサル]]<!-- 単なる猿を入れる場所が見当たらない -->
[[Category:確率論]]
[[Category:乱数]]
[[Category:思考実験]]
[[Category:動物に関するメタファー]]