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牧会書簡
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{{新約聖書}} [[ファイル:P032-Tit-1_11-15-II.jpg|thumb|西暦200年頃の『テトスへの手紙』の断片({{仮リンク|パピルス32|en|Papyrus_32}}/<math>\mathfrak{P}</math><sup>32</sup>)]] '''牧会書簡'''(ぼっかいしょかん、[[英語]] : Pastoral epistles)は[[新約聖書]]正典に収録された[[使徒]]の[[パウロ]]が記したとされる手紙、いわゆる[[パウロ書簡]]のうち、[[テモテへの手紙一]]・[[テモテへの手紙二|二]](以下、第一・第二テモテ書)、[[テトスへの手紙]](テトス書)の3つの書簡の総称である。基本的に[[牧会]]、すなわち教会の組織化や信徒の導き方に関心が寄せられていることからその名がある。[[カトリック教会]]では「'''司牧書簡'''」(しぼくしょかん)と呼ばれる<ref name = jouchi_shiboku>{{Harvnb|上智学院新カトリック大事典編纂委員会|1998|p=1289}}</ref><ref>{{Harvnb|フランシスコ会聖書研究所|2013|pp=573-575(新)}}</ref>。 18世紀以降、この名称でひとまとめにすることが慣例化した。真正パウロ書簡と見る場合、パウロの最晩年の著作と見なされるが<ref name = izuta />、より後の時代にパウロの名で作成された[[擬似パウロ書簡]]と見なす者が多くいる<ref>{{Harvnb|ギュンター・ボルンカム|1972|pp=188-191}}、{{Harvnb|松村|1992|p=620}}、{{Harvnb|速水|1994|pp=209-210}}、{{Harvnb|保坂|1996|p=296}}、{{Harvnb|秋山|2005|pp=300-302}}、{{Harvnb|レジス・ビュルネ|2005|p=83}}、{{Harvnb|田川|2009|pp=797-798}}、{{Harvnb|バート・D・アーマン|2010|p=158}}、{{Harvnb|辻|2013|pp=55-61}}ほか。</ref>。擬似パウロ書簡は、擬似性や偽名性への直言を避けて「第二パウロ書簡」と呼ばれることもあるが、牧会書簡は擬似パウロ書簡の中でも語彙などの面で真正書簡からの隔たりが大きいということから、特に「'''第三パウロ書簡'''」と呼ばれることがある<ref>「050. 牧会書簡」{{Harvnb|大貫|名取|宮本|百瀬|2002}}</ref>。 [[日本聖書協会]]発行の[[新共同訳聖書]]スタディ版にも、両論が併記されている<ref name = study_17_20>{{Harvnb|日本聖書協会|2004|pp=17-20}}</ref>。折衷的な説として、別人の執筆ではあるが部分的にパウロの覚書が取り込まれているという説もあり、[[フランシスコ会訳聖書]]ではその3説が併記されている<ref>{{Harvnb|フランシスコ会聖書研究所|2013|pp=574-575(新)}}</ref>。 なお、前記のスタディ版にも明記されているように、古代においては優れた先人の思想を継承する者がその名を借用して文書を執筆することは珍しいことではなく、その先人に敬意を表することをも意味した<ref name = study_17_20 />。故に評価されるべきはその内容であって、偽名書簡であるとしても、その事実がただちに信仰上の意義を減ずるものとは見なされない<ref>{{Harvnb|松村|1992|p=621}}</ref><ref group = "注釈">他方、内容を踏まえた上で「何ともしょうがない文書」({{Harvnb|田川|2009|p=813}})と酷評する[[田川建三]]のような[[聖書学者]]もいないわけではない</ref>。 == 呼称 == [[1750年代]]の[[ポール・アントン]]の文献で、初めて「牧会書簡」という名称が用いられたとされる<ref>{{Harvnb|旧約新約聖書大事典編集委員会|1989|p=1097}}</ref><ref>{{Harvnb|川島|1991|p=296}}</ref><ref name = tsuji_p157>{{Harvnb|辻|2013|p=157}}</ref><ref group = "注釈">『[[新聖書辞典]]』では、初出をアントンとしつつ、それを1726年のことだったとしている({{Harvnb|泉田|宇田|服部|舟喜|1985|p=1150}})</ref>。これ以前にも、[[トマス・アクィナス]]が第一テモテ書のみについて、18世紀初頭のベルド (D. N. Berdot) がテトス書のみについて「[[牧会]]的」と表現した例がある<ref name = jouchi_shiboku /><ref name = tsuji_p157 />。 