量子力学の数学的定式化のソースを表示

{{Otheruses|量子力学の数学的に厳密な定式化|[[ジョン・フォン・ノイマン]]の書籍|量子力学の数学的基礎}}

{{Pathnav|[[物理学]]|[[量子力学]]|frame=1}}本項では相対論的効果を考えない'''量子力学の数学的定式化'''（りょうしりきがくのすうがくてきていしきか）を厳密に述べる。本項では[[量子力学]]に対する最低限の知識を仮定する。

== 状態空間のヒルベルト空間による定式化 ==
量子力学において[[系 (自然科学)|系]] の（純粋）[[量子状態]]は、'''状態ベクトル'''と呼ばれる単位ベクトルによって表現され、状態ベクトルとその定数倍のなすベクトル空間を'''状態空間'''という。状態空間は'''[[ヒルベルト空間]]'''という数学的概念によって定式化される。そこで本節ではヒルベルト空間の定義を述べる。

=== ヒルベルト空間 ===

==== 定義 ====
ヒルベルト空間の概念を定義するため、まずは複素計量ベクトル空間を定義する：
{{math theorem|定義|
<math>\mathcal{H}</math>を複素ベクトル空間とする。任意の<math>\varphi,\psi,\chi\in\mathcal{H} </math>に対して以下の性質を満たす二項演算子<math>\langle \cdot , \cdot \rangle ~:~\mathcal{H}\times \mathcal{H} \to \mathbf{C} </math>を<math>\mathcal{H}</math>上の'''内積'''もしくは'''計量'''という：
* ([[共役複素数|共役]]対称性) <math>\langle \varphi,\psi\rangle =\overline{\langle \psi,\varphi\rangle}.</math>
* (線形性)<math>\forall a,b\in\mathbf{C} </math>に対し、 <math>\langle\chi, a\psi+b\varphi\rangle= a\langle \chi,\psi\rangle+ b\langle\chi, \varphi\rangle</math>
* ([[定符号二次形式|正定値性]]) <math>\langle \psi,\psi\rangle \geq 0</math>であり、しかも<math>\quad \langle \psi,\psi\rangle = 0 \implies \psi= 0</math>である。

複素ベクトル空間上に内積を一つ指定してできる組<math>(\mathcal{H},\langle \cdot, \cdot\rangle)</math>を'''複素計量ベクトル空間'''という。
|note='''複素計量ベクトル空間'''}}

複素計量ベクトルの元<math>\psi\in\mathcal{H} </math>に対し、内積<math>\langle\cdot,\cdot\rangle</math>に対応する<math>\psi </math>の'''[[ノルム]]'''<math>\|\psi\| </math>を
: <math>\|\psi\|=\sqrt{\langle \psi, \psi \rangle}</math>
により定義し、<math>\psi,\chi\in\mathcal{H} </math>の間の[[距離空間|'''距離''']]を

: <math>\|\psi-\chi\|</math>

により定義すると<math>\mathcal{H}</math>はこの距離に関して[[距離空間]]の公理を満たす。
{{math theorem|定義|
複素計量ベクトル空間<math>(\mathcal{H},\langle \cdot, \cdot\rangle)</math>がノルム<math>\|\psi\|=\sqrt{\langle \psi, \psi \rangle}</math>から定まる距離<math>d(\psi,\chi)=\|\psi-\chi\|</math>に関して[[完備距離空間|完備]]であるとき、複素計量ベクトル空間<math>(\mathcal{H},\langle \cdot, \cdot\rangle) </math>を'''複素ヒルベルト空間'''、あるいは単に'''[[ヒルベルト空間]]'''という。
|note='''ヒルベルト空間'''}}

紛れがなければ以下内積<math>\langle\cdot,\cdot\rangle</math>を省略し、記号<math>\mathcal{H}</math>だけでヒルベルト空間を表すものとする。特に断りがない限り、'''本項ではヒルベルト空間として[[可分空間|可分]]なもののみを考える'''。

上述の定義より、内積<math>\langle \cdot, \cdot\rangle </math>は、第二成分に関しては線形であるが、第一成分に対しては'''反線形性'''
* <math>\forall a,b\in\mathbf{C} </math>に対し、 <math>\langle a\psi+b\varphi,\chi\rangle= \bar{a}\langle \psi,\chi\rangle+ \bar{b}\langle\varphi,\chi\rangle</math>
が成立する。なお、ここで提示した内積の定義は量子力学では一般的なものだが、数学の文献では、ここに載せたのとは逆に、第一成分に対して線形、第二成分に対して反線形であるものを用いる事が多い。

==== ヒルベルト空間の一意性 ====
ヒルベルト空間<math>\mathcal{H}_1</math>、<math>\mathcal{H}_2</math>に対し、全単射線形写像<math>\Phi~:~\mathcal{H}_1\to \mathcal{H}_2</math>で
: <math>\langle \Phi(\psi), \Phi(\chi) \rangle = \langle \psi, \chi \rangle</math>
が全ての<math>\psi,\chi\in \mathcal{H}_1</math>に対して成立するものが存在するとき、<math>\mathcal{H}_1</math>と<math>\mathcal{H}_2</math>は'''同型'''であるという。

[[可分空間|可分]]な無限次元ヒルベルト空間は同型を除いて１つしか存在しない。すなわち以下が成立する：
{{math theorem|定理|
<math>\mathcal{H}_1</math>、<math>\mathcal{H}_2</math>を任意の可分な無限次元ヒルベルト空間とするとき、<math>\mathcal{H}_1</math>と<math>\mathcal{H}_2</math>は同型である。
|note='''可分なヒルベルト空間の一意性'''}}

前述のように本項ではヒルベルト空間として可分なもののみを取り扱う。よって本項で登場するヒルベルト空間で次元が無限のものは全て同型である。

==== 状態空間 ====
量子力学では以下の仮定を課す：
{{math theorem|仮定|
量子力学において'''状態空間'''は複素ヒルベルト空間である[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=210}}。状態空間の単位ベクトルを'''状態ベクトル'''と呼び、各状態ベクトルは何らかの量子状態に対応している。また２つの状態ベクトル{{Mvar|ψ}}、{{Mvar|φ}}が<math>|a|=1</math>を満たす何らかの複素数{{Mvar|a}}で{{Math|1=''φ''=''aψ''}}という関係を満たすとき、{{Mvar|ψ}}と{{Mvar|φ}}は同一の量子状態を表す[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=210}}。
|note='''状態空間に関する仮定'''}}

本節では以降、こうした量子力学の仮定を幾つか述べるが、[[#新井|新井の本]]や[[#H13|Hallの本]]など多くの本ではこうした仮定の事を'''公理(axiom)'''と呼んでいる。しかしこうした仮定は[[公理|数学的な意味での公理]]ではない<sup>[[#H13|H13]]</sup>{{Rp|page=64}}ので、本項ではその事を明確化するため、[[#F15|F15]]に従い、「公理」と呼ばず「'''仮定 (postulate)'''」と呼ぶものとする。

=== ''L<sup>2</sup>''空間 ===
すでに述べたように([[可分空間|可分]]な)無限次元ヒルベルト空間は全て同型なので、任意に一つ無限次元ヒルベルト空間を持って来れば、原理的にはそのヒルベルト空間を状態空間とみなした量子力学を定式化できる。しかし通常の量子力学では、物理的な解釈をわかりやすくするため、'''''{{mvar|L{{sup|2}}}}''空間'''というヒルベルト空間を用いて量子力学を展開する事が多い。そこで本節では{{mvar|L{{sup|2}}}}空間の定義を述べる。

==== 準備 ====
{{mvar|L{{sup|2}}}}空間を定義するには、[[測度論]]の概念を必要とする。そこでまず測度論を直観的説明する。厳密な説明は[[測度論|当該項目]]を参照されたい。

'''測度空間'''{{mvar|X}}とは、{{mvar|X}}の部分集合の「大きさ」の概念が定義された空間で、「大きさ」の具体例としては元の個数、面積、体積などがある。測度空間上定義された「大きさ」のことを'''測度'''という。{{mvar|X}}の全ての部分集合に測度が定義されている必要はなく、測度が定義可能な部分集合を'''可測'''な部分集合という。

測度空間上では[[ルベーグ積分|積分]]を定義可能な事が知られている。ただし測度の場合と同様、全ての関数に対してその積分が定義できるわけではない。積分概念を定義可能な関数の事を'''[[可測関数]]'''という。

測度空間{{mvar|X}}上の２つの可測関数{{mvar|ψ}}、{{mvar|φ}}が
: {{mvar|X}}の可測部分集合{{mvar|A}}で{{mvar|A}}の測度が{{mvar|0}}であるものが存在し、<math>\forall x \in X \setminus A~:~\psi(x)=\varphi(x)</math>
を満たすとき、{{mvar|ψ}}と{{mvar|φ}}は'''[[ほとんど (数学)|ほとんど至るところ]]等しい'''といい、
: <math>\psi(x)=\varphi(x)</math>  [[ほとんど (数学)|a.e.]]
と表記する（「a.e.」は「almost everywhere」の略）。

==== 定義 ====
{{mvar|X}}を測度空間とする。量子力学の文脈では{{mvar|X}}は<math>\mathbf{R}^d</math>の可測部分集合である事が多い。{{mvar|X}}上の可測関数{{Mvar|ψ}}で
: <math>\int_X |\psi(x)|^2 \mathrm{d} x< \infty</math>
となるものを考え、こうした関数全体の集合に
: <math>\psi \sim \varphi \overset{def}{\iff} \psi(x)=\varphi(x)</math> [[ほとんど (数学)|a.e.]]
という同値類を定義する。
{{math theorem|定義|記号を上述のように定義し、
: <math>L^2(X) :=\{\psi ~:~X\to \mathbf{C} \mid \int_X |\psi(x)|^2 \mathrm{d} x< \infty\}/\sim </math>
と定義する。<math>L^2(X)</math>の元を{{Mvar|X}}上の'''[[自乗可積分函数|L<sup>2</sup>関数]]'''という。
さらに{{Math|L{{sup|2}}(X)}}上の内積を
: <math>\langle \psi,\chi\rangle := \int_X \overline{\psi(x)}\chi(x) \mathrm{d} x </math>
により定義すると、組<math>(L^2(X),\langle\cdot,\cdot\rangle)</math>はヒルベルト空間をなすことが知られている。このヒルベルト空間を{{Mvar|X}}上の[[Lp空間|'''L<sup>2</sup>空間''']]という。
|note='''{{mvar|L{{sup|2}}}}関数、{{mvar|L{{sup|2}}}}空間'''}}

粒子が{{Mvar|k}}個からなる系の場合、各粒子が3次元分の[[自由度]]を持つので、{{math|''L''{{sup|''2''}}('''R'''{{sup|''3k''}})}}空間を利用すれば量子力学を自然に展開できる。また例えば（ポテンシャルの壁に遮られるなどして）粒子が有限の区間{{Mvar|I}}の内部しか動けないようなケースに対しても、{{Math|1=''X''=''I''}}の場合の''L<sup>2</sup>''空間{{math|''L''{{sup|''2''}}(''I'')}}を利用できる。

==== 注意 ====
以上で述べたように、量子力学の数学的定式化にはヒルベルト空間、特に''L<sup>2</sup>''空間の概念が有効である。ただし、物理学者が量子力学で用いている議論の全てをヒルベルト空間上で数学的に正当化できる事を意味しているわけでは'''ない'''。

例えば物理学者が量子力学の記述に通常用いる[[ディラックのデルタ関数|デルタ関数]]は、そもそも通常の意味での関数ではないので、''L<sup>2</sup>''空間には属さない。後の章で''L<sup>2</sup>''空間にさらに元を添加する事でデルタ関数をも取り扱う数学的手法についても述べるが、この手法は万能ではなく、例えばデルタ関数同士の積が定義できないという欠点を抱える。よって特にデルタ関数同士の内積を定義できず、デルタ関数を添加した空間はヒルベルト空間にはならない。

こうした数学的な困難を避けるため、以降の議論は、基本的にデルタ関数のような「関数もどき」は慎重に排除した上で展開するものとする。

== 有界作用素 ==
ヒルベルト空間上で定義可能な関数のクラスとして最も自然なものの一つに有界作用素があり、量子力学における主要概念の一つであるユニタリ作用素は有界作用素の一つである。そこで本節では有界作用素の概念とユニタリ作用素の概念を定式化する。

{{math theorem|定義|<math>\mathcal{H}_1</math>、<math>\mathcal{H}_2</math>をヒルベルト空間とする。線形作用素<math>T~:~\mathcal{H}_1\to\mathcal{H}_2</math>が'''有界線形作用素'''、もしくは単に'''[[有界作用素]]'''であるとは、実定数{{Math|''C''≧0}}が存在し、任意の<math>\psi\in \mathcal{H}_1</math>に対し、

: <math>\|T(\psi)\|_{\mathcal{H}_2} \le C\|\psi \|_{\mathcal{H}_1} </math>　

が成立する事を言う。ここで<math>\|\cdot\|_{\mathcal{H}_k} </math>は<math>\mathcal{H}_k</math>の内積に対応するノルムである。{{Mvar|T}}が有界<u>とは限らないとき</u>、{{Mvar|T}}を'''[[非有界作用素]]'''という<sup>[[#H13|H13]]</sup>{{Rp|page=56}}。
|note='''有界作用素'''}}

次の事実が知られている：
{{math theorem|定理|線形作用素{{Mvar|T}}が有界である必要十分条件は、{{Mvar|T}}が連続であることである[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=65}}}}

したがって有界線形作用素とは、連続線形作用素と言い換えても良い。

有界線形作用素の例としてユニタリ作用素がある。後述するように量子力学ではユニタリ作用素は時間発展を記述するのに用いられる。

{{math theorem|定義|
<math>\mathcal{H}</math>をヒルベルト空間とする。全射線形作用素<math>U~:~\mathcal{H}\to\mathcal{H}</math>が任意の<math>\varphi,\psi\in\mathcal{H} </math>に対し、

: <math>\langle U(\psi),U(\varphi)\rangle=\langle \psi,\varphi\rangle </math>
を満たすとき、{{Mvar|U}}を'''[[ユニタリ作用素]]'''という。
|note='''ユニタリ作用素'''}}

上記の条件をみたすときは、明らかに{{Mvar|U}}は単射なので、{{Mvar|U}}は全単射である事になる。したがってユニタリ作用素とは<math>\mathcal{H}</math>から自分自身への同型写像（自己同型写像）である。

なお、<math>\mathcal{H}</math>が有限次元の場合には、単射性から全射性が従うため、ユニタリ作用素の定義において全射という条件は必要ない。しかし<math>\mathcal{H}</math>が無限次元の場合には、全射ではない単射線形作用素も存在するため、全射の条件は必須となる。


定義から明らかに次が成立する：
{{math theorem|定理|ユニタリ作用素は有界作用素である}}

== ブラベクトルとケットベクトル ==
本節では共役ベクトル空間の概念を定義することでディラックの[[ブラ-ケット記法|ブラベクトル、ケットベクトル]]の概念を数学的に定式化し、さらにリースの表現定理を導入することで、ブラベクトルの概念を別の角度から再定式化する。

=== 共役ベクトル空間 ===

ヒルベルト空間<math>\mathcal{H}</math>で使われている足し算「{{Math|＋}}」、（スカラーとの）掛け算「{{Math|・}}」、および内積<math>\langle \cdot, \cdot\rangle </math>を明示して、<math>\mathcal{H}</math>を<math>(\mathcal{H},+,\cdot,\langle\cdot,\cdot\rangle)</math>と書くことにする。
{{math theorem|定義|
ヒルベルト空間<math>(\mathcal{H},+,\cdot,\langle\cdot,\cdot\rangle)</math>の元<math>\psi\in\mathcal{H}</math>と定数
{{Math|''a''∈'''C'''}}、に対し、
: <math>a\times \psi := \bar{a} \psi</math>
と定義すると、<math>(\mathcal{H},+,\times,\langle\cdot,\cdot\rangle)</math>もヒルベルト空間になる。ここで<math>\bar{a}</math>は{{Math|''a''}}の複素共役である。<math>(\mathcal{H},+,\times,\langle\cdot,\cdot\rangle)</math>を<math>(\mathcal{H},+,\cdot,\langle\cdot,\cdot\rangle)</math>の'''{{仮リンク|共役ベクトル空間|en|Complex conjugate vector space}}'''という。
|note='''共役ベクトル空間'''}}

定義より、共役ベクトル空間は掛け算以外は元の空間と同一である。以下、掛け算を明示しなくても共役ベクトル空間を区別できるようにするため、<math>\mathcal{H}</math>の共役ベクトル空間を<math>\mathcal{H}^*</math>と表記する。また<math>\psi</math>が<math>\mathcal{H}^*</math>の元である事が文脈から明らかな場合は、<math>a\times \psi </math>を略記して単に<math>a\psi </math>と表記する。