第二テモテ書は牧会的ではないとも言われるが<ref name = tsuji_pp157_158>{{Harvnb|辻|2013|pp=157-158}}</ref>、これら三書簡は内容や文体、およびそこから読み取れる歴史的背景において多くの共通点を持っていることから、パウロ書簡の中でも1つの作品群として扱うことに意味がある<ref name = izuta>{{Harvnb|泉田|宇田|服部|舟喜|1985|p=1150}}</ref><ref name = tsuji_pp157_158 />。 == 著者をめぐる議論 == これらの書簡では、著者は[[パウロ]]と名乗っている。そして、第二テモテ書の第4章6節から8節にかけて、自らの[[殉教]]が近いことを予期しているくだりがある。これらをそのまま受け入れる場合、パウロは西暦[[60年代]]後半に殉教したと見なされているため、牧会書簡の執筆年代はそれに近い時期と考えられる<ref name = izuta />。[[フェデリコ・バルバロ]]は第一テモテ書とテトス書の執筆を[[65年]]の[[マケドニア属州|マケドニア]]でとし、第二テモテ書を[[66年]]の[[ローマ]]と推定した<ref>{{Harvnb|フェデリコ・バルバロ|1975|pp=399-400}}</ref>。[[フランシスコ会訳聖書]]では真正書簡とする場合には[[63年]]から[[67年]]の間とされている<ref>{{Harvnb|フランシスコ会聖書研究所|2013|p=574(新)}}</ref>。[[福音派]]の『[[新聖書辞典]]』<ref name = izuta />や『[[実用聖書注解|新実用聖書注解]]』<ref name = shibata_p1715 />では[[64年]]から67年と推定されている。同じく福音派の[[尾山令仁]]は、第一テモテ書を66年頃のマケドニア、テトス書を67年頃の[[エフェソス|エフェソ]]、第二テモテ書を67年のローマと推測した<ref>{{Harvnb|尾山|1964|pp=326-327}}</ref>。 それに対し、擬似パウロ書簡と見る場合、三書簡すべてがパウロとは別の同一人物の手になるといわれる<ref>{{Harvnb|辻|2013|pp=60-61}}</ref>。[[田川建三]]は、擬似パウロ書簡の立場に立つ論者でそれ以外の可能性を示す論者はいないとまで述べている<ref>{{Harvnb|田川|2009|p=812}}</ref>。三書簡をすべて同一人物による偽名書簡と見なしたのは、1812年のJ・G・アイヒホルンが最初である<ref name = tsuji_158_159>{{Harvnb|辻|2013|pp=158-159}}</ref><ref name = kawashima_297_298>{{Harvnb|川島|1991|pp=297-298}}</ref>(第一テモテ書のみを偽名書簡としたのは1807年の[[フリードリヒ・シュライアマハー]]が最初で、偽名書簡の可能性を本格的に提示したのも彼が最初とされる<ref name = tsuji_158_159 /><ref name = kawashima_297_298 />)。 [[辻学]]は、その作成者が1つの書簡として提示せずに3つの書簡に分けたのは、2世紀の時点ですでに存在していたパウロ書簡集に対し、別系統のパウロ書簡集が存在していたように見せかけるためと、複数の独立した書簡で共通する主題が語られていることによる説得力の増強を狙ったという可能性を指摘した<ref>{{Harvnb|辻|2013|pp=169-171}}</ref>。[[川島貞雄]]は3書簡に分けた理由について、[[ヨハネ書簡]]も3通であることを踏まえ、当時の慣習に関連する可能性を指摘した<ref>{{Harvnb|川島|1991|p=300}}</ref>。 擬似パウロ書簡と見る場合の執筆年代は、西暦[[100年]]前後に設定されることが多い<ref name = hosaka_p298>{{Harvnb|保坂|1996|p=298}}</ref><ref name="#1">{{Harvnb|辻|2013|p=189}}</ref>。下限に設定されるのは[[マルキオン]]の存在である。彼が編纂したいわゆる『マルキオン聖書』(140年頃)には牧会書簡が含まれていなかった。これについて、[[テルトゥリアヌス]]はマルキオンが排除した旨を証言しており、これを信じる場合、マルキオンの時代には存在したことになる<ref name = hosaka_p298 />。他方、[[田川建三]]はマルキオンの弟子たちが牧会書簡を排除していないことから、マルキオン自身は単に存在を知らなかったのだろうとし、その時点では牧会書簡が存在していなかった可能性を指摘した<ref>{{Harvnb|田川|2009|pp=814-815}}</ref>。これに対して[[辻学]]は[[アンティオキアのイグナティオス]](2世紀初頭歿)の書簡から読み取られている牧会書簡への仄めかしなども踏まえ、マルキオンらの沈黙が直ちにそれ以降の執筆と結び付けられるわけではないと反論している<ref>{{Harvnb|辻|2013|p=191}}</ref>(この点、後述も参照)。 === 語彙 === 擬似パウロ書簡と見なす論者たちは、他のパウロ書簡との語彙や文体の違いを指摘している。牧会書簡で使われている848語(重複分を除く)のうち、306語は他のパウロ書簡(擬似パウロ書簡の疑いを掛けられている他の書簡も含む)には一切出てこない<ref name = kawashima_p298>{{Harvnb|川島|1991|p=298}}</ref><ref>{{Harvnb|バート・D・アーマン|2010|p=159}}</ref>。さらにそのうち175語は、パウロ書簡以外の新約正典にも一切登場しない<ref name = kawashima_p298 />。逆に立場を問わず真正性が認められているパウロの7書簡に頻出する単語で、牧会書簡に登場しない語が多くある<ref>{{Harvnb|保坂|1996|p=295}}</ref>。 [[福音派]]からは、パウロ書簡全体の語彙が2500語ほど(重複分を含まず)しかないのだから、語彙の違いは状況や主題の変化によって生じうる範囲内などといった反論がある<ref name = izuta_1timo>{{Harvnb|泉田|宇田|服部|舟喜|1985|pp=862-863}}</ref>。 == 内容 == 牧会書簡は、[[エフェソス|エフェソ]]の教会の牧者[[テモテ]]と、[[クレタ島]]の牧会者の[[テトス]]にあてて送られた形式になっている。二人ともパウロの弟子である。これらの書簡のひとつの意義は、それが書かれた当時の教会秩序の確立過程などを読み取れることにあるが<ref name = izuta /><ref>{{Harvnb|速水|1994|p=211}}</ref>、その「当時」が具体的にいつの時期なのか(パウロの晩年か、パウロの死後それなりの期間が経過した時期か)については、前述のように立場によって大きく異なる。 牧会書簡の内容は、ローマ帝国の権力者への服従を含む因習的な上下関係の確認、教会内秩序の確立、「異なる教え」の排撃をほぼ共通する主題として含んでいる<ref>{{Harvnb|レジス・ビュルネ|2005|pp=84-85}}</ref><ref>{{Harvnb|辻|2013|pp=171-188}}</ref>。擬似書簡と見る[[辻学]]は、パウロ自身の指示が曖昧であったりして解釈が分かれていた事柄に決定的な解釈を与える意図があったとしている<ref>{{Harvnb|辻|2013|pp=197-198}}</ref>。 === 第一テモテ書 === [[ファイル:Saint_Timothy.jpg|thumb|テモテ]] {{Main|テモテへの手紙一}} [[テモテ]]は[[使徒言行録]]16章1節から3節において言及されているパウロの弟子であり、真正パウロ書簡でもパウロの協力者あるいは手紙の共同差出人としてその名がみられる<ref>{{Harvnb|日本聖書協会|2004|p=18}}</ref>。 手紙ではパウロは自分がマケドニアに発つのに際し、テモテに対して[[エフェソス|エフェソ]]にとどまって人々を導くように託している(1章3節)。この記述について、擬似書簡と見なす立場からは『[[コリントの信徒への手紙二|第二コリント書]]』1章1節と『[[使徒言行録]]』19章22節・20章1節(これらの叙述ではパウロがマケドニアに発つより先にテモテがマケドニアにおり、同地でともに行動していることが読み取れる)などと整合していないと指摘されている<ref name = hosaka_p295>{{Harvnb|保坂|1996|p=295}}</ref><ref>{{Harvnb|田川|2009|p=799}}</ref>。他方、擬似書簡と見なす立場でも[[辻学]]は、『[[コリントの信徒への手紙一|第一コリント書]]』16章5節から11節にて、マケドニアへ発つ前にエフェソに滞在し、テモテが来るのを待っている状況が描かれていることを利用して、場面設定がなされたと推測している<ref>{{Harvnb|辻|2013|pp=58-59}}</ref>。 真正書簡と見なす側からは、『使徒言行録』が対象とする時期よりも後の状況を示したものと理解し、『使徒言行録』などの記述と整合しないことは問題ではないとしている<ref name = izuta_1timo /><ref name = shibata_p1715>{{Harvnb|柴田|2008|p=1715}}</ref>。 手紙ではテモテへの勧告として、「異なる教え」に対して注意を喚起し、教会の組織化について助言を与えている<ref>{{Harvnb|日本聖書協会|2004|pp=17-18}}</ref>。「異なる教え」について、具体的なことは不明である。