===ブラベクトルとケットベクトル===

ヒルベルト空間<math>\mathcal{H}</math>上の内積<math>\langle \cdot, \cdot\rangle </math>は、第一成分に対して反線形、第二成分に対して線形であった。しかし内積の第一成分を共役ベクトル空間を<math>\mathcal{H}^*</math>とみなして
: <math>(\chi,\phi)\in \mathcal{H}^* \times \mathcal{H} \to \langle\chi,\phi\rangle \in \mathbf{C}</math>
だとすれば、内積<math>\langle \cdot, \cdot\rangle </math>は、第一成分、第二成分双方に関して線形である事になるので便利である。そこで量子力学では<math>\mathcal{H}</math>の元と<math>\mathcal{H}^*</math>の元とを区別して考え、以下のように呼ぶ：
{{math theorem|定義|
<math>\mathcal{H}^*</math>の元を[[ブラ-ケット記法|'''ブラベクトル''']]、<math>\mathcal{H}</math>の元を[[ブラ-ケット記法|'''ケットベクトル''']]と呼ぶ[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=23}}<ref group="注">[[#F15|F15]]では<math>\mathcal{H}</math>上の複素数値有界線形作用素としてブラベクトルを定義しているが、[[リースの表現定理]]より、この定義は本項の定義と同値である。</ref>。
|note='''ブラベクトルとケットベクトル'''}}

=== リースの表現定理 ===
ブラベクトル<math>\psi\in\mathcal{H}^*</math>に対し、線形作用素
: <math>\chi\in \mathcal{H} \mapsto \langle\psi,\chi\rangle \in \mathbf{C}</math>
を考えると、[[コーシー＝シュワルツの不等式]]
: <math>\langle\psi,\chi\rangle \le \|\psi\|\|\chi\|</math>
より、この作用素は有界作用素である。実は複素数値の有界線形作用素はこの形のものに限られる事が知られている：
{{math theorem|定理|
<math>\alpha~:~\mathcal{H}\to \mathbb{C} </math>を有界線形作用素とすると、以下の性質を満たす<math>\psi\in\mathcal{H}^* </math>が一意に存在する
:任意の<math>\chi\in\mathcal{H} </math>に対し、<math>\alpha(\chi) = \langle \psi, \chi\rangle </math>
|note='''[[リースの表現定理]]'''}}
なお<math>\mathcal{H}</math>が有限次元であれば上に述べた事実は自明であるが、無限次元であってもこの事実が成り立つ所にこの定理の主眼がある。以上の事実から、ブラベクトルを以下のように特徴づけられる事がわかる：
{{math theorem|系|
ブラベクトルと複素数値の有界線形作用素は１対１に対応する。
|}}

== オブザーバブル ==
既に述べたように作用素が有界である事はその作用素が連続である事を意味している為、有界性はヒルベルト空間上の作用素の最も自然な概念の一つである。しかし'''量子力学で用いられる作用素の多くは有界ではないし、しかも<math>\mathcal{H}</math>の部分領域でしか定義できない。'''この原因は、量子力学で用いられる作用素の多くが微分を用いて定義されており、微分作用素が有界でもなければ<math>\mathcal{H}</math>全域で定義できるわけでもない事にある。

幸運な事に、これら量子力学で用いる作用素は「'''稠密に定義された可閉作用素'''」という、比較的扱いやすいクラスに属している事が知られている。そこで本節では、まず「稠密に定義された」という概念と「可閉」という概念を定式化する。

次に本節では、この「稠密に定義された可閉作用素」の概念をベースとして、量子力学におけるオブザーバブルの概念を定式化する。すなわち、稠密に定義された可閉作用素の'''共役作用素'''の概念を定式化し、共役作用素の概念を用いて'''自己共役作用素'''の概念を定式化し、最後に量子力学におけるオブザーバブルの概念を自己共役作用素により定式化する。

=== 稠密に定義された作用素 ===

オブザーバブルは状態空間の全域で定義されているとは限らないが、状態空間の稠密部分集合上では定義が可能である。そこでまず、稠密に定義された作用素の概念を導入する。
{{math theorem|定義|
<math>\mathcal{H}_1</math>、<math>\mathcal{H}_2</math>をヒルベルト空間とする。<math>\mathcal{H}_1</math>の部分集合{{Math|Dom(''T'')}}で定義された線形作用素<math>T~:~\mathrm{Dom}(T)\to\mathcal{H}_2</math>が<math>\mathcal{H}_1</math>'''で[[稠密に定義された作用素|稠密に定義されている]]'''とは、{{Math|Dom(''T'')}}が<math>\mathcal{H}_1</math>の稠密部分集合である事をいい[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=71}}、以下のように書き表す。
: <math>T~:~\mathcal{H}_1\to\mathcal{H}_2</math>　（稠密に定義されている）
|note='''稠密に定義された作用素'''}}
紛れがなければ<math>\mathcal{H}_1</math>上稠密に定義された作用素を単に
: <math>T~:~\mathcal{H}_1\to\mathcal{H}_2</math>　
と書く<ref group="注">例えば[[#新井|新井]]、[[#H13|H13]]で用いられている記法</ref>

特に<math>\mathrm{Dom}(T)=\mathcal{H}_1</math>が成立しているとき、{{Mvar|T}}は<math>\mathcal{H}_1</math>の'''全域で定義されている'''という。

稠密に定義された作用素に対し以下の拡大の概念を定義できる：
{{math theorem|定義|
稠密に定義された２つの線形作用素<math>S,T~:~\mathcal{H}_1\to\mathcal{H}_2</math>が、　{{Math|Dom(''S'')  ⊂ Dom(''T'') }}かつ{{Math|1=''T''{{!}}{{sub|Dom(''S'')}} = ''S''}}を満たすとき、{{Mvar|T}}は{{Mvar|S}}の'''拡大'''であるといい、以下のように書き表す：
: {{Math|''S'' ⊂ ''T''}}
|note='''稠密に定義された線形作用素の拡大'''}}

有界作用素に関しては、次の重用な性質が知られている：
{{math theorem|定理|
稠密に定義された作用素 {{Mvar|T}}がその定義域において有界な線形作用素であれば、{{Mvar|T}}を全域に一意に拡張可能である。すなわち、全域で定義された<math>\bar{T}~:~\mathcal{H}_1\to\mathcal{H}_2</math>が一意に存在し、<math>\bar{T}|_{\mathrm{Dom}(T)}=T</math>である[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=71}}
|note='''[[連続線形拡張|BLT定理]]'''}}

したがって有界作用素に限定すれば、稠密に定義されている事は全域で定義されている事と実質的な差がない。しかし量子力学で用いる作用その多くは有界ではないので、この定理を用いる事ができない。

=== 可閉作用素 ===
{{math theorem|定義|
稠密に定義された線形作用素<math>T~:~\mathcal{H}_1\to\mathcal{H}_2</math>が以下を満たすとき、{{Mvar|T}}は'''[[閉作用素]]'''であるという：
: 点列<math>\{\psi\}_n \subset \mathcal{H}_1</math>が<math>(\psi_n,T(\psi_n)) \to (\varphi,\chi)\in \mathcal{H}_1\times \mathcal{H}_2 </math>となる{{Math|(''φ'',''χ'')}}を持てば、<math>\varphi\in\mathrm{Dom}(T)</math>であり、しかも{{Math|1=''χ''=''T''(''φ'')}}が成立する[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=86-87}}。　

また稠密に定義された線形作用素<math>T~:~\mathcal{H}_1\to\mathcal{H}_2</math>が、拡大<math>S \supset T </math>で{{Mvar|S}}が閉作用素であるものを持つとき、{{Mvar|T}}は'''可閉作用素'''であるという[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=86-87}}。

{{Mvar|T}}が可閉作用素であるとき、{{Mvar|T}}の拡大線形作用素<math>S \supset T </math>で上記の性質を満たす（包含関係に関する）最小のもの<math>\bar{T}</math>が必ず存在することが知られており、<math>\bar{T}</math>を{{Mvar|T}}の'''閉包作用素'''という[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=86-87}}。
|note='''閉作用素、可閉作用素、閉包作用素'''}}


{{Mvar|T}}が可閉作用素である必要十分条件は、任意の点列{{Math|''ψ''{{sub|''n''}}∈Dom(''T'')}}に対し、{{Math|''n''→∞}}のとき{{Math|''ψ''{{sub|''n''}}→0}}かつ{{Math|''T''(''ψ''{{sub|''n''}})→''χ''}}であれば{{Math|1=''χ''=0}}が成立する事である[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=87}}。

=== 共役作用素 ===
<math>T~:~\mathcal{H}_1\to\mathcal{H}_2</math>を稠密に定義された線形作用素とする。ベクトル<math>\psi\in \mathcal{H}_2</math>に対し、以下の性質を満たす<math>\psi'\in \mathcal{H}_1</math>を考える：

: 任意の<math>\phi\in\mathrm{Dom}(T) </math>に対し、<math>\langle \psi' , \phi \rangle  = \langle \psi, T(\phi) \rangle</math>　

このような<math>\psi'</math>は常に存在するとは限らないが、存在すれば一意である事を示せる[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=82-83}}<ref group="注">[[#H13|H13]]{{Rp|page=56}}では[[#新井|新井]]{{Rp|page=82-83}}と違い、<math>\phi\to \langle\psi \mid T(\phi)\rangle</math>が有界になる事を要請しているが、両者の定義は[[リースの表現定理]]より同値になる。</ref>。そこで共役作用素を以下のように定義する：
{{math theorem|定義|
: <math>\mathrm{Dom}(T^*)=\{~\psi \in \mathcal{H}_2 ~:~ </math>上述の性質を満たす<math>\psi'</math>が存在する<math>\}</math>

とし、線形写像{{Mvar|T{{sup|*}}}}を

: <math>T^*~:~\mathrm{Dom}(T^*)\to\mathcal{H}_1,\quad \psi  \mapsto \psi' </math>

により定義し、{{Mvar|T{{sup|*}}}}を{{Mvar|T}}の[[随伴作用素|'''共役作用素''']]という[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=82-83}}。
|note='''共役作用素'''}}

定義より明らかに
: 任意の<math>x\in \mathrm{Dom}(T)\cap \mathrm{Dom}(T^{**})</math>に対し、<math>T^{**}(x)=T(x)</math>
であるが、{{Mvar|T}}が有界とは限らない時、{{Mvar|T}}が稠密に定義されていたとしても{{Mvar|T{{sup|*}}}}が稠密に定義されることも{{Math|1=''T''{{sup|**}}}}と{{mvar|T}}の定義域が一致する事も無条件には保証されない[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=83-84}}が、{{Mvar|T}}が可閉であればこれらは保証される：
{{math theorem|定理|
{{Mvar|T}}が可閉であれば以下が成立する：
* {{Mvar|T{{sup|*}}}}が稠密に定義される⇔{{Mvar|T}}が可閉作用素[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=90}}
* <math>\mathrm{Dom}(\overline{T^{**}})=\mathrm{Dom}(\bar{T})</math>
|}}

=== 自己共役作用素とオブザーバブル ===
{{math theorem|定義|
<math>\mathcal{H}</math>をヒルベルト空間とし、<math>T~:~\mathrm{Dom}(T)\subset\mathcal{H}\to\mathcal{H}</math>を稠密に定義されているとは限らない線形作用素とする。
* 任意の{{Math|''φ'', ''ψ''∈Dom(T)}}に対し、<math>\langle\varphi ,T(\psi)  \rangle = \langle T(\varphi) ,\psi  \rangle</math>が成立するとき、{{Mvar|T}}を'''[[エルミート作用素]]'''という[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=102}}。
* {{Mvar|T}}が稠密に定義されたエルミート作用素であるとき、{{Mvar|T}}を'''対称作用素'''であるという<sup>[[#H13|H13]]</sup>{{Rp|page=56}}
* {{Math|1=Dom(''T'') = Dom(''T''{{sup|*}})}}を満たす対称作用素{{Mvar|T}}を'''自己共役作用素'''という[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=102}}。
* {{Mvar|T}}が可閉作用素で、その閉包が自己共役であるとき、{{Mvar|T}}は'''本質的に自己共役'''であるという[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=165}}。|note='''自己共役作用素とその関連概念'''}}

量子力学では以下の仮定を課す：
{{math theorem|仮定|
量子力学におけるオブザーバブルは自己共役作用素として表現される。
|note='''オブザーバブルに関する仮定'''}}

=== 自己共役作用素とその関連概念の性質 ===

明らかに次が成立する：
{{math theorem|命題|
: {{Mvar|T}}は自己共役作用素⇒{{Mvar|T}}は対称作用素⇒{{Mvar|T}}はエルミート作用素
|}}

しかし逆向きは一般には成り立たない。与えられた作用素が自己共役かどうかを決定する問題を'''自己共役性の問題'''といい、それだけで一冊の本が書けるほど難しい問題である[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=228}}。

自己共役作用素とその関連概念に対し以下が知られている：
{{math theorem|定理|
# {{Mvar|T}}は本質的に自己共役作用素なら、{{Mvar|T}}の閉包<math>\bar{T}</math>は自己共役であり、しかも{{Mvar|T}}の拡大で自己共役なものは<math>\bar{T}</math>に限る<sup>[[#H13|H13]]</sup>{{Rp|page=173}}
# {{Mvar|T}}がエルミート作用素なら、共役作用素{{Mvar|T{{sup|*}}}}を{{Math|Dom(T)}}上で定義でき、しかもを{{Math|Dom(T)}}上で{{Math|1=''T''{{sup|*}}=T}}である。　　　　　　…({{EquationRef|B1}})
# {{Mvar|T}}が対称作用素⇒{{Mvar|T}}は可閉作用素　　　　　　…({{EquationRef|B2}})
# {{Mvar|T}}が自己共役作用素⇒{{Mvar|T}}は閉作用素
# {{Mvar|T}}が対称作用素⇒<math>\bar{T}=T^{**}</math>かつ<math>\bar{T}^* = \overline{T^*}</math>[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=90,101}}
|}}
上記定理の性質3は{{Mvar|T}}が可閉作用素である必要十分条件は{{Mvar|T{{sup|*}}}}が稠密に定義されることと性質2から従う[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=90}}。

性質1より、以下'''本項では{{Mvar|T}}が本質的に自己共役な場合には、紛れがなければ{{Mvar|T}}と<math>\bar{T}</math>を混用する'''。

自己共役作用素は必ず掛け算作用素として表現できる事が知られている：
{{math theorem|定理|
<math>T~:~\mathcal{H}\to\mathcal{H}</math>を自己共役作用素とする。このとき{{仮リンク|σ-有限|en|σ-finite measure}}な可測空間{{Math|(''X'',''μ'')}}とユニタリ作用素<math>U~:~\mathcal{H}\tilde{\to}L^2(X,\mu)</math>と可測な実数値関数<math>h~:~L^2(X,\mu)\to\mathbf{R}</math>が存在し、{{Math|1=''T''{{sub|''U''}}:=''UTU''{{sup|-1}}}}とすると以下が成立する：
: <math>T_U(\psi)=h(x)\psi(x)~~\forall \psi \in \mathrm{Dom}(T_U)</math>
|note='''掛け算作用素によるスペクトル定理'''[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=207}}{{Anchors|掛け算作用素によるスペクトル定理}}}}

== オブザーバブルの具体例 ==
本節では
: <math>\mathcal{H}=L^2(\mathbf{R}^d)</math>　
の場合に対して、オブザーバブルの具体例を述べる。

=== 微分作用素 ===
量子力学で登場する代表的なオブザーバブルは、いずれも偏微分を用いて表現できるので、まず本節では微分作用素の定義と性質を述べる。
{{math theorem|定義|
非負整数{{Math|''α''{{sub|1}}、…、''α''{{sub|''d''}}≧0}}からなるベクトル{{Math|(''α''{{sub|1}}、…、''α''{{sub|''d''}})}}に対し、
: <math>|\alpha|:=\alpha_1+\cdots+\alpha_d</math>

: <math>\partial^\alpha:=\frac{\partial^{|\alpha|}}{\partial^{\alpha_1}x_1\cdots\partial^{\alpha_d}x_d}</math>
とする（この記法を'''[[多重指数|多重指数表記]]'''という）。

: <math>D=\sum_{\alpha~:~|\alpha|\le m}\psi_{\alpha}(x)\partial^\alpha</math>　
の形で書ける作用素を{{mvar|m}}次の'''[[微分作用素]]'''という。ここで添え字{{mvar|α}}は非負整数の組で、和は有限和であり、{{Math|''ψ''{{sub|''α''}}(''x'')}}は{{mvar|'''R'''{{sup|d}}}}上の複素数値の局所自乗可積分な関数である。なお{{Mvar|D}}の定義において、{{Math|1=''α''{{sub|1}}=…=''α''{{sub|''d''}}=0}}の項<math>\psi_{0}(x)\partial^0</math>は{{Math|''ψ''{{sub|0}}(''x'')}}倍する演算子とみなす。
|note='''微分作用素'''}}