「異なる教え」に対して強い批判が向けられてはいるものの、その思想との論争点についての具体的な言及は少ない<ref name = hosaka_p295 />。ただし、その人々が自らの思想を「知識」と呼んで誇っているという6章20節の言及から、[[グノーシス主義]](グノーシスは「知識」などの意味)を想定する論者が複数いる<ref>{{Harvnb|田川|2009|pp=720-721}}</ref><ref>{{Harvnb|辻|2013|p=179}}</ref>。ただし、この点、牧会書簡すべてが共通する「異なる教え」に直面していると見る場合と、手紙ごとにさまざまな「異なる教え」が想定されていると見る立場によっても異なる<ref>{{Harvnb|辻|2013|pp=178-180}}</ref>(後述も参照)。 === 第二テモテ書 === {{Main|テモテへの手紙二}} 第二テモテ書はテトス書よりも前に置かれているが、本文から読み取れる状況は明らかにこちらの方が後である<ref name = hosaka_p298 />。というのは、「わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた」(4章6節)<ref group = "注釈">著作権上の配慮から、聖書からの引用は[[聖書 口語訳|口語訳聖書]]に基づく。以下同じ。</ref>とあり、パウロが自らの死が近いことを仄めかしているからである<ref group = "注釈">新約聖書の収録順は一般に第一テモテ、第二テモテ、テトスの順であるが、概説書の中には第一テモテ、テトス、第二テモテの順に解説する文献もある。たとえば{{harvnb|尾山|1964}}、{{Harvnb|W・マルクスセン|1984}}など。</ref>。 この手紙では、ローマの獄中<ref group = "注釈">1章16・17節が根拠となっているが({{Harvnb|辻|2013|p=168}}、{{Harvnb|泉田|宇田|服部|舟喜|1985|p=863}}etc.)、その部分を過去の体験の叙述と理解し、牢獄の位置が明記されていないと見る者({{Harvnb|川島|1991|p=298}})もいる。{{Harvnb|W・マルクスセン|1984|p=355}}はローマの獄中としつつも、回顧的描写の可能性を疑問符つきで併記している。</ref>にいるパウロが、まだエフェソにとどまっていたらしいテモテに送る形式になっている<ref name = shibata_p1716>{{Harvnb|柴田|2008|p=1716}}</ref><ref name = kawashima_p298>{{Harvnb|川島|1991|p=298}}</ref>。 その主題は、テモテへの激励や、誤った信仰を含む避けるべき悪の列挙などである<ref>{{Harvnb|日本聖書協会|2004|p=19}}</ref>。誤った信仰に対してはあまり具体的な姿が語られず、彼らとの議論することの価値が否定しつつ、その不品行を強く批判することに力点が置かれている<ref>{{Harvnb|上智学院新カトリック大事典編纂委員会|2002|pp=1171}}</ref>。この傾向は牧会書簡全体に共通する特色でもある<ref>{{Harvnb|土屋|2000|p=599}}</ref>。 なお、3章16節「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である」<ref group = "注釈">ここでの「聖書」は直接的には旧約聖書を指す({{Harvnb|レジス・ビュルネ|2005|p=85}})。</ref>という句は、聖書が[[霊感]]を受けて執筆されたものとする思想の根拠の一つとなった<ref>{{Harvnb|レジス・ビュルネ|2005|p=85}}</ref><ref>{{Harvnb|田川|2009|pp=745}}</ref>。 第二テモテ書は第1章と第4章にかなり細かい個人的言及が記されており、何人かの人物はそこにしか登場しない。真正書簡と見なす立場からは、パウロ自身が書いた証拠と見なされるのに対し、擬似書簡と見なす立場では、信憑性を増すための工作と理解される<ref>{{Harvnb|川島|1991|p=319}}</ref><ref>{{Harvnb|辻|2013|pp=59-60}}</ref>。ただし、全体が擬似書簡であっても、第1章と第4章の一部にパウロ自身の覚書などが反映されている可能性を認める者<ref>{{Harvnb|秋山|2005|p=303}}</ref>は存在する。 === テトス書 === [[ファイル:Saint_Titus_(Kosovo,_14th_c._Pech_Patriarch.,_S._Nicholas_church).jpg|thumb|テトス]] {{Main|テトスへの手紙}} [[テトス]]は『[[使徒言行録]]』には言及がないが、いくつかのパウロ書簡で言及のあるパウロの同労者である。特にパウロと[[コリントス|コリント]]の教会の仲介役として貢献し、『[[コリントの信徒への手紙二]]』の複数箇所に言及がある<ref>{{Harvnb|日本聖書協会|2004|p=396(新)}}</ref><ref>{{Harvnb|秋山|2005|p=300}}</ref>。 このテトス書では、テトスは[[クレタ島]]に留まることを命じられている。しかし、『使徒言行録』は27章で囚人として護送中のパウロがクレタに立ち寄ったことを記しているが、クレタ島での伝道については書かれていない<ref>{{Harvnb|土屋|2000|p=625}}</ref><ref name = tagawa_p760>{{Harvnb|田川|2009|p=760}}</ref>。真正書簡と見る立場では、前述のように『使徒言行録』に書かれた時期よりも後を想定し、クレタ島に伝道した時期もあったとする<ref name = izuta_tito>{{Harvnb|泉田|宇田|服部|舟喜|1985|pp=856-858}}</ref><ref>{{Harvnb|中尾|2008|pp=1740-1741}}</ref>。他方、擬似書簡と見る立場では、根拠は不明とされる。[[辻学]]は偽名性が露見しないように、パウロに関する既知の情報と矛盾しない意図を見出している<ref>{{Harvnb|辻|2013|p=59}}</ref>。[[田川建三]]はまったくの創作の可能性のほか、牧会書簡の著者周辺の伝承に基づいている可能性も挙げている<ref name = tagawa_p760 />。 内容はテトスに対して、教会の[[長老 (キリスト教)|長老]]となるべきものの資質について説き、それとついになる不品行を厳しく批判するものとなっている<ref>{{Harvnb|日本聖書協会|2004|pp=19-20}}</ref><ref>{{Harvnb|秋山|2005|pp=300-301}}</ref>。 == 正典化 == 牧会書簡への最古の言及とされることがあるのは、[[使徒教父]]文書に含まれる『[[クレメンスの第一の手紙]]』([[クレメンス1世 (ローマ教皇)|ローマのクレメンス]]、96年頃)、『[[ポリュカルポスへの手紙]]』([[アンティオキアのイグナティオス]]、2世紀初頭)、『[[ポリュカルポスの手紙]]』([[ポリュカルポス]]、2世紀初頭)などである。たとえば、『ポリュカルポスの手紙』の「一切の悪しきことのはじまりは金銭欲なのです」(4章1節)<ref>{{Harvnb|田川|1998|p=216}}</ref>は、第一テモテ書6章10節「金銭を愛することは、すべての悪の根である」と対応している。これを引用と見なす論者<ref name="#1"/>は、当然、牧会書簡をこれら使徒教父文書よりも前の成立と見ている<ref>{{Harvnb|辻|2013|pp=189-191}}</ref>。それに対し、これを引用ではなく牧会書簡の著者とポリュカルポスの思想的近さを示すに過ぎないとする見解<ref>{{Harvnb|田川|1998|p=472}}</ref>もあるが、さすがに{{仮リンク|ハンス・フォン・カンペンハウゼン|de|Hans_von_Campenhausen}}のようにポリュカルポス自身が牧会書簡の著者であるとする説は、広い支持を受けるには至っていない<ref>{{Harvnb|川島|1991|p=301}}</ref>。また、第一テモテ書の6章10節の起源を当時の格言と見なす見解も複数見られ<ref>{{Harvnb|土屋|2000|p=613}}</ref><ref name = kawashima_p315>{{Harvnb|川島|1991|p=315}}</ref>、[[フィロン]]も同様の格言を引用している<ref name = kawashima_p315 />。 前述のように、140年頃のマルキオン聖書や200年頃の[[チェスター・ビーティ図書館|チェスター・ビーティ]]・パピルスには収録されていないが、この事実をどう評価するかは論者によって様々である。2世紀末から3世紀初頭とされる『[[ムラトリ正典目録]]』では、正典に含められている<ref name = hosaka_p298 />。 直接的な引用で最古のものは[[エイレナイオス]]の『異端駁論』(180年頃)で、この冒頭に第一テモテ書1章4節からの引用が掲げられている<ref>{{Harvnb|田川|2009|pp=654, 815}}</ref>。このエイレナイオスの影響もあって、3世紀になると[[テルトゥリアヌス]]らにも引用されるようになった<ref>{{Harvnb|田川|2009|pp=815-816}}</ref>。それ以降、19世紀になって真正性に疑問が投げかけられるまで、特にその真正性が疑われることはなかった<ref>{{Harvnb|川島|1991|p=297}}</ref>。 == 批判 == 聖書学者の中には牧会書簡の描く倫理観に対して批判的な意見を述べる者もいる。[[田川建三]]は、第一テモテ書2章14節で[[イヴ|エヴァ]]が誘惑された責任をエヴァのみに帰したり(『[[創世記]]』では[[アダム]]の責任も読み取れる)、同2章15節で女性が「子を産むことによって救われるであろう」と明言したりなどは、いずれも正典の中で牧会書簡が最初であり、後のキリスト教社会の女性観を支配したと批判した<ref>{{Harvnb|田川|2009|pp=670-671}}</ref>。[[上村静]]も、女性を男性に従属すべきものとして描き出した価値観は、近現代における[[フェミニズム|女性の解放]]と対立的に作用したと指摘している<ref>{{Harvnb|上村|2011|pp=301-302}}</ref>。 == 脚注 == === 注釈 === {{reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{reflist|2}} == 参考文献 == * {{Citation|和書|author=[[バート・D・アーマン]]|translator=[[津守京子]]|year=2010|title=キリスト教成立の謎を解く|publisher=[[柏書房]]}} * {{Citation|和書|author=[[フェデリコ・バルバロ]]|year=1975|title=新約聖書|publisher=[[講談社]]}} * {{Citation|和書|author=[[レジス・ビュルネ]]|translator=[[加藤隆]]|year=2005|title=新約聖書入門|publisher=[[白水社]]|series=[[文庫クセジュ]]|isbn=4560508925}} * {{Citation|和書|author=[[ギュンター・ボルンカム]]|translator=[[佐竹明]]|year=1972|title=新約聖書(現代神学の焦点6)|publisher=[[新教出版社]]}} * {{Citation|和書|author=[[ヴィリー・マルクスセン|W・マルクスセン]]|translator=[[渡辺康麿]]|year=1984|title=新約聖書緒論|publisher=[[教文館]]}} * {{Citation|和書|last=秋山|first=憲兄|author-link=秋山憲兄|year=2005|title=新共同訳聖書 聖書辞典|edition=2|publisher=[[新教出版社]]|isbn=4400110737}} * {{Citation|和書|last=上村|first=静|author-link=上村静|year=2011|title=旧約聖書と新約聖書|publisher=[[新教出版社]]|isbn=9784400300021}} * {{Citation|和書|last=尾山|first=令仁|author-link=尾山令仁|year=1964|title=聖書の概説|publisher=[[羊群社]]}} * {{Citation|和書|editor1-last=泉田|editor1-first=昭|editor1-link=泉田昭|editor2-last=宇田|editor2-first=進|editor2-link=宇田進|editor3-last=服部|editor3-first=嘉明|editor3-link=服部嘉明|editor4-last=舟喜|editor4-first=信|editor4-link=舟喜信|year=1985|title=[[新聖書辞典]]|publisher=[[いのちのことば社]]|isbn=4264007062}} * {{Citation|和書|editor1-last=大貫|editor1-first=隆|editor1-link=大貫隆|editor2-last=名取|editor2-first=四郎|editor2-link=名取四郎|editor3-last=宮本|editor3-first=久雄|editor3-link=宮本久雄|editor4-last=百瀬|editor4-first=文晃|editor4-link=百瀬文晃|year=2002|title=[[岩波キリスト教辞典]]|publisher=[[岩波書店]]}} * {{Citation|和書|last=川島|first=貞雄|author-link=川島貞雄|year=1991|contribution=テモテへの手紙一」「テモテへの手紙二」「テトスへの手紙|editor1=[[川島貞雄]]|editor2=[[橋本滋男]]|editor3=[[堀田雄康]]|title=新共同訳 新約聖書注解II|publisher=[[日本基督教団|日本基督教団出版局]]|pages=285-335}} * {{Citation|和書|editor=旧約新約聖書大事典編集委員会|year=1989|title=旧約新約聖書大事典|publisher=教文館|isbn=4764240068}} * 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