本節の目標は、微分作用素{{Mvar|D}}のうち性質の良いものを<math>\mathcal{H}=L^2(\mathbf{R}^d)</math>上定義されたオブザーバブルとみなす事である。しかしそもそも偏微分<math>{\partial \over \partial x_j}\psi(x)</math>は<math>\psi(x)\in L^2(\mathbf{R}^d)</math>が可微分でなければそもそも定義できないので、単純に{{Mvar|D}}を<math>\mathcal{H}=L^2(\mathbf{R}^d)</math>の元に作用させることはできない。そこで以下の事実を用いる：
{{math theorem|定義・定理|
<math>\mathcal{H}=L^2(\mathbf{R}^d)</math>の部分集合{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}('''R'''{{sup|''d''}})}}を
: <math>C^\infty_0(\mathbf{R}^d)=\{\psi(x) : \mathbf{R}^d \to \mathbf{C}~, </math>[[滑らかな関数|C<sup>∞</sup>級関数]] s.t. ある[[有界]][[閉集合]]{{Mvar|K}}が存在し、{{Mvar|ψ}}は{{Math|'''R'''{{sup|''d''}}＼''K''}}上で恒等的に0である<math>\}</math> 　
と定義すると次が成立する：
: {{Math|C{{su|p=∞|b=0}}('''R'''{{sup|''d''}})}}は<math>\mathcal{H}=L^2(\mathbf{R}^d)</math>の稠密部分集合である[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=43}}　
|note='''{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(R{{sup|''d''}})}}の<math>L^2(\mathbf{R}^d)</math>における稠密性'''}}
微分作用素{{Mvar|D}}は{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}('''R'''{{sup|''d''}})}}上で明らかに定義可能であり、しかも{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}('''R'''{{sup|''d''}})}}の元を{{Math|L{{sup|2}}('''R'''{{sup|''d''}})}}に写すので、以下の系が従う：
{{math theorem|系|
微分作用素{{Mvar|D}}を<math>\mathcal{H}=L^2(\mathbf{R}^d)</math>上稠密に定義された線形作用素とみなす事ができる。
|}}

=== 位置作用素 ===
{{math theorem|定義|
実数値[[可測関数]]
:<math>f~:~ \mathbf{R}^d\to \mathbf{R}</math>
に対して線形作用素{{Mvar|M{{sub|f}}}}を
: <math>M_f~:~\mathrm{Dom}(M_f) \to L^2(\mathbf{R}^3), 
\quad</math><math> \psi(x) \mapsto f(x)\psi(x)</math>　
と定義し、{{Mvar|M{{sub|f}}}}の閉包を'''掛け算作用素'''という。ここで
: <math>\mathrm{Dom}(M_f):= \bigg\{\psi(x)\in L^2(\mathbf{R}^d) ~:~ </math><math>\int_{\mathbf{R}^d} |f(x)\psi(x)|^2 \operatorname{d} x < \infty\bigg\}</math>　
である。

特に{{Math|1=''j'' = 1,...,''d''}}で{{Mvar|f(x){{=}}x{{sub|j}}}}という形の掛け算作用素を第{{Mvar|j}}'''位置作用素'''という。
|note='''掛け算作用素・位置作用素'''}}

{{math theorem|定理|
掛け算作用素は自己共役作用素である。
}}
上記の定理は以下のように証明できる。可測性から
: <math>C^\infty_0(\mathbf{R}^d)\subset\mathrm{Dom}(M_f)</math>　
なので{{Mvar|M{{sub|f}}}}は稠密に定義された作用素であり、しかも明らかに{{Mvar|M{{sub|f}}}}は対称作用素である。さらに<math>\phi\in\mathrm{Dom}(M_f{}^*) </math>とすれば、任意の<math>\psi\in\mathrm{Dom}(M_f) </math>に対し、<math>\langle \chi, \psi \rangle=\langle \phi, M_f(\psi) \rangle </math>をみたすので、
: <math>\int_{\mathbf{R}^d}\chi(x)\psi(x) \mathrm{d}x
=\langle \chi, \psi \rangle</math><math>=\langle \phi, M_f(\psi) \rangle = \int_{\mathbf{R}^d}f(x)\phi(x)\psi(x) \mathrm{d}x
 </math>　
である。<math>\psi\in\mathrm{Dom}(M_f) </math>の任意性より、これは<math>\chi(x)=f(x) \phi(x) </math> [[ほとんど (数学)|a.e]]を意味する。{{Mvar|χ}}の[[自乗可積分函数|自乗可積分性]]と{{Math|Dom(''M''{{sub|''f''}})}}の定義より、<math>\phi\in\mathrm{Dom}(M_f) </math>である。よって{{Math|1=Dom(''M''{{sub|''f''}}{{sup|*}})=Dom(''M''{{sub|''f''}})}}であり、掛け算作用素{{Mvar|M{{sub|j}}}}は自己共役作用素である。

=== 運動量作用素、軌道角運動量作用素 ===
{{math theorem|定義|
線形作用素
: <math>P_j~:~C^\infty_0(\mathbf{R}^d)\to L^2(\mathbf{R}^d),
\quad</math><math> \psi(x) \mapsto -i\hbar {\partial  \over \partial x_j}\psi(x) </math> 　
の閉包を第{{Mvar|j}}'''運動量作用素'''という。
|note='''運動量作用素'''}}

{{math theorem|定理・定義|
各{{Mvar|j}}に対し第{{Mvar|j}}運動量作用素{{Mvar|P{{sub|j}}}}は本質的に自己共役である。より一般に
: <math>D=\sum_{\alpha~:~|\alpha|\le m}(-i)^{|\alpha|}a_{\alpha}\frac{\partial^{\alpha}}{\partial^{\alpha_1}x_1\cdots\partial^{\alpha_d}x_d}, </math>  <math>\forall \alpha~:~a_{\alpha}\in \mathbf{R}</math>　　　…({{EquationRef|A1}})　
という形で書ける微分作用素は本質的に自己共役である[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=198}}。特に
: <math>C^\infty_0(\mathbf{R}^d)\to L^2(\mathbf{R}^d),
\quad</math><math> \psi(x) \mapsto -i\hbar \left(x_k{\partial  \over \partial x_j}- x_j{\partial  \over \partial x_k} \right)\psi(x) </math> 　
の閉包として書ける'''[[軌道角運動量|軌道角運動量作用素]]'''も自己共役である。
}}


({{EquationNote|A1}})の形の微分作用素{{Mvar|D}}が自己共役である事の証明は本項の範囲を超えるため省略するが、{{Mvar|D}}が対称作用素である事は以下のように示すことができる。{{Math|''φ'', ''ψ'' ∈C{{su|p=∞|b=0}}('''R'''{{sup|''d''}})}}に対し、[[部分積分|部分積分の公式]]から
: <math>\langle -i {\partial_j}\phi, \psi \rangle 
= \int_{\mathbf{R}^d} (-i {\partial_j}\phi(x))^*\psi(x) \mathrm{d} x </math><math>
= 
i\partial_j \int_{\mathbf{R}^d}\phi(x)\psi(x)\mathrm{d} x 
-\int_{\mathbf{R}^d}\phi^*(x)(-i {\partial_j}\psi(x)) \mathrm{d} x
= \langle\phi,-i\partial_j\psi\rangle</math>　
である。({{EquationNote|A1}})の形の微分作用素は<math>-i\partial_j</math>の実数係数多項式であるので、
: <math>\langle D(\phi), \psi \rangle =\langle \phi, D(\psi) \rangle</math>　
が成立する。{{Mvar|D}}の定義域{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}('''R'''{{sup|''d''}})}}は<math>\mathcal{H}=L^2(\mathbf{R}^d)</math>で稠密だったので、これは{{Mvar|D}}が対称作用素である事を意味する。

=== シュレディンガー作用素 ===

量子力学では時刻{{Mvar|t}}に依存するかもしれない'''ポテンシャル'''と呼ばれる実数値局所可積分関数{{Math|''V''(''x'',''t'')}}を固定し、'''シュレディンガー作用素'''と呼ばれる作用素
: <math>H=-\sum_{j=1}^n{\hbar \over 2m_j}\left({\partial^2 \over \partial x_{j,1}{}^2}+\cdot+{\partial^2 \over \partial x_{j,\ell}{}^2} \right)+ V(x,t)</math>　
を考える。ここで{{Mvar|m{{sub|j}}}}は何らかの定数で、物理的には{{Mvar|j}}番目の粒子の質量を表す。また{{Mvar|l}}は次元であり、物理学的なセッティングでは{{Mvar|3}}である。各時刻{{Mvar|t}}に対しシュレディンガー作用素は常に対称作用素であるが[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=227}}、本質的に自己共役であるか否かはポテンシャルによる。

{{math theorem|定理|
時間非依存かつ一粒子のシュレディンガー作用素
: <math>H=-{\hbar \over 2m}\left({\partial^2 \over \partial x_{1}{}^2}+\cdots+{\partial^2 \over \partial x_{\ell}{}^2} \right)+ V(x)</math>　
に関しては、以下の条件をみたすときには本質的に自己共役である[[#P01|<sup>P01</sup>]]{{Rp|page=82}}：
: <math>V(x) > -Q(|x|)</math>を満たす非負かつ非減少な連続関数{{Math|''Q''(''r'')}}で<math>\int_0^\infty {\mathrm{d} r \over\sqrt{Q(2r)}}=\infty</math>となるものが存在する。　
また時間非依存かつ一粒子のハミルトニアンが以下の条件を場合もハミルトニアンは本質的に自己共役である[[#P01|<sup>P01</sup>]]{{Rp|page=88}}[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=192}}：
: <math>V(x) \in L^p(\mathbb{R}^\ell) + L^\infty(\mathbb{R}^\ell)</math>で、しかも<math>\begin{cases}
p=2 & \text{if } \ell\le 3\\
p>2 & \text{if } \ell=4\\
p>n/2 & \text{if } \ell\ge 5 
\end{cases}</math>　
|note='''時間非依存かつ一粒子のシュレディンガー作用素の自己共役性'''}}

ここで<math>L^p(\mathbb{R}^\ell) + L^\infty(\mathbb{R}^\ell)</math>は<math>L^p(\mathbb{R}^\ell)</math>の元と<math>L^\infty(\mathbb{R}^\ell)</math>の元の和で書ける関数の集合である。

== 超関数によるデルタ関数の定式化 ==
量子力学を定式化するため、[[ポール・ディラック|ディラック]]は[[ディラックのデルタ関数|'''デルタ関数''']]
: <math>\delta(x)=
\begin{cases}
\infty & \text{if } x=0\\
0  &\text{otherwise}
\end{cases}</math>　
を導入した。数学的に見た場合、このような「関数」は存在しないものの関数概念を一般化した「超関数」の概念を使う事でデルタ関数を数学的に定式化でき、これによりディラックの議論をある程度の部分まで数学的に正当化ができる（全ての議論を正当化できるわけではない。詳細後述）。そこで本稿では超関数の概念を導入し、デルタ関数を超関数の概念を使って定式化し、超関数の性質を調べる。

=== 準備 ===
本節では超関数の概念を定式化するのに必要な概念を導入する。

==== {{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')}}と<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math> ====
 
{{math theorem|定義|{{math|'''R'''{{sup|d}}}}の領域{{math|''Ω''⊂'''R'''{{sup|d}}}}に対し、
: <math>C^\infty_0(\Omega)=\{\psi(x) : \Omega \to \mathbf{C}~, </math>[[滑らかな関数|C<sup>∞</sup>級関数]] s.t. ある[[有界]][[閉集合]]{{math|''K''⊂''Ω''}}が存在し、{{Mvar|ψ}}は{{Math|''Ω''＼''K''}}上で恒等的に0である<math>\}</math> 　
とする。
さらに{{Math|1=''α''=(''α''{{sub|1}},...,''α''{{sub|''d''}})}}、{{Math|1=''β''=(''β''{{sub|1}},...,''β''{{sub|''d''}})}}に対し、及び{{Math|''C''{{sup|∞}}}}級関数{{Math|''ψ'' : '''R'''{{sup|''d''}} → '''C'''}}に対し、
: <math>\|\psi\|_{\alpha,\beta}
:=\sup_{x\in\mathbf{R}^d} \left|
x{}^{\alpha}\partial^{\beta}\psi(x)\right|</math>　、ここで<math>x^\alpha :=
x_1{}^{\alpha_1}\cdots x_1{}^{\alpha_d} </math>
と定義する。{{Math|''C''{{sup|∞}}}}級関数{{Math|''ψ'' : '''R'''{{sup|''d''}} → '''C'''}}が
: 任意の{{Math|1=''α''=(''α''{{sub|1}},...,''α''{{sub|''d''}})}}、{{Math|1=''β''=(''β''{{sub|1}},...,''β''{{sub|''d''}})}}に対し、<math>\|\psi \|_{\alpha,\beta} < \infty</math>　
という性質を満たすとき、{{Mvar|ψ}}を[[シュワルツ空間|'''急減少関数''']]といい、{{Math|'''R'''{{sup|''n''}}}}上の急減少関数全体の集合<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>と書き、<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>を'''[[シュワルツ空間]]'''という[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=109}}。
|note='''{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')}}と<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>'''}}

==== 性質 ====
明らかに
: <math>C^\infty_0(\mathbf{R}^d)\subset \mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>
である。また前述したように{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}('''R'''{{sup|''d''}})}}は{{Math|''L''{{sup|2}}('''R'''{{sup|''d''}})}}の稠密部分空間なので、次の事実が成り立つ：
: <math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>は{{Math|L{{sup|2}}('''R'''{{sup|''d''}})}}の稠密部分空間である[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=190-191}}。
定義から明らかなように<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>は次を満たす
: {{Math|''ψ''(x{{sub|1}},...,x{{sub|''n''}})∈}}<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>なら、任意の{{Math|1=''α''=(''α''{{sub|1}},...,''α''{{sub|''d''}})}}、{{Math|1=''β''=(''β''{{sub|1}},...,''β''{{sub|''d''}})}}に対し、<math>x{}^{\alpha}\partial^{\beta}\psi(x)\in \mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>
よって特に、位置作用素や運動量作用素は<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>の元を<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>の元に写す。

==== 収束 ====
{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')}}の元の列および<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>の元の列の収束性を定義する。

{{math theorem|定義|
以下の2条件を満たす時、{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}('''R'''{{sup|''d''}})}}の元の列{{Math|{''φ{{sub|n}}''<nowiki>}</nowiki>}}は{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')}}の元{{Mvar|φ}}に'''収束'''するという[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=103}}：
* {{Mvar|n}}に依存しない[[有界]][[閉集合]]{{Math|''K''⊂''Ω''}}で、{{Math|supp ''φ''{{sub|n}}⊂''K''}}が任意の{{Mvar|n}}に対して成立するものが存在する。
* 任意の{{Math|1=''β''=(''β''{{sub|1}},…,''β''{{sub|n}})}}に対し、<math>\mathrm{sup}\{|\partial^{\beta}\phi_n(x)-\partial^\beta\phi(x)|~:~x\in K\}\to 0</math>が成立する。

また以下の性質が満たされているとき、<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>の元の列{{Math|{''ψ''{{sub|''n''}}<nowiki>}</nowiki>}}は<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>の元{{Mvar|ψ}}に'''収束'''するという：
: 任意の{{Math|1=''α''=(''α''{{sub|1}},...,''α''{{sub|''d''}})}}、{{Math|1=''β''=(''β''{{sub|1}},...,''β''{{sub|''d''}})}}に対し、<math>\|\psi_n-\psi \|_{\alpha,\beta} \to 0</math>　
}}

=== 超関数の定義 ===

==== シュワルツ超関数の定義 ====

{{Mvar|Ω}}を{{Math|'''R'''{{sup|''d''}}}}の領域とし、{{Math|''ψ'' : ''Ω'' → '''C'''}}を局所可積分関数とするとき、{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')}}上の線形汎関数{{Mvar|T{{sub|ψ}}}}を

: <math>T_\psi~:~C^{\infty}_0(\Omega) \to \mathbf{C}</math>、　<math>\phi \mapsto  \int_{\mathbf{R}^d} \phi(x)\psi(x) \mathrm{d}x</math>

により定義することで、局所可積分関数{{Mvar|ψ}}に{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')}}上の線形汎関数{{Mvar|T{{sub|ψ}}}}を対応させる事ができる。この対応関係が単射な事は容易に確かめられるので、{{Mvar|ψ}}と{{Mvar|T{{sub|ψ}}}}を自然に同一視することにすると、{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')}}上の線形汎関数の集合は局所可積分関数の集合を部分集合として含むことになるので、{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')}}上の線形汎関数を局所可積分関数よりも広いクラスの「関数」であるとみなせる。そこで{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')}}上の線形汎関数で「連続」なものの事を「[[シュワルツ超函数|シュワルツ超関数]]」、あるいは単に「超関数」と呼ぶことにする。
{{math theorem|定義|
線形汎関数
:{{Math|''T'' : C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')→'''R'''}}
で連続なものを[[シュワルツ超函数|'''シュワルツ超関数''']]、あるいは単に'''超関数'''という。
ここで{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')}}上の線形汎関数{{Mvar|T}}が'''連続'''であるとは、{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')}}の元の列<math>\{\phi_n\}_{n\in\mathbb{N}}</math>が{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')}}の元<math>\phi</math>に収束するときは常に
: <math>\lim_{n\to\infty}T(\phi_n)=T(\phi)</math>
が成立する事を言う[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=103}}。
超関数全体の集合を<math>\mathcal{D}'(\Omega)</math>と表記する。
|note='''超関数'''}}

２つの超関数に対してその線形和を自然に定義できるため、超関数全体の集合はベクトル空間をなす。同様に緩増加超関数を以下のように定義する：

{{math theorem|定義|
線型汎関数
: <math>T~:~\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)\to \mathbf{C}</math>
で、<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>の元の列{{Math|{''ψ''{{sub|''n''}}<nowiki>}</nowiki>}}が<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>の元{{Mvar|ψ}}に収束するなら
: <math>\lim_{n\to\infty}T(\psi_n)=T(\psi)</math>
を満たすものを'''連続'''であるといい、<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>から{{Math|'''C'''}}への連続な線型汎関数を'''緩増加超関数'''といい、緩増加超関数全体の集合を<math>\mathcal{S}'(\mathbf{R}^d)</math>と書き表す。
|note='''緩増加超関数'''}}

以下、超関数{{Mvar|T}}と局所可積分関数{{Mvar|ψ}}に対し、
: <math>\langle T,\psi\rangle := T(\psi)</math>
と表記する。緩増加超関数に対しても同様の表記を用いる。なお上述の表記は内積に似ているが、内積の定義では複素共役を取っている事が原因で、
: <math>\langle T_{\phi},\psi\rangle = \langle \phi^*,\psi\rangle</math>
となることに注意されたい。

==== 超関数と緩増加超関数の関係 ====
{{Mvar|T}}を緩増加超関数とするとき、{{Mvar|T}}の定義域を<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>の部分集合{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}('''R'''{{sup|''d''}})}}に制限した
: <math>T|_{C^\infty_0(\mathbf{R}^d)}~:~C^\infty_0(\mathbf{R}^d)\to \mathbf{C}</math>
は超関数になる。よって制限写像により緩増加超関数全体の集合<math>\mathcal{S}'(\mathbf{R}^d)</math>から超関数全体の集合<math>\mathcal{D}'(\mathbf{R}^d)</math>への写像
: <math>\mathcal{S}'(\mathbf{R}^d)\to\mathcal{D}'(\mathbf{R}^d)</math>、<math>T\mapsto T|_{C^\infty_0(\mathbf{R}^d)}</math>
を考える事ができる。この写像は単射である事が知られているので、この写像により自然に<math>\mathcal{S}'(\mathbf{R}^d)</math>を<math>\mathcal{D}'(\mathbf{R}^d)</math>の部分集合とみなすことができる。

==== デルタ超関数 ====
ディラックのデルタ関数の概念は、緩増加超関数の概念を用いて定式化する事ができる。
{{math theorem|定義|
{{Mvar|Ω}}を{{Math|'''R'''{{sup|''d''}}}}の[[開集合]]とするとき、以下のように定義される超関数を[[ディラックのデルタ関数|'''デルタ超関数''']]という：
: <math>\delta~:~C^{\infty}_0(\Omega) \to \mathbf{C}</math>、　<math>\phi \mapsto \phi(0)</math>
|note='''デルタ超関数'''}}
内積の定義より、これは
: <math>\langle \delta, \phi \rangle = \phi(0)</math>
を意味する。上式を{{Mvar|L{{sup|2}}}}空間における内積の定義と照らし合わせると、上式はディラックの議論における
: <math>\int_{\Omega}\delta(x)\phi(x) \mathrm{d}x = \phi(0)</math>
を数学的に正当化したものとみなせる。

==== 超関数の偏微分 ====
超関数に対する偏微分の概念を定義する為、まずは{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')}}の元の偏微分に関して簡単な考察をする。{{Mvar|φ}}、{{Mvar|ψ}}を{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')}}の２つの元とするとき、{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')}}の定義より{{Math|''φ''(''x'')}}、{{Math|''ψ''(''x'')}}が0でない{{Mvar|x}}の集合は有界閉集合であるのに対し、{{Mvar|Ω}}を{{Math|'''R'''{{sup|''d''}}}}の[[開集合]]であるので、{{Mvar|Ω}}の境界上では{{Math|''φ''(''x'')}}、{{Math|''ψ''(''x'')}}は0になる。よって[[微分積分学の基本定理]]から、
: <math>\int_{\Omega}\partial_{x_i}(\psi(x)\phi(x))\mathrm{d}x=0 </math>
が成立する。よって[[積の微分法則|ライプニッツルール]]により
: <math>\langle \partial_{x_i}\psi,\phi\rangle
=\int_{\Omega}\partial_{x_i}(\psi(x))\phi(x)\mathrm{d}x </math><math>=-
\int_{\Omega}\psi(x)\partial_{x_i}(\phi(x))\mathrm{d}x=-\langle \psi,\partial_{x_i}\phi\rangle </math>
が成立する。そこで上式を参考にして、超関数の偏微分を以下のように定義する：
{{math theorem|定義|
超関数{{Mvar|T}}の'''偏微分'''を
: <math>\partial_{x_i}T(\phi)= \langle \partial_{x_i}T,\phi\rangle
:=
 -\langle T,\partial_{x_i}\phi\rangle
 </math>
により定義する。
|note='''超関数の偏微分'''}}
{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')}}の元は無限回微分可能なので、上記の定義は常に意味を持つ。より一般に微分作用素を
: <math>\left(\sum{}_{\alpha~:~|\alpha|\le m}\psi_{\alpha}(x)\partial^{\alpha_1}_{x_1}\cdots\partial^{\alpha_d}_{x_d}\right)T := \sum{}_{\alpha~:~|\alpha|\le m}\psi_{\alpha}(x)\partial^{\alpha_1}_{x_1}\cdots\partial^{\alpha_d}_{x_d}T</math>
も定義可能である。

ここで注意すべきことは、'''局所可積分関数{{Mvar|ψ}}それ自身が偏微分不能な関数であっても、<math>\partial_{x_i}T_{\psi} </math>は定義可能'''な事である。これは{{Mvar|ψ}}の偏微分は通常の関数としては存在しなくとも、超関数の中には{{Mvar|ψ}}（と同一視される{{Mvar|T{{sub|ψ}}}}）の偏微分が存在する事が原因である。紛れがなければ以下<math>\partial_{x_i}T_{\psi} </math>の事を単に<math>\partial_{x_i}\psi </math>と書き、<math>\partial_{x_i}\psi </math>を{{Mvar|ψ}}の'''超関数としての偏微分'''と呼ぶ。

また通常の関数の場合、仮に二階偏微分可能であっても<math>\partial_{x_i}\partial_{x_j}\psi</math>と<math>\partial_{x_j}\partial_{x_i}\psi</math>が異なる関数になる場合があるが、超関数としての微分を考えた場合、<math>\partial_{x_i}\partial_{x_j}T_{\psi}</math>と<math>\partial_{x_j}\partial_{x_i}T_{\psi}</math>は必ず同一の超関数になる事を簡単に確認できる。

==== 限界 ====
以上で示したように、超関数の概念を用いる事でディラックによるデルタ関数の議論の一部を数学的に正当化できるが、超関数を用いても全ての議論を正当化できるわけではない。例えば以下の議論は超関数では正当化されない：
* 公式<math>\langle\delta(x-\lambda),\delta(x-\tau)\rangle=\delta(\lambda-\tau)</math>：そもそも超関数同士の積は定義不可能である。（詳細は[[シュワルツ超函数|シュワルツ超関数]]の項目を参照されたい）
* {{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')}}以外の{{Mvar|L{{sup|2}}}}空間の元とデルタ関数との内積を取ること：前述した内積の定義は超関数と{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')}}の元との間にのみ定義されているので、{{Math|C{{su|p=∞|b=0}}(''Ω'')}}に属していない元とは内積を取れない。
* デルタ関数は超関数であり、{{Mvar|L{{sup|2}}}}空間の元ではないので、デルタ関数をあたかも通常の状態ベクトルであるかのように扱う議論は必ずしも正当化できない。

=== 弱微分 ===
関数{{Math|''ψ''}}の超関数としての微分が関数で書けるとき、その関数を{{Math|''ψ''}}の弱微分という：

{{math theorem|定義|
{{Mvar|Ω}}を{{Math|'''R'''{{sup|''d''}}}}の[[開集合]]とする。局所可積分関数{{Math|''ψ''、''χ'' : ''Ω'' → '''C'''}}に対応する超関数{{Mvar|T{{sub|ψ}}、T{{sub|χ}}}}が
: <math>T_\chi = \partial_i T_\psi</math>
を満たす時、{{Mvar|χ}}は{{Mvar|ψ}}の'''[[弱微分]]'''であるとい、
: <math>\chi = w\text{-}\partial_i \psi</math>
と表記する。
|note='''弱微分'''}}

{{math theorem|定理|
運動量作用素（の閉包作用素）{{Mvar|P{{sub|j}}}}の定義域は以下のように書くことができる：
: <math>\mathrm{Dom}(P_j)=\{\psi\in\mathcal{H}\mid \exist w\text{-}\partial_j \psi_j,~ \|w\text{-}\partial_j\psi_j\|^2<\infty\}</math>
|note='''運動量作用素の定義域'''}}

== フーリエ変換 ==
本節では、関数 {{Math|''f'': '''R''' &rarr; '''C'''}} の'''[[フーリエ変換]]'''
: <math>\mathcal{F}(f)(\xi) := {1\over (2\pi)^{d/2}}\int_{-\infty}^{\infty} f(x)\ e^{-  i x \xi}\,\mathrm{d}x</math>
とその逆変換に当たる'''フーリエ逆変換'''
: <math>\mathcal{F}^*(g)(x) := {1\over (2\pi)^{d/2}}\int_{-\infty}^{\infty} g(\xi)\ e^{ i x \xi}\,\mathrm{d}x</math>
の厳密な定義を述べ、その性質を調べ、そして最後に位置作用素と運動量作用素が（換算プランク定数を除いて）フーリエ変換で移り合う関係にある事を見る。

フーリエ変換とその逆変換を定義する上で問題になるのは、{{Mvar|f}}や{{Mvar|g}}がどのようなクラスに属すればこれらの変換が定義でき、変換によってできあがる関数<math>\mathcal{F}(f)</math>、<math>\mathcal{F}^*(g)</math>がどのようなクラスに属するか、という事である。本節ではまずシュワルツ空間という関数空間のクラスを定義し、フーリエ変換がシュワルツ空間上の全単射になっている事を示す。次に本節では、シュワルツ空間上の線型汎函数である「緩増加超関数」に対してもフーリエ変換が定義可能なことを見る。そして最後にフーリエ変換が{{Mvar|L{{sup|2}}}}空間上の全単射になっている事を見る。

=== <math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>と<math>\mathcal{S}'(\mathbf{R}^d)</math>の上のフーリエ変換 ===

==== <math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>上のフーリエ変換 ====
次が成立する事を簡単な計算で確かめることができる：
{{math theorem|定理|
フーリエ変換とフーリエ逆変換は<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>上定義可能である。しかもこれらの変換は<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>上の全単射であり、フーリエ変換とフーリエ逆変換は逆写像の関係にある[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=112}}
}}

またこれらの変換は連続である：
{{math theorem|定理|
<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>の元の列{{Math|{''ψ''{{sub|''n''}}<nowiki>}</nowiki>}}が<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>の元{{Mvar|ψ}}に収束するなら、<math>\mathcal{F}(\psi_n)\to \mathcal{F}(\psi)</math>と<math>\mathcal{F}^*(\psi_n)\to \mathcal{F}^*(\psi)</math>が成立する[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=112}}。
}}

==== シュワルツ関数の埋め込み ====
<math>\psi,\chi\in\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>に対し、超関数の時と同様
: <math>T_{\psi}(\chi):=\int_{\mathbf{R}^d}\psi(x)\chi(x)\mathrm{d}x</math>
と定義する事で、シュワルツ関数<math>\psi\in\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>に緩増加超関数{{Mvar|T{{sub|ψ}}}}を対応させることができる。
{{math theorem|定理|写像
: <math>\psi\in\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)\mapsto T_{\psi}\in\mathcal{S}'(\mathbf{R}^d)</math>
は単射かつ連続で、しかもその像は値域において[[稠密集合|稠密]]である[[#M07|<sup>M07</sup>]]{{Rp|page=17}}。
}}

==== <math>\mathcal{S}'(\mathbf{R}^d)</math>上のフーリエ変換 ====
<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>の元{{Mvar|ψ}}、{{Mvar|χ}}に対し、[[プランシュレルの定理]]
: <math>\int_{\mathbf{R}^d}\mathcal{F}(\psi)(\xi)\mathcal{F}^*(\chi)(\xi)\mathrm{d}\xi</math><math>=\int_{\mathbf{R}^d}\psi(x)\chi(x)^*\mathrm{d}x</math>
が成り立つので、<math>\varphi(x) = \mathcal{F}(\chi)(x)</math>とする事で、
: <math>\int_{\mathbf{R}^d}\mathcal{F}(\psi)(\xi)\varphi(\xi)\mathrm{d}\xi
</math><math>=\int_{\mathbf{R}^d}\psi(x)\mathcal{F}(\varphi)(x)\mathrm{d}x </math>
となる事が分かる。これを参考にして緩増加超関数{{Mvar|T}}のフーリエ変換を以下のように定義する：
{{math theorem|定義|
緩増加超関数{{Mvar|T}}のフーリエ変換
: <math>\mathcal{F}(T)(\psi):=\langle T, \mathcal{F}(\psi)\rangle </math>
により定義し、同様にフーリエ逆変換を
: <math>\mathcal{F}^*(T)(\psi):=T(\mathcal{F}^*(\psi))</math>
により定義する。
}}

これらの変換は緩増加超関数全体の集合<math>\mathcal{S}'(\mathbf{R}^d)</math>で逆写像の関係にある事を以下のように簡単に示すことができる：
: <math>\mathcal{F}(\mathcal{F}^*(T))(\psi):=T(\mathcal{F}(\mathcal{F}^*(\psi)))</math><math>=T(\psi)</math>
<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>上のフーリエ変換が連続であることから、上に定義した<math>\mathcal{S}'(\mathbf{R}^d)</math>上のフーリエ変換も連続である事が従う。

=== {{Mvar|L{{sup|2}}}}空間上のフーリエ変換 ===

==== 定義 ====
L<sup>2</sup>関数{{Mvar|ψ}}に緩増加超関数
: <math>T_{\psi}(\chi):=\int_{\mathbf{R}^d}\psi(x)\chi(x)\mathrm{d}x</math>
を自然に対応させることで、L<sup>2</sup>空間を<math>\mathcal{S}'(\mathbf{R}^d)</math>の部分集合とみなせる。よって<math>\mathcal{S}'(\mathbf{R}^d)</math>上でフーリエ変換の定義域をL<sup>2</sup>空間に制限する事でL<sup>2</sup>空間にもフーリエ変換が定義できる。次の事実が成り立つことが知られている：
{{math theorem|定理|
L<sup>2</sup>関数のフーリエ変換はL<sup>2</sup>関数であり、しかもフーリエ変換は<math>L^2(\mathbf{R}^d)</math>上の内積を保つ[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=197}}[[#M07|<sup>M07</sup>]]{{Rp|page=17}}。
すなわち、L<sup>2</sup>関数のフーリエ変換は<math>L^2(\mathbf{R}^d)</math>上のユニタリ変換である[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=197}}
}}

実はこのような性質を満たすフーリエ変換の拡張は一意である：
{{math theorem|定理|
<math>L^2(\mathbf{R}^d)</math>上ユニタリ変換で、<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>への制限が<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>上のフーリエ変換と一致するものはただ一つである[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=197}}。
}}

==== 性質 ====
L<sup>2</sup>関数{{Mvar|ψ}}のフーリエ変換は
: <math>{1\over (2\pi)^{d/2}}\int_{-\infty}^{\infty} \psi(x)\ e^{-  i x \xi}\,\mathrm{d}x</math>
という形式で書くことがでるとは限らない。なぜなら{{Mvar|ψ}}がL<sup>2</sup>関数の場合は上述の積分は一般には定義できるとは限らないからである。しかし
: <math>F_R(\psi) := {1\over (2\pi)^{d/2}}\int_{|x|\le R} \psi(x)\ e^{-  i x \xi}\,\mathrm{d}x</math>
は定義でき[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=197}}、L<sup>2</sup>関数のフーリエ変換は以下を満たすことが知られている：
{{math theorem|定理|
: {{Math|''R''→∞}}のとき、<math>\int_{\mathbf{R}^d}|F_R(\psi)-\mathcal{F}(\psi)|^2\mathrm{d}x \to 0</math>
すなわち{{Math|''F{{sub|R}}''(''ψ'')}}は<math>\mathcal{F}(\psi)</math>にL<sup>2</sup>収束する[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=197}}。
}}

=== 運動量作用素のフーリエ変換 ===

最後に、位置作用素と運動量作用素とがフーリエ変換で移り合う関係にある事を見る。

そのためにより一般に微分作用素
: <math>D=\sum_{\alpha~:~|\alpha|\le m}(-i)^{|\alpha|}a_{\alpha}\frac{\partial^{\alpha}}{\partial^{\alpha_1}x_1\cdots\partial^{\alpha_d}x_d}, </math>  <math>\forall \alpha~:~a_{\alpha}\in \mathbf{R}</math>　　
(の閉包作用素)を考え、多項式{{Mvar|F}}を
: <math>F(x_1,\ldots,x_d)=\sum_{\alpha~:~|\alpha|\le m}a_{\alpha}x_1{}^{\alpha_1}\cdots x_d{}^{\alpha_d} </math>
と定義すると、以下が成立することが知られている[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=198}}：
{{math theorem|定理|
: <math>D=\mathcal{F}^{-1}\circ M_F \circ \mathcal{F} </math>
}}
ここで{{Mvar|M{{sub|F}}}}は{{Mvar|F}}を乗じる掛け算作用素である。よって特に運動量作用素
: <math>P_j=-i\hbar{\partial\over \partial x_j} </math>
（の閉包作用素）は以下を満たす：
{{math theorem|系|
: <math>P_j=\hbar\mathcal{F}^{-1}\circ M_{x_j} \circ \mathcal{F} </math>
}}
{{Mvar|x{{sub|j}}}}倍する掛け算作用素は位置作用素であったことから、上式は換算プランク定数を除いて位置作用素と運動量作用素が移り合うことを意味する。

== スペクトル ==
[[スペクトル理論|'''スペクトル''']]とは、有限次元における固有値・固有ベクトルの理論の「無限次元版」であり、量子力学では物理量を観測する時に得られる値の集合となる。本節の目標は、ヒルベルト空間上定義された自己共役作用素のスペクトルの概略を述べる。

=== 有限次元における固有値 ===
無限次元におけるスペクトル理論について述べる前に、まず有限次元の固有値の性質を調べる。{{Mvar|λ}}が<math>A~:~\mathcal{H}\to\mathcal{H}</math>の固有値である事は明らかに
: <math>\ker(A-\lambda I)\neq \{0\}</math>
を意味し、これは{{Math|1=''A''-''λI''}}は単射ではない事を意味する。<math>\mathcal{H}</math>が有限次元であれば線形写像が単射である事は全射である事と同値なので、{{Mvar|λ}}が{{Mvar|A}}の固有値である事は{{Math|1=''A''-''λI''}}が全単射でない事と同値である。したがって{{Mvar|λ}}が{{Mvar|A}}の固有値ではない場合、{{Math|1=''A''-''λI''}}は全単射である為、
: <math>R_{\lambda}:=(A-\lambda I)^{-1}</math>
が存在し、逆に{{Mvar|R{{sub|λ}}}}が存在すれば{{Mvar|λ}}は{{Mvar|A}}の固有値ではない。

しかし無限次元の場合には
* 単射ではない全射線形作用素
* 全射ではない単射線形作用素
が存在するため、このような単純な関係は存在しない。スペクトル理論は、上述のような作用素の存在を考慮した上で、固有値・固有ベクトルの理論を適切に「無限次元化」したものである。

=== スペクトルの定義 ===
これまで同様<math>\mathcal{H}</math>をヒルベルト空間とし、<math>A~:~\mathcal{H}\to\mathcal{H}</math>を稠密に定義された（有界とは限らない）閉作用素とし、{{Mvar|λ}}を複素数とする。恒等写像{{Mvar|I}}は全域で定義されているので、{{Math|''A''-''λI''}}も{{Mvar|A}}と同一の定義域を持つ作用素として定義できる。
{{math theorem|定義|
: <math>A-\lambda I~:~\mathrm{Dom}(A)\to\mathcal{H}</math>
が全単射である複素数{{Mvar|λ}}全体の集合を{{Math|''ρ''(''A'')}}と書き、{{Mvar|A}}の'''レゾルベント集合'''といい[[#S12|<sup>S12</sup>]]{{Rp|page=7}}、その補集合<math>\sigma(A):=\mathbf{C}\setminus \rho(A)</math>を{{Mvar|A}}の'''スペクトル'''という[[#S12|<sup>S12</sup>]]{{Rp|page=7}}[[#K12|<sup>K12</sup>]]{{Rp|page=30}}。さらにスペクトル{{Math|''σ''(''A'')}}に属する{{Mvar|λ}}を{{Mvar|A}}の[[スペクトル (関数解析学)|'''スペクトル点''']]であるという[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=177}}。
}}
なお、本稿で述べているレゾルベント集合を'''狭義のレゾルベント集合'''と呼び、「レゾルベント集合」という語には別の意味を与えているテキストも存在するので注意されたい。

==== レゾルベント ====
{{math theorem|定義|
{{Mvar|λ}}がレゾルベント集合{{Math|''ρ''(''A'')}}に属していれば<math>A-\lambda I~:~\mathrm{Dom}(A)\to\mathcal{H}</math>は全単射なので、{{Math|''A''-''λI''}}の逆写像
: <math>R_{\lambda}:=(A-\lambda I)^{-1}~:~\mathcal{H}\to\mathrm{Dom}(A)\subset\mathcal{H}</math>
が定義できる。{{Mvar|R{{sub|λ}}}}を{{Mvar|A}}の{{Mvar|λ}}における'''レゾルベント'''という。
}}
次の事実が知られている：
{{math theorem|定理|
{{Mvar|A}}が閉作用素の場合、{{Mvar|R{{sub|λ}}}}は必ず有界である[[#L04|<sup>L04</sup>]]{{Rp|page=38}}。
}}

なお本稿では{{Mvar|A}}が閉作用素の場合に限定してレゾルベント集合を定義したが、{{Mvar|A}}が閉作用素でない場合にレゾルベント集合の定義を拡張する際は、{{Math|1=''A''-''λI''}}が全単射になり、しかも{{Mvar|R{{sub|λ}}}}が有界になる{{Mvar|λ}}の全体をレゾルベント集合と定義する[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=125}}。

==== 点スペクトル ====
スペクトル{{Math|''σ''(''A'')}}の定義より、{{Mvar|λ}}が{{Math|''σ''(''A'')}}に属する場合、{{Math|1=''A''-''λI''}}は全単射でない。すなわち{{Math|1=''A''-''λI''}}は「全射でない」かもしくは「単射でない」事を意味する。
{{math theorem|定義|
{{Math|''σ''(''A'')}}の元のうち、{{Math|''A''-''λI''}}が単射でない複素数{{Mvar|λ}}全体の集合を{{Math|''σ''{{sub|''P''}}(''A'')}}と書き、{{Math|''σ''{{sub|''P''}}(''A'')}}を{{Mvar|A}}の'''点スペクトル'''という[[#K12|<sup>K12</sup>]]{{Rp|page=30}}[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=92}}。
}}
{{Mvar|λ}}が{{Math|''σ''{{sub|''P''}}(''A'')}}の元であれば明らかに
: <math>\ker(A-\lambda I)\neq \{0\}</math>
であるので、
: <math>A\psi=\lambda\psi</math>
となる{{Mvar|0}}でない<math>\psi\in\mathrm{Dom}(A)</math>が存在する。すなわち点スペクトル{{Math|''σ''{{sub|''P''}}(''A'')}}の元は{{Mvar|A}}の'''固有値'''である[[#K12|<sup>K12</sup>]]{{Rp|page=30}}。{{Math|''σ''{{sub|''P''}}(''A'')}}の元{{Mvar|λ}}に対し、<math>\ker(A-\lambda I)</math>の{{Mvar|0}}でない元を{{Math|''A''}}の{{Mvar|λ}}に対応する'''固有ベクトル'''といい、<math>\dim\ker(A-\lambda I)</math>を{{Mvar|λ}}の'''多重度'''という[[#K12|<sup>K12</sup>]]{{Rp|page=30}}。

有限次元の場合と違い、{{Math|''A''-''λI''}}が単射であるにもかかわらず、全射ではない事が起こりうる。よって<math>\sigma(A)\setminus \sigma_P(A)</math>は一般には空集合ではない。<math>\sigma(A)\setminus \sigma_P(A)</math>の詳細については後述する。

==== 剰余スペクトル、連続スペクトル ====
スペクトル{{Math|''σ''(''A'')}}に属する{{Mvar|λ}}のうち、{{Math|1=''A''-''λI''}}が単射でないもの全体が点スペクトル{{Math|''σ''{{sub|''P''}}(''A'')}}であった。それ以外の{{Math|''σ''(''A'')}}の元、すなわち{{Math|1=''A''-''λI''}}が単射ではあるが全射でないものは２つのタイプに分類できる。
{{math theorem|定義|
{{Math|1=''A''-''λI''}}が単射であるが全射でなく、しかもその像
: <math>(A-\lambda I)(\mathrm{Dom}(A))</math>
が値域<math>\mathcal{H}</math>で稠密になる{{Mvar|λ}}全体の集合を{{Math|''σ{{sub|c}}''(''A'')}}と書き、{{Mvar|A}}の'''連続スペクトル'''という。一方{{Math|1=''A''-''λI''}}が単射であるが全射でなく、しかも<math>(A-\lambda I)(\mathrm{Dom}(A))</math>が<math>\mathcal{H}</math>で稠密ではないもの全体の集合を{{Math|''σ{{sub|r}}''(''A'')}}と書き、{{Mvar|A}}の'''剰余スペクトル'''という[[#S12|<sup>S12</sup>]]{{Rp|page=12}}。
}}

{{Mvar|λ}}が{{Mvar|A}}の剰余スペクトルもしくは連続スペクトルに属していれば、{{Math|1=''A''-''λI''}}は単射であるので、{{Math|1=''A''-''λI''}}の像<math>(A-\lambda I)(\mathrm{Dom}(A))</math>の上定義された逆写像<math>(A-\lambda I)^{-1}</math>を定義できる。この意味において、レゾルベント集合においても{{Math|1=''A''-''λI''}}の逆写像が定義できるので、この意味で剰余スペクトルや連続スペクトルはレゾルベント集合に類似しているが、違いは逆写像の定義域にある。レゾルベント集合においては<math>(A-\lambda I)^{-1}</math>は<math>\mathcal{H}</math>の全域で定義され、しかも（{{Mvar|A}}が閉作用素であれば）<math>(A-\lambda I)^{-1}</math>は必ず有界である。それに対し連続スペクトルの場合は<math>(A-\lambda I)^{-1}</math>の<math>\mathcal{H}</math>の稠密部分空間で定義されているに過ぎず、しかも<math>(A-\lambda I)^{-1}</math>は有界ではない[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=125}}。さらに剰余スペクトルにおいては<math>(A-\lambda I)^{-1}</math>の定義域は<math>\mathcal{H}</math>で稠密ですらない。

以上で定義した概念をまとめると次のようになる。

{{math theorem|定理|
複素数の集合{{Math|'''C'''}}はレゾルベント集合{{Math|''ρ''(''A'')}}とスペクトル{{Math|''σ''(''A'')}}により、
: <math>\mathbf{C}=\rho(A) \sqcup \sigma(A) </math>
と[[非交和|互いに交わらない和]]として書き表す事ができ、さらにスペクトル{{Math|''σ''(''A'')}}は点スペクトル{{Math|''σ''{{sub|''P''}}(''A'')}}と連続スペクトル{{Math|''σ{{sub|c}}''(''A'')}}と剰余スペクトル{{Math|''σ{{sub|r}}''(''A'')}}により、
: <math>\sigma(A)=\sigma_P(A) \sqcup \sigma_c(A)\sqcup \sigma_r(A) </math>
と互いに交わらない和として書き表せる。
}}
なお連続スペクトルは本稿で述べたのとは別の定義があり、その定義を採用した場合には連続スペクトルと剰余スペクトルは排他的になるとは限らない[[#K12|<sup>K12</sup>]]{{Rp|page=30}}。

点スペクトル{{Math|''σ''{{sub|''P''}}(''A'')}}以外では{{Math|1=''A''-''λI''}}が単射になるので、{{Math|1=''A''-''λI''}}の像の上で逆写像<math>(A-\lambda I)^{-1}</math>が定義できるが、剰余スペクトルでは<math>(A-\lambda I)^{-1}</math>の定義域は有界ではなく、連続スペクトルでは稠密に定義されているが有界ではなく、レゾルベント集合では全域で定義されていてしかも有界である。

=== 自己共役作用素のスペクトル ===

本節では以下、<math>A~:~\mathcal{H}\to\mathcal{H}</math>を（稠密に定義された有界とは限らない）自己共役作用素とする。このとき{{Math|''σ''(''A'')}}は実数体{{Math|'''R'''}}の閉部分集合である事が知られている[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=177-178}}。また{{Math|''σ''(''A'')}}の元は必ずしも点スペクトルではないため、<math>(A-\lambda I)\psi</math>が{{Math|0}}となる{{Math|''ψ''≠0}}が存在するとは限らないが、<math>(A-\lambda I)\psi</math>をいくらでも{{Math|0}}に近く取る事ができる[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=177-178}}：
{{math theorem|定理|
<math>A~:~\mathcal{H}\to\mathcal{H}</math>を（稠密に定義された有界とは限らない）自己共役作用素とする。
このとき、<math>\lambda\in\sigma(A) </math>である必要十分条件は、{{Math|Dom(''A'')}}に属する単位ベクトルの列{{Math|{''ψ{{sub|n}}''}{{sub|n∈'''N'''}}}}が存在して<math>\lim_{n\to\infty}\|(A-\lambda I)\psi_n\| =0 </math>となる事である。
}}
なお上の後半の性質を満たす{{Mvar|λ}}全体の集合を{{Math|''σ{{sub|app}}''(''A'')}}と書き、'''近似スペクトル'''という[[#S12|<sup>S12</sup>]]{{Rp|page=12}}。したがって上述の事実は、自己共役作用素のスペクトルは近似スペクトルと一致する事を意味する。さらに次が成立する事が知られている：
{{math theorem|定理|
自己共役作用素の剰余スペクトル{{Math|''σ{{sub|r}}''(''A'')}}は必ず空集合である[[#K12|<sup>K12</sup>]]{{Rp|page=30}}。
}}
以上をまとめると、以下が成立する。
{{math theorem|定理|
<math>A~:~\mathcal{H}\to\mathcal{H}</math>を（稠密に定義された有界とは限らない）自己共役作用素とすると、
:<math>\sigma(A)=\sigma_{app}(A)=\sigma_P(A) \sqcup \sigma_c(A) </math>
}}

== スペクトル分解と観測 ==
[[スペクトル分解 (関数解析学)|'''スペクトル分解''']]とは、有限次元ベクトル空間における線形作用素の固有値分解を無限次元に拡張したものであるが、単純に有限次元の固有値分解を無限次元に拡張することはできない。これは無限次元の場合、有限次元と違って連続スペクトルが存在し、連続スペクトルには点スペクトル（＝固有値）と違い、対応する固有ベクトルが存在しないことに起因する。

本稿では自己共役作用素をスペクトル分解する方法として、以下の３種類を紹介する：
* 直積分によるスペクトル分解
* スペクトル測度によるスペクトル分解
* ゲルファントの３つ組によるスペクトル分解
これら３つのスペクトル分解のうちで、量子力学において通常用いられるスペクトル分解の定式化、すなわちデルタ関数を用いたスペクトル分解に最も近いのは最後にあげたゲルファントの三つ組によるものである。しかしこのゲルファントの三つ組によるスペクトル分解は、すべての自己共役作用素に対して適応できるわけではないという欠点を持つ上、この手法でスペクトル分解するには数学的な準備が必要となる。そこでこの手法によるスペクトル分解は後の節にまわし、本節では残り２つのスペクトル分解を紹介し、これらをもとに、量子状態の'''観測'''の概念を数学的に定式化する。


=== 直積分によるスペクトル分解 ===

<math>\mathcal{H}</math>が有限次元の場合、<math>\mathcal{H}</math>を
: <math>\mathcal{H}=\bigoplus_{\lambda\in \sigma(A)}\mathcal{H}_\lambda </math>　
のように直和として表記可能である。ここで{{Mvar|A}}は<math>\mathcal{H}</math>上の自己共役作用素であり、<math>\mathcal{H}_\lambda</math>は固有値{{Mvar|λ}}に対応する固有空間である。さらに任意の<math>\psi\in\mathcal{H}_\lambda</math>に対し、
: <math>A(\psi)=\lambda\psi </math>　
である。

一方<math>\mathcal{H}</math>が無限次元の場合には、{{Mvar|A}}は非可算無限個のスペクトル点を持ちうるので、単純に上式を無限次元に拡張する事はできない。しかしベクトル空間の「直和」の代わりに「直積分」という概念を用いる事で無限次元の場合も同種の公式が成立する事が知られており、これを{{Mvar|A}}の直積分によるスペクトル分解と呼ぶ。本節では直積分の概念を数学的に定式化し、直積分を用いて上式を無限次元の場合に拡張する。

==== 直積分の定義 ====
直積分の概念を定式化するため、「切断」の概念を導入する：
{{math theorem|定義|
{{Math|''X''⊂'''R'''}}を可測な集合とし、<math>(\mathcal{H}_\lambda)_{\lambda\in X}</math>を（有限次元または無限次元の可分な）ヒルベルト空間の[[族 (数学)|族]]とし、<math>\mathcal{H}_\lambda</math>上の内積を<math>\langle\cdot,\cdot\rangle_\lambda</math>と書き表す。さらに{{Mvar|μ}}を{{仮リンク|σ-有限|en|σ-finite measure}}な{{Math|''X''}}上の測度とする。<math>s=(s(\lambda))_{\lambda\in X}</math>で
: <math>\forall \lambda\in X~:~s(\lambda)\in\mathcal{H}_\lambda </math>　
を満たすもので、「可測」（詳細後述）なものを<math>(\mathcal{H}_\lambda)_{\lambda\in X}</math>の'''切断'''(section)と呼ぶ。
|note='''ヒルベルト空間の族の切断'''}}

さらに２つの切断<math>s=(s(\lambda))_{\lambda\in X}</math>、<math>t=(t(\lambda))_{\lambda\in X}</math>に対し、{{Mvar|s}}と{{Mvar|t}}の内積を
: <math>\langle s,t\rangle:=\int_X\langle s(\lambda),t(\lambda)\rangle \mathrm{d}\mu </math>　
により定義することができる。
{{math theorem|定義|
自分自身との内積<math>\langle s,s\rangle </math>が有限になる切断全体のなすベクトル空間を考え、このベクトル空間を測度{{Mvar|μ}}に関してほとんど至る所等しい切断を同一視する事で得られるベクトル空間を
: <math>\int_X^\oplus \mathcal{H}_\lambda \mathrm{d}\mu </math>　
と表記し、<math>(\mathcal{H}_\lambda)_{\lambda\in X}</math>の{{Mvar|μ}}による'''{{仮リンク|直積分|en|Direct integral}}'''と呼ぶ[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=144-147}}。
|note='''直積分'''}}

直積分は前述した内積に関して完備であることが知られており、よって直積分はヒルベルト空間になる[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=144-147}}。

==== 可測性の定義 ====
前節でペンディングしていた<math>s=(s(\lambda))_{\lambda\in X}</math>の可測性の定義を述べる。<math>s=(s(\lambda))_{\lambda\in X}</math>可測性を定義するには、<math>(\mathcal{H}_\lambda)_{\lambda\in X}</math>に技術的な付加構造を加える必要がある（よって直積分は<math>(\mathcal{H}_\lambda)_{\lambda\in X}</math>にこの付加構造を付け加えた場合のみ定義可能である）。まずその付加構造を定義する：
{{math theorem|定義|
以下の3条件を満たす可算個の切断の組<math>(e_j)_{j=1}^\infty</math>が存在するとき、<math>(e_j)_{j=1}^\infty</math>を<math>(\mathcal{H}_\lambda)_{\lambda\in X}</math>の'''同時正規直交基底'''(simultaneous orthonormal basis)といい[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=144-147}}、<math>(\mathcal{H}_\lambda)_{\lambda\in X}</math>と同時正規直交基底<math>(e_j)_{j=1}^\infty</math>の組を'''可測構造'''(measurability structure)つきのヒルベルト空間族という[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=144-147}}：
* 任意の{{Math|''λ''∈''X''}}と任意の相異なる{{Math|''j'', ''k'' ∈ '''N'''}}に対し、<math>\langle e_j(\lambda),e_k(\lambda) \rangle_{\lambda} =0
</math>
* 任意の{{Math|''λ''∈''X''}}と任意の{{Math|''j'' ∈ '''N'''}}に対し、<math>\langle e_j(\lambda),e_j(\lambda) \rangle_{\lambda} 
</math>は{{Mvar|0}}もしくは{{Mvar|1}}である。
* 任意の{{Math|''λ''∈''X''}}に対し、<math>\mathcal{H}_\lambda=\mathrm{Span}((e_j(\lambda))_{j=1}^\infty)</math>
}}
なお、写像<math>\lambda\in X\mapsto \mathrm{dim}\mathcal{H}_\lambda \in[0,\infty]</math>が可測であるときは、<math>(\mathcal{H}_\lambda)_{\lambda\in X}</math>は必ず同時正規直交基底を持つことが知られている。

{{math theorem|定義|
<math>(\mathcal{H}_\lambda)_{\lambda\in X}</math>上の可測構造を一つ固定したとき、以下の性質を満たす切断<math>s=(s(\lambda))_{\lambda\in X}</math>は'''可測'''であるという[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=144-147}}：
: 任意の{{Math|''j''∈'''N'''}}に対し、<math>\lambda \in X \mapsto \langle s(\lambda),e_j(\lambda) \rangle_\lambda   </math>は可測。
|note='''切断の可測性'''}}

==== スペクトル分解 ====
以上の準備のもと、直積分によるスペクトル分解を定式化する：
{{math theorem|定理|
<math>\mathcal{H}</math>をヒルベルト空間とし、{{Mvar|A}}を<math>\mathcal{H}</math>上の自己共役作用素とする。このとき{{Mvar|A}}のスペクトル{{Math|''σ''(''A'')}}上のσ-有限測度{{Mvar|μ{{sub|A}}}}と可測構造つきヒルベルト空間族<math>(\mathcal{H}_\lambda)_{\lambda\in \sigma(A)}</math>が存在し、以下が成立する[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=206-207}}
ヒルベルト空間としての同型写像
: <math>U~:~\mathcal{H} \tilde{\to}\int_{\sigma(A)}^\oplus \mathcal{H}_\lambda \mathrm{d}\mu_A </math>
が存在する。さらに{{Math|1=''A''{{sub|U}} := ''UAU''{{sup|-1}}}}とするとき、任意の<math>s\in \mathrm{Dom}(A_U) </math>に対し、
: <math>(A_U(s))(\lambda) = \lambda s(\lambda) </math>
である。ここで、
: <math>\mathrm{Dom}(A_U)=\left\{s \in \int_{\sigma(A)}^\oplus \mathcal{H}_\lambda \mathrm{d}\mu_A~:~\int \|\lambda s(\lambda)\|^2 \mathrm{d}\mu_A <\infty\right\} </math>。
|note='''直積分によるスペクトル定理'''}}


上述の定理は<math>\mathcal{H}</math>が無限次元の場合も、<math>\mathcal{H}</math>を{{Mvar|A}}の「固有空間」<math>\mathcal{H}_\lambda</math>の直積分に分解でき、しかも直積分の元{{Mvar|s}}の{{Mvar|A{{sub|U}}}}による像{{Math|''A{{sub|U}}''(''s'')}}の「<math>\mathcal{H}_\lambda</math>成分」である{{Math|(''A{{sub|U}}''(''s''))(''λ'')}}は{{Mvar|s}}の「<math>\mathcal{H}_\lambda</math>成分」{{Math|''s''(''λ'')}}を「固有値」{{Mvar|λ}}倍したものになっている事を意味するように見えるので、<math>\mathcal{H}_\lambda</math>を{{Mvar|λ}}に対応する{{Mvar|A}}の'''一般化した固有空間'''、<math>\mathcal{H}_\lambda</math>の元を{{Mvar|λ}}に対応する{{Mvar|A}}の'''一般化した固有ベクトル'''であるとみなし得る[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=147-148}}。実際、スペクトル点{{Math|''τ''∈''σ''(''A'')}}において{{Math|''μ''({''τ''})>0}}であれば、{{Mvar|s{{sub|τ}}∈}}<math>\mathcal{H}_\tau</math>に対し切断を
: <math>s(\lambda)=
\begin{cases}
s_\tau&\text{if } \lambda=\tau\\
0&\text{otherwise}
\end{cases} </math>　
により定義すると、写像
: <math>m_\tau~:~s_\tau\in\mathcal{H}_\tau \mapsto s(\tau)\in \int^\oplus_{\sigma(A)}\mathcal{H}_\lambda\mathrm{d}\mu_A
 </math>
は
: <math>\langle s,s\rangle=\int_{\sigma(A)}\langle s(\lambda),s(\lambda)\rangle_\lambda \mathrm{d}\mu_A </math><math>\ge \langle s_\tau s_\tau\rangle\mu_A(\{\tau\})\gvertneqq 0\quad \text{if }s_\tau\neq 0 </math>
を満たすので、<math>m_\tau(\mathcal{H}_\tau)</math>の元は{{Math|1=''A{{sub|U}}''}}の{{Mvar|0}}でない固有ベクトルになる。しかし{{Math|1=''μ''({''τ''})=0}}の場合には{{Mvar|m{{sub|τ}}}}が恒等的に{{Mvar|0}}である為、<math>\mathcal{H}_\tau</math>は通常の意味での固有空間にはならない。

直積分によるスペクトル定理は、前述した[[#掛け算作用素によるスペクトル定理|掛け算作用素によるスペクトル定理]]から容易に従う<ref group="注">ただし[[#H13|H13]]では逆に直積分によるスペクトル定理から掛け算作用素によるスペクトル定理を導出しているので、下記の「証明」は循環論法となる。</ref>。実際、掛け算作用素によるスペクトル定理より、<math>\mathcal{H}</math>は何らかの{{Math|L{{sup|2}}}}空間<math>L^2(X,\mu)</math>と同型で、{{Mvar|A}}は<math>L^2(X,\mu)</math>上で実数値関数<math>h(x)</math>を乗じる作用素として表現できるので、{{Mvar|h}}の像である実数直線{{Math|'''R'''}}上に測度{{Math|''h''{{sub|*}}(''μ'')}}を入れれば、
: <math>L^2(X,\mu)\simeq \int_\mathbf{R}^{\oplus} \mathcal{H}_\lambda \mathrm{d}h_*(\mu)</math>、　　　ここで<math>\mathcal{H}_\lambda = h^{-1}(\lambda)</math>
と表記できる。<math>\mathcal{H}_\lambda = h^{-1}(\lambda)</math>が{{Math|{''0''<nowiki>}</nowiki>}}でない{{Mvar|λ}}の集合が{{Math|''σ''(''A'')}}と一致する事を容易に確認できるので、上記の積分を{{Math|''σ''(''A'')}}に制限すれば、直積分によるスペクトル定理が従う。

=== スペクトル測度によるスペクトル分解 ===

本節の目標は、非有界作用素のもう一つのスペクトル分解方法である'''スペクトル測度によるスペクトル分解'''を定式化する事である。まず、スペクトル測度の概念を定式化する動機を与える為に、有限次元における[[固有値分解]]を復習する。

<math>\mathcal{H}</math>を有限次元のヒルベルト空間とし、{{Mvar|A}}を<math>\mathcal{H}</math>上の自己共役作用素とする。有限次元の場合、自己共役作用素は必ず固有値分解可能な事が知られている。すなわち{{Mvar|A}}の固有値を{{Mvar|λ{{sub|1}}、…、λ{{sub|n}}}}とし、これらの固有値に対応する固有空間を{{Mvar|V{{sub|1}}、…、V{{sub|n}}}}とすると、<math>\mathcal{H}</math>の元{{Mvar|ψ}}は必ず
: {{Mvar|1=ψ=ψ{{sub|1}}＋…＋ψ{{sub|n}}}}、　　{{Mvar|ψ{{sub|1}}∈V{{sub|1}}、…、ψ{{sub|n}}∈V{{sub|n}}}}　
と表現でき、
: {{Mvar|1=Aψ=λ{{sub|1}}ψ{{sub|1}}＋…＋λ{{sub|n}}ψ{{sub|n}}}}　
が成立する。そこで<math>\mathcal{H}</math>の元の{{Mvar|V{{sub|j}}}}への射影変換を{{Mvar|P{{sub|j}}}}とすると、明らかに
: <math>A=\sum_{j=1}^n\lambda_jP_j </math>　
が成立する。

スペクトル測度{{Mvar|μ}}は、以上の考察を無限次元に拡張する事を可能にする概念であり、{{Math|'''R'''}}の[[ボレル集合|ボレル可測部分集合]]{{Mvar|B}}に対し、<math>\mathcal{H}</math>の閉部分線形空間への正射影変換{{Math|''μ''(''B'')}}を対応させる。スペクトル測度{{Mvar|μ}}の概念を直観的に説明するため、再び有限次元の場合を考えると、{{Mvar|B}}とスペクトル{{Math|1=''σ''(''A'')={λ{{sub|1}},…,λ{{sub|n}}<nowiki>}</nowiki>}}の共通部分が<math>\{\lambda_{j_1},\ldots, \lambda_{j_m} \}</math>であるとき、スペクトル測度{{Mvar|μ}}による{{Mvar|B}}の像{{Math|''μ''(''B'')}}は、<math>\mathcal{H}</math>の元を<math>\mathcal{H}</math>の部分空間
: <math>V_{\lambda_{j_1}}\oplus\cdots\oplus V_{\lambda_{j_m}} </math>　
に射影する射影変換である。

==== スペクトル測度 ====
スペクトル測度の概念を厳密に定式化する。なお、スペクトル測度の概念それ自身は、{{Mvar|A}}のスペクトルとは無関係に定義する。スペクトル測度の概念が{{Mvar|A}}のスペクトルと結びつくのは、後述するスペクトル定理においてである。<math>\mathcal{P}(\mathcal{H})</math>を<math>\mathcal{H}</math>の元を<math>\mathcal{H}</math>の閉部分線形空間に対応させる正射影作用素全体の集合とする。すなわち
: <math>P\in\mathcal{P}(\mathcal{H}) \iff \exist V\subset\mathcal{H} </math>（閉部分線形空間）  s.t. <math>P~:~\phi=\phi_V+\phi_V^{\bot} \in V \oplus V^{\bot} =\mathcal{H} \mapsto \phi_V \in V \subset \mathcal{H}  </math>　
さらに<math>\mathcal{B}(\mathbf{R}) </math>を{{Math|'''R'''}}上の[[ボレル加法族]]とする。直観的にはこの{{Math|'''R'''}}は、自己共役作用素のスペクトルやレゾルベントの取りうる値の集合である。

{{math theorem|定義|
写像<math>\mu~:~\mathcal{B}(\mathbf{R})\to \mathcal{P}(\mathcal{H}) </math>が以下の３性質を満たすとき、{{Mvar|μ}}を'''スペクトル測度'''、'''正射影作用素値測度'''、もしくは'''単位の分解'''という[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=138}}[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=136}}：
* <math>\mu(\emptyset)=0, ~\mu(\mathbf{R})=I </math>
* <math>B_1,B_2\ldots\in\mathcal{B}(\mathbf{R}) </math>が[[素集合|互いに素]]であれば、<math>\mu\left(\bigcup_{j=1}^\infty B_j\right)=\sum_{j=1}^{\infty}\mu(B_j) </math>である。ここで収束は[[作用素ノルム]]の意味でのもの（すなわち強収束）である。
* <math>B_1,B_2\in\mathcal{B}(\mathbf{R}) </math>であれば、<math>\mu(B_1\cap B_2)=\mu(B_1)\mu(B_2) </math>
|note='''スペクトル測度'''}}
==== スペクトル分解 ====
<math>\mu~:~\mathcal{B}(\mathbf{R}^d)\to \mathcal{P}(\mathcal{H}) </math>をスペクトル測度とするとき、次の事実が成り立つことが知られている[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=139}}[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=138}}。ここで<math>\langle\cdot,\cdot\rangle </math>は<math>\mathcal{H} </math>の内積である：
{{math theorem|定理
{{Mvar|ψ}}を<math>\mathcal{H} </math>の元とする。この時、写像<math>B\in\mathcal{B}(\mathbf{R}^d)\mapsto \langle \psi,\mu(B)\psi\rangle </math>は{{Mvar|'''R'''{{sup|''d''}}}}上の複素数値の測度である。　
}}
上述のように定義される測度を<math>\mu_{\psi}(B)=\langle \psi,\mu(B)\psi\rangle </math>と書くとき、次が成立する事が知られている：
{{math theorem|定理・定義|
{{Mvar|μ{{sub|ψ}}}}による（有界とは限らない）可測関数{{Mvar|f}}の[[ルベーグ積分]]は何らかの非有界線形作用素{{Mvar|F{{sub|f}}}}を用いて、
: <math>\int_{\mathbf{R}} f(\lambda) \mathrm{d}\mu_\psi =\langle \psi,F_{f}\psi\rangle </math>　　　for <math>\forall \psi\in\mathrm{Dom}(F_f) </math>、
: <math>\mathrm{Dom}(F_f)=\{\psi\in\mathcal{H} ~:~\int_{\mathbf{R}}|f(\lambda)|^2\mathrm{d}\mu_\psi <\infty \} </math>　
と書ける[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=202}}。

この線形作用素{{Mvar|F{{sub|f}}}}を
: <math>F_{f}=\int_{\mathbf{R}} f(\lambda) \mathrm{d}\mu </math>　
と表記し、スペクトル測度{{Mvar|μ}}による{{Mvar|f}}の'''作用素値積分'''(''operator-valued integral'')という[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=139}}。
|note='''作用素値積分'''}}

なお任意の可測関数{{Mvar|f}}に対し{{Math|Dom(''F''{{sub|''f''}})}}は<math>\mathcal{H} </math>で稠密であることが知られているので[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=203}}、作用素値積分は<math>\mathcal{H} </math>上稠密に定義された線形作用素である。また{{Mvar|f}}が実数値可測関数の場合は作用素値積分は必ず自己共役作用素になる事も知られている[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=204}}。

以上の準備のもと、スペクトル定理を定式化する：
{{math theorem|定理|
<math>\mathcal{H}</math>をヒルベルト空間とし、<math>A~:~\mathcal{H}\to\mathcal{H}</math>を稠密に定義された非有界な任意の線形作用素とする。このときスペクトル測度{{Mvar|μ}}が一意に存在し、以下が成立する：
:<math>A=\int_{\mathbf{R}} \lambda \mathrm{d}\mu </math>
|note='''スペクトル測度によるスペクトル分解定理'''[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=141}}}}　
なお、{{Mvar|μ}}は{{Mvar|A}}のレゾルベント集合上で{{Mvar|0}}になる事が知られているので[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=141}}、上述の積分を
:<math>A=\int_{\sigma(A)} \lambda \mathrm{d}\mu </math>
と書き表す事もできる。

スペクトル分解定理は前述した有限次元の場合の固有値分解
: <math>A=\sum_{j=1}^n\lambda_jP_j </math>　
の無限次元版である。実際、[[ディラック測度]]{{Mvar|δ{{sub|x}}(B)}}を
: <math>\delta _{x}(B)={\begin{cases}0,&x\not \in B;\\1,&x\in B\end{cases}}
 </math>　
により定義し、スペクトル測度{{Mvar|μ}}を
: <math>\mu(B)=\sum_{j=1}^n \delta _{\lambda_j}(B)P_j </math>　
とすれば、両者が一致する事を確認できる。

==== 直積分によるスペクトル分解との関係 ====
スペクトル測度によるスペクトル分解定理は直積分によるスペクトル定理から容易に従う。実際、直積分によるスペクトル定理から<math>\mathcal{H}</math>は直積分<math>\int_{\sigma(A)}^\oplus \mathcal{H}_\lambda \mathrm{d}\mu_A </math>として表現できるので、{{Math|''B''⊂''σ''(''A'')}}に対して{{Math|''μ''(''B'')}}を<math>\int_{\sigma(A)}^\oplus \mathcal{H}_\lambda \mathrm{d}\mu_A\to\int_{B}^\oplus \mathcal{H}_\lambda \mathrm{d}\mu_A,~~s(\lambda)\mapsto \chi_B(\lambda)s(\lambda) </math>とすればよい。ここで{{Math|''χ{{sub|B}}''}}は{{Mvar|B}}の[[指示関数|特性関数]]である。

=== 観測 ===

==== 観測確率 ====
{{Mvar|A}}を何らかの物理量を表す自己共役作用素とし、{{Mvar|μ}}を{{Mvar|A}}のスペクトル測度とする。量子力学では以下を仮定する：
{{math theorem|仮定|
<math>\psi\in\mathcal{H} </math>を単位ベクトルとするとき、状態{{Mvar|ψ}}にある系で{{Mvar|A}}を観測した観測値{{Mvar|λ}}がボレル集合<math>B\subset\mathbf{R} </math>に属している確率は<math>\|\mu(B)\psi\|^2 </math>である[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=212}}。
|note='''物理量の観測確率に関する仮定'''}}

直積分を使うと、上の仮定をより直観的に表現できる。状態空間<math>\mathcal{H} </math>を{{Mvar|A}}のスペクトルでスペクトル分解して
: <math>\mathcal{H} \simeq \int_{\sigma(A)}^\oplus \mathcal{H}_\lambda \mathrm{d}\mu_A </math>　
と直積分で書き表し、{{Mvar|ψ}}を直積分の切断として
: <math>\psi \simeq \{\psi(\lambda)\}_{\lambda\in\sigma(A)} </math>　
と書き表すと、直積分とスペクトル測度の関係により、状態{{Mvar|ψ}}にある系で{{Mvar|A}}を観測した観測値{{Mvar|λ}}がボレル集合<math>B\subset\mathbf{R} </math>に属している確率は
: <math>\int_{\sigma(A)\cap B}\|\psi(\lambda)\|^2 \mathrm{d}\mu_A </math>　
に一致する。

また簡単な計算により、{{Mvar|A}}を観測した観測値の期待値が
: <math>\langle \psi,A(\psi)\rangle  </math>　
となる事を確かめられる[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=213}}。

==== 波束の収縮 ====
量子力学では以下を仮定する：
{{math theorem|仮定|
物理量{{Mvar|A}}を観測した観測値{{Mvar|λ}}が{{Mvar|A}}の固有値であれば、観測直後の状態ベクトルは{{Mvar|A}}の{{Mvar|λ}}に対する固有ベクトルになる[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=212}}。
|note='''波束の収縮に関する仮定'''}}

上述の仮定では観測値が固有値、すなわち点スペクトルに属していた場合の事を述べているが、'''観測値が連続スペクトルに属していた場合については何も規定していない'''事に注意されたい。

== ゲルファントの３つ組によるスペクトル分解 ==
前節までで見たように、状態空間<math>\mathcal{H} </math>が無限次元である場合のスペクトル分解においては連続スペクトルが生じるため、全てのスペクトル点に対して対応する「固有関数」が存在するわけではないという困難を抱える。そこでディラックは、状態空間<math>\mathcal{H} </math>にデルタ関数のような超関数を添加し、これら超関数を一種の固有関数だとみなす事でこの困難を解消する道筋を建てた。

本節では、このディラックのアイデアを拡張することで得られる'''ゲルファントの三つ組'''の概念を用いて、自己共役作用素をスペクトル分解する方法を説明する。

=== ゲルファントの三つ組 ===
ゲルファントの三つ組の定義の基本的な雛形は、（緩増加）超関数の概念である。そこで、まず、緩増加超関数の定義を振り返る。今シュワルツ空間<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>からヒルベルト空間<math>\mathcal{H}=L^2(\mathbf{R}^d)</math>へは自然な単射
: <math>\iota ~:~\mathcal{S}(\mathbf{R}^d) \hookrightarrow \mathcal{H}</math>
が存在する。<math>\psi\in\mathcal{H}</math>に対し、写像{{Math|''ι''{{sup|†}}(''ψ'')}}を
: <math>\iota^{\dagger}(\psi) ~:~\mathcal{S}(\mathbf{R}^d) \to \mathbf{C},~~ </math><math>\varphi\mapsto \langle \psi,\iota(\varphi)\rangle </math>
と定義すると、
: <math>\iota^{\dagger}(\psi) \in\mathcal{S}'(\mathbf{R}^d)  </math>
なので、写像
: <math>\iota^{\dagger} ~:~\mathcal{H}\hookrightarrow\mathcal{S}'(\mathbf{R}^d) ,~~ </math><math>\psi\mapsto \iota^\dagger(\psi) </math>
を定義する事ができ、{{Math|''ι''{{sup|†}}}}は反線形写像となる。

==== 定義 ====
以上の議論を踏まえ、より一般に[[線型位相空間|位相の定義されたベクトル空間]]<math>\mathcal{G}</math>からヒルベルト空間<math>\mathcal{H}</math>への連続な単射
: <math>\iota ~:~\mathcal{G} \hookrightarrow \mathcal{H}</math>
があるとき、<math>\mathcal{G}</math>の[[双対ベクトル空間|'''双対空間''']]<math>\mathcal{G}'</math>を
: <math>\mathcal{G}':=\{T~:~\mathcal{G}\to\mathbf{C}</math>、連続かつ線形<math>\}</math>
と定義すると、シュワルツ空間<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>のときと同様の方法により、反線形写像
: <math>\iota^{\dagger} ~:~\mathcal{H}\hookrightarrow\mathcal{G}' </math>、
を定義できる。
{{math theorem|定義|
<math>\iota(\mathcal{G}) </math>が<math>\mathcal{H}</math>で稠密なとき、このようにしてできた三つ組
: <math>\mathcal{G}\overset{\iota}{\hookrightarrow}\mathcal{H}\overset{\iota^{\dagger}}{\hookrightarrow}\mathcal{G}' </math>
を、<math>(\mathcal{H},\mathcal{G},\iota)</math>を<math>\mathcal{G}</math>に付随する'''{{仮リンク|ゲルファントの三つ組|en|Rigged Hilbert space}}'''もしくは'''rigged Hilbert space'''という<sup>[[#M66|M66]]</sup>{{Rp|page=1}}<sup>[[#BG|BG]]</sup>{{Rp|page=8}}[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=117}}。
|note='''ゲルファントの三つ組'''}}

==== ブラ-ケットベクトルによる解釈 ====
写像
: <math>\iota^{\dagger} ~:~\mathcal{H}\hookrightarrow\mathcal{G}' </math>
は反線形な埋め込み写像なので、<math>\mathcal{H}</math>、<math>\mathcal{G}'</math>の共役線形空間をそれぞれ<math>\mathcal{H}^*</math>、<math>\mathcal{G}'^*</math>とすると、
: <math>\iota^{\dagger} ~:~\mathcal{H}^*\hookrightarrow\mathcal{G}' </math>

: <math>\iota^{\dagger} ~:~\mathcal{H}\hookrightarrow\mathcal{G}'^* </math>
はいずれも線形な埋め込みとなる。

物理学的に見た場合、<math>\mathcal{H}</math>、<math>\mathcal{H}^*</math>はそれぞれブラベクトル、ケットベクトルの空間であったので、それを含んでいる<math>\mathcal{G}'</math>、<math>\mathcal{G}'^*</math>もやはり（一般化された意味での）ブラベクトル、ケットベクトルの空間とみなすことにする。

既に述べたように、連続スペクトルに対応する「固有ベクトル」は<math>\mathcal{H}</math>や<math>\mathcal{H}^*</math>の中には存在しなかった。そこでブラベクトル、ケットベクトルの空間を<math>\mathcal{H}</math>や<math>\mathcal{H}^*</math>より広い空間である<math>\mathcal{G}'</math>や<math>\mathcal{G}'^*</math>へと拡張し、<math>\mathcal{G}'</math>や<math>\mathcal{G}'^*</math>から連続スペクトルに対応する「固有ベクトル」を探す、というのがゲルファントの三つ組の基本的なアイデアである。

とくに<math>\mathcal{G}=\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>である場合は、<math>\mathcal{G}'</math>は緩増加超関数の空間<math>\mathcal{S}'(\mathbf{R}^d)</math>に一致するので、「固有ベクトル」として<math>\mathcal{G}'</math>からデルタ超関数を選ぶ事ができる。したがってこの場合は、ゲルファントの三つ組のアイデアはディラックの元々のアイデアと合致する。

=== ゲルファントの三つ組に関する諸概念 ===
先に進む前にゲルファントの三つ組に関する諸概念を定義する。

{{math theorem|定義|
<math>\mathcal{G}'</math>の元は<math>\mathcal{G}</math>の線形写像なので、<math>\mathcal{G}'</math>の元{{Mvar|T}}と<math>\mathcal{G}</math>の元{{Mvar|ψ}}の'''内積'''を
: <math>\langle T,\psi\rangle :=T(\psi)</math>
によって定義する。
}}
{{Mvar|φ}}を<math>\mathcal{H}</math>の元とするとき、
: <math>\langle \iota^\dagger(\varphi),\psi\rangle =
\iota^\dagger(\varphi)(\psi)
=\langle \varphi,\iota(\psi)\rangle 
=\langle \varphi,\iota(\psi)\rangle </math>
となるので、上述した内積は<math>\mathcal{H}</math>上の内積と両立する。

{{math theorem|定義|
<math>\mathcal{G}'
</math>の点列{{Math|<nowiki>{</nowiki>''φ''{{sub|''n''}}<nowiki>}</nowiki>{{sub|''n''}}}}''と<math>\mathcal{G}'
</math>の元{{Mvar|φ}}が全ての<math>g\in\mathcal{G}</math>に対し''
: <math>\phi_n(g)\to\phi(g)</math>
を満たすとき、{{Math|<nowiki>{</nowiki>''φ''{{sub|''n''}}<nowiki>}</nowiki>{{sub|''n''}}}}は{{Mvar|φ}}に'''収束'''するという''[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=117}}''。
}}
言い換えるとこれは''<math>\mathcal{G}''</math>には[[弱位相|weak-*位相]]を入れたものを考えるという事である。

=== 一般化固有ベクトル ===
ディラックがデルタ関数を量子力学に導入したそもそもの動機は、デルタ関数を位置作用素に対する「固有ベクトル」とみなすというものであった。すなわち、第{{Mvar|j}}方向の位置作用素
: <math>M_{x_j}(\psi)=x_j\psi(x)</math>
に形式的に
: <math>\delta_a(x)=\delta(x-a)</math>
を代入すると、この関数は{{Mvar|a}}以外で{{Mvar|0}}になる事から、
: <math>M_{x_j}(\delta_a)=x_j\delta(x-a) =a_j\delta(x-a)</math>
であり、したがって{{Mvar|δ{{sub|a}}}}は<math>M_{x_j}</math>の「固有値」{{Mvar|a{{sub|j}}}}に対応する「固有ベクトル」であるとみなせるのである。数学的に見た場合、ヒルベルト空間<math>\mathcal{H}=L^2(\mathbf{R}^d)</math>において自己共役作用素<math>M_{x_j}</math>はそもそも固有値を持たないし、当然それに対応する固有ベクトルも存在しない。しかしこれはそもそもデルタ関数が<math>\mathcal{H}=L^2(\mathbf{R}^d)</math>に属さない事に起因しており、ゲルファントの三つ組の概念を用いれば、こうしたデルタ関数による固有値・固有ベクトルの概念を正当化できる。本節ではまず、固有値概念の一般化である'''スペクトル'''の概念を定式化し、ゲルファントの三つ組においてスペクトルに対応する固有ベクトル概念に相当する'''一般化固有ベクトル'''の概念を定式化する。

==== 定義 ====
<math>(\mathcal{H},\mathcal{G},\iota)</math>をゲルファントの三つ組とし、{{Mvar|A}}を<math>\mathcal{H}</math>上の自己共役作用素とする。本節の目標は<math>\mathcal{H}</math>よりも広い空間である<math>\mathcal{G}'</math>から{{Mvar|A}}の固有ベクトルを探す事にあるが、そもそも{{Mvar|A}}は<math>\mathcal{H}</math>上でしか定義されていないので、<math>\mathcal{G}'</math>の元を{{Mvar|A}}の固有ベクトルとみなすには、まず{{Mvar|A}}の定義域を<math>\mathcal{G}'</math>上に拡張する必要がある。

そこで{{Mvar|A}}として以下の２性質を満たすものを考える''[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=118}}''。なおこの２性質を満たすとき、{{Mvar|A}}は<math>(\mathcal{H},\mathcal{G},\iota)</math>に付随するゲルファントの三つ組と'''両立する'''という：
* <math>\mathcal{G}\subset \mathrm{Dom}(A)</math>
* <math>A(\mathcal{G})\subset \mathcal{G}</math>

{{Mvar|A}}が上述の性質を満たす時、<math>T\in\mathcal{G}'</math>に対し、写像{{Math|''A'''(''T'')}}を
: <math>A'(T)~:~ \psi\in\mathcal{G}\mapsto \langle T,A(\psi)\rangle \in\mathbf{C} </math>
により定義すると、前述の２性質からこの定義は[[well-defined]]であり、<math>A'(T)\in\mathcal{G}'</math>となる事を確かめられる。よって<math>\mathcal{G}'</math>上の線形写像
: <math>A'~:~ T\in\mathcal{G}'\mapsto A'(T)\in\mathcal{G}' </math>
が定義できる。

上述のように定義した{{Mvar|A'}}は埋め込み写像{{Mvar|ι{{sup|†}}}}と
: <math>A=A'\circ \iota^\dagger </math>
という関係を満たすという意味で{{Mvar|A}}の拡張になっている。実際、任意の<math>\varphi\in\mathcal{H},\psi\in\mathcal{G}</math>に対し、{{Mvar|A}}の対称性から
: <math>\langle A'\circ \iota^\dagger(\varphi),\psi \rangle
=\langle \varphi,\iota(A(\psi)) \rangle
=\langle \varphi,A(\psi) \rangle
=\langle A(\varphi),\psi \rangle
 </math>
であるので、{{Mvar|φ、ψ}}の任意性から上述の事実が従う。

そこで一般化固有値・固有ベクトルを以下のように定義する：
{{math theorem|定義|
: <math>A'(T)=\lambda T </math>
を満たす<math>T\in\mathcal{G}'</math>を、{{Mvar|A}}の'''一般化固有値'''{{Math|''λ''∈'''C'''}}に対する'''一般化固有ベクトル'''という[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=118}}。
|note='''一般化固有値・一般化固有ベクトル'''}}

なお、<math>T\in\mathcal{G}'</math>なので、ここでいう「一般化固有ベクトル」はブラベクトルであるが、共役線形空間を考えることで、ケットベクトルの空間<math>\mathcal{G}'^*</math>上にも同様に一般化固有ベクトルの概念を考える事ができる。<math>A=A'\circ \iota^\dagger </math>であったので、{{Mvar|A}}の通常の意味での固有ベクトルは一般化固有ベクトルでもある。

定義から明らかなように、一般化固有ベクトルの定義は<math>(\mathcal{H},\mathcal{G},\iota)</math>に依存している。{{Mvar|A}}と両立する<math>(\mathcal{H},\mathcal{G},\iota)</math>は複数考えられるので、<math>(\mathcal{H},\mathcal{G},\iota)</math>の取り方に依存して異なる一般化固有ベクトルの概念が存在する事になる。

=== 完全性 ===
有限次元のベクトル空間の場合、自己共役作用素の固有値分解を行うと、ベクトル空間上の任意のベクトルは、固有ベクトルの線形和として書き表す事ができる事が知られている。この性質を満たす時、自己共役作用素は'''固有ベクトルの完全系を持つ'''というが、一般化固有ベクトルの場合も類似した完全系の概念を考える事ができる。

実数{{Math|''λ''∈'''R'''}}に対し、一般化固有値{{Mvar|λ}}に属する一般化固有ベクトル全体の集合(すなわち{{Mvar|λ}}の（一般化）'''固有空間''')
: <math display="inline">E(\lambda):=\mathrm{Ker}(\lambda\mathrm{id}-A')\subset \mathcal{G}' </math>
を考える。<math>\psi\in\mathcal{G}</math>に対し、{{Mvar|ψ}}との内積
: <math display="inline">T\in \mathcal{G}'\mapsto \langle T,\psi \rangle \in \mathbf{C} </math>
の{{Math|''E''(''λ'')}}への制限写像
: <math display="inline">\hat{\psi}_\lambda~:~ T\in E(\lambda)\mapsto \langle T,\psi \rangle \in \mathbf{C} </math>
は{{Math|''E''(''λ'')}}の双対空間{{Math|''E''(''λ'')'}}の元である：
: <math display="inline">\hat{\psi}_\lambda\in E(\lambda)' </math>

有限次元空間の場合であれば<math display="inline">\hat{\psi}_\lambda </math>は「{{Mvar|ψ}}の{{Math|''E''(''λ'')}}方向成分」に相当するものであるので、完全系の概念を以下のように定義する：
{{math theorem|定義|
<math>\psi\in\mathcal{G}</math>に<math display="inline">\hat{\psi}_\lambda </math>の族
: <math display="inline">\hat{\psi}=\{\hat{\psi}_\lambda\}_{\lambda\in\mathbf{R}} </math>
を対応させる写像
: <math display="inline">\hat{~}~:~\mathcal{G}\to\prod_{\lambda\in\mathbf{R}}E(\lambda)',~~~ </math><math display="inline">\psi\mapsto \hat{\psi} </math>
が単射になる時、{{Mvar|A}}は<math>(\mathcal{H},\mathcal{G},\iota)</math>に関して'''一般化固有ベクトルの完全系を持つ'''という[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=119}}。
}}

なお、{{Mvar|A}}が運動量作用素である場合は、上述した写像<math display="inline">\psi\mapsto \hat{\psi} </math>は、フーリエ変換と自然に同一視できる事が知られている（詳細後述）。そこで上述した写像のことを'''一般化フーリエ変換'''という[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=119}}。

完全形の概念はweak-*位相の言葉を用いても定式化できることが知られている：
{{math theorem|定理|
: {{Mvar|A}}が<math>(\mathcal{H},\mathcal{G},\iota)</math>に関して一般化固有ベクトルの完全系を持つ必要十分条件は、<math display="inline">\mathrm{Span}\left(\bigcup_{\lambda\in\mathbf{R}}E(\lambda)\right) </math>がweak-*位相に関して<math>\mathcal{G}'</math>で[[稠密集合|稠密]]である事である[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=119}}
}}

=== 具体例 ===
<math>\mathcal{G}=\mathcal{S}(\mathbf{R})</math>の場合に対し、運動量作用素と位置作用素の一般化固有ベクトルを調べる。

==== 運動量作用素 ====
運動量作用素
: <math>P=-i\hbar{\mathrm{d}\over \mathrm{d} x} </math>
が<math>\mathcal{S}(\mathbf{R})</math>と両立する事は既に述べた。<math>T\in\mathcal{S}'(\mathbf{R})</math>に対し、
: <math>P{}'(T)~:~ \psi\in\mathcal{S}(\mathbf{R})\mapsto \langle T,P(\psi)\rangle \in\mathbf{C} </math>
とすると、一般化固有値{{Mvar|λ}}対する<math>P' </math>の一般化固有ベクトル<math>T_{\lambda} </math>は
: <math>P'(T_{\lambda})=\lambda T_{\lambda} </math>
を満たすので、任意の<math>\psi\in\mathcal{S}(\mathbf{R}) </math>に対し、
: <math>\lambda \langle T_{\lambda},\psi\rangle
=\langle P'(T_{\lambda}),\psi\rangle
=\langle T_{\lambda},P(\psi)\rangle
=-i\hbar \langle T_{\lambda},{\mathrm{d}\over \mathrm{d} x}(\psi)\rangle
=i\hbar \langle {\mathrm{d}\over \mathrm{d} x} T_\lambda, \psi\rangle </math>
となる。よって
: <math>\lambda T_{\lambda} = i\hbar{\mathrm{d}\over \mathrm{d} x} T_{\lambda} </math>
という微分方程式の解が<math>T_{\lambda} </math>となる。したがって
: <math>T_{\lambda} = c\mathrm{e}^{-i\lambda x_j/\hbar} </math> for some <math>c\in \mathbf{C} </math>
という形のものは全て解となる。ここで上式右辺は<math>c\mathrm{e}^{-i\lambda x_j/\hbar} </math>を乗じて積分する超関数を表す。またこれ以外に解がない事も知られている[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=120}}。

以上の議論から<math>P </math>の一般化固有値{{Mvar|λ}}に対応する一般化固有空間{{Math|''E''(''λ'')}}は
: <math>E(\lambda) = \{c\mathrm{e}^{-i\lambda x/\hbar}\mid c\in \mathbf{C}\} </math>
である。これは一次元空間なので、<math>E(\lambda)\simeq \mathbf{C} </math>である。したがって<math>\psi\in\mathcal{S}(\mathbf{R})</math>に対し、
: <math display="inline">\hat{\psi}_\lambda~:~ T\in E(\lambda)\mapsto \langle T,\psi \rangle \in \mathbf{C} </math>
は、
: <math>\hat{\psi}_\lambda(c\mathrm{e}^{-i\lambda x/\hbar})=\int_{\mathbf{R}}c\mathrm{e}^{-i\lambda x_/\hbar}\psi(x)\mathrm{d}x </math>
である。すなわち<math>c\in \mathbf{C} \overset{\sim}{\to} c \mathrm{e}^{-i\lambda x/\hbar} </math>を<math>\int_{\mathbf{R}}\mathrm{e}^{-i\lambda x/\hbar}\psi(x)\mathrm{d}x </math>倍する写像である。したがって<math>P </math>に関する<math>\psi\in\mathcal{S}(\mathbf{R})</math>の一般化フーリエ変換
: <math display="inline">\hat{\psi}=\{\hat{\psi}_\lambda\}_{\lambda\in\mathbf{R}} </math>
は自然に
: <math>\left\{\int_{\mathbf{R}}\mathrm{e}^{-i\lambda x/\hbar}\psi(x)\mathrm{d}x\right\}_{\lambda\in\mathbf{R}} </math>
と同一視できる。これは<math>\psi\in\mathcal{S}(\mathbf{R})</math>をフーリエ変換したものに相当する。これが<math display="inline">\hat{\psi}=\{\hat{\psi}_\lambda\}_{\lambda\in\mathbf{R}} </math>を一般化フーリエ変換と呼ぶ理由である[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=120}}。

==== 位置作用素 ====
位置作用素
: <math>X=x </math>
と<math>T\in\mathcal{S}'(\mathbf{R})</math>に対し、
: <math>X'(T)~:~ \psi\in\mathcal{S}(\mathbf{R})\mapsto \langle T,X(\psi)\rangle \in\mathbf{C} </math>
とすると、<math>X' </math>の一般化固有値{{Mvar|λ}}対する一般化固有ベクトル<math>T_{\lambda} </math>は
: <math>\lambda \langle T_{\lambda},\psi\rangle
=\langle X'(T_{\lambda}),\psi\rangle
=\langle T_{\lambda},X(\psi)\rangle
=\langle T_{\lambda},x\psi\rangle
=\langle xT_{\lambda},\psi\rangle
 </math>
を満たすので、
: <math> \lambda T_{\lambda} =xT_{\lambda}
 </math>
デルタ関数の定数倍
: <math> T_{\lambda} =c\delta(x-\lambda) </math>
がこの解になる事を簡単に確認でき、しかもこれ以外に解がない事も知られている[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=120}}。

以上の議論から<math>X_j </math>の一般化固有値{{Mvar|λ}}に対応する一般化固有空間{{Math|''E''(''λ'')}}は
: <math>E(\lambda) = \{c\delta(x-\lambda)\mid c\in \mathbf{C}\} </math>
である。これは一次元空間なので、<math>E(\lambda)\simeq \mathbf{C} </math>である。したがって<math>\psi\in\mathcal{S}(\mathbf{R})</math>に対し、
: <math display="inline">\hat{\psi}_\lambda~:~ T\in E(\lambda)\mapsto \langle T,\psi \rangle \in \mathbf{C} </math>
は、
: <math>\hat{\psi}_\lambda(c\delta(x-\lambda))=\int_{\mathbf{R}}c\delta(x-\lambda)\psi(x)\mathrm{d}x = c\psi(\lambda) </math>
である。すなわち<math>c\in \mathbf{C} \overset{\sim}{\to} c \delta(x-\lambda) </math>を<math>\psi(\lambda) </math>倍する写像である。したがって<math>X </math>に関する<math>\psi\in\mathcal{S}(\mathbf{R})</math>の一般化フーリエ変換
: <math display="inline">\hat{\psi}=\{\hat{\psi}_\lambda\}_{\lambda\in\mathbf{R}} </math>
は自然に
: <math>\{\psi(\lambda)\}_{\lambda\in\mathbf{R}} </math>
と同一視でき、これは<math>\psi</math>それ自身と同一視できる。よって<math>X </math>に関する<math>\psi\in\mathcal{S}(\mathbf{R})</math>の一般化フーリエ変換は<math>\psi</math>それ自身である。

=== スペクトル定理 ===
本節では<math>(\mathcal{H},\mathcal{G},\iota)</math>に付随するゲルファントの三つ組に対するスペクトル定理について述べる。このスペクトル定理は、<math>\mathcal{G}</math>が[[核型空間|核型]][[フレシェ空間]]、もしくはより一般に[[核型空間|核型]][[局所凸位相ベクトル空間|局所凸空間]]の場合に対して成立する[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=123,125}}。[[核型空間|核型]][[局所凸位相ベクトル空間|局所凸空間]]の定義はテクニカルなものなので、本項ではその定義について述べるのは避けるが、重要なのは以下の集合がいずれも核型局所凸空間になるという事である：
* <math>C^{\infty}_0(\Omega)</math>、ここで{{Mvar|Ω}}は{{Math|'''R'''{{sup|''d''}}}}の開集合[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=125}}
* <math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>  [[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=123}}

{{math theorem|定理|<math>\mathcal{G}</math>を核型局所凸空間であるとし、{{Mvar|A}}を<math>(\mathcal{H},\mathcal{G},\iota)</math>と両立する自己共役作用素とする。このとき、{{Mvar|A}}は<math>(\mathcal{H},\mathcal{G},\iota)</math>に対して一般化固有ベクトルの完全系を持つ。
しかも集合{{Mvar|K}}、<math>\mathcal{G}'</math>の元の[[族 (数学)|族<math>\{T_{k}(\lambda)\}_{\lambda\in\mathbb{R},k\in K}</math>]]、および有限[[ボレル測度]]の族[[族 (数学)|<math>\{\mu_{k}\}_{k\in K}</math>]]が存在し、任意の<math>\psi\in\mathcal{G}</math>に対し
: <math>\psi=\sum_{k\in K}\int_{\mathbf{R}}\langle T_{k}(\lambda),\psi\rangle T_{k}(\lambda)\mathrm{d} \mu_k(\lambda)</math>、
: <math>A \psi=\sum_{k\in K}\int_{\mathbf{R}}\lambda \langle T_{k}(\lambda),\psi\rangle T_{k}(\lambda)\mathrm{d} \mu_k(\lambda)</math>
である。さらに以下が成立する：
: <math>\|\psi\|=\sum_{k\in K}\int_{\mathbf{R}}|\langle T_{k}(\lambda),\psi\rangle|^2\mathrm{d} \mu_k(\lambda)</math>
|note='''ゲルファントの三つ組によるスペクトル定理'''[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=123,125}}}}
既に述べたように完全系は一般化フーリエ変換であるとみなせるが、このようにみなした場合最後の式は[[プランシュレルの定理]]に対応している[[#F15|<sup>F15</sup>]]{{Rp|page=123}}。

なお、スペクトル分解が固有値分解の「無限次元版」であったことを考えると、上述したスペクトル定理における積分区間を{{Math|'''R'''}}全体ではなく{{Math|''σ''(''A'')}}に置き換えたほうが自然である。しかし<math>\mathcal{G}'</math>における{{Mvar|A}}のスペクトルは<math>\mathcal{H}</math>における{{Mvar|A}}のスペクトルより大きくなる事があるので[[#A97|<sup>A97</sup>]]{{Rp|page=8}}、積分区間の{{Math|'''R'''}}を{{Math|''σ''(''A'')}}に置き換えられ'''ない'''。{{Math|'''R'''}}を{{Math|''σ''(''A'')}}に置き換えられるとき、<math>(\mathcal{H},\mathcal{G},\iota)</math>は{{Mvar|A}}に'''tightly rigging'''しているという[[#A97|<sup>A97</sup>]]{{Rp|page=8}}。

== 時間発展 ==
本節では、ポテンシャルが時間に依存しない場合に対する系の時間発展について述べる。

=== シュレディンガー方程式 ===
<math>\mathcal{H}</math>を状態空間とし、<math>\mathcal{H}</math>上の自己共役作用素{{Mvar|H}}を任意に固定し、'''ハミルトニアン'''と呼ぶことにする。量子力学では{{Mvar|H}}が<math display="inline">-\sum_{j=1}^n{\hbar \over 2m_j}\Delta_j + V(x)</math>という形で書き表せる場合を扱うが、本節の議論は{{Mvar|H}}が必ずしもこの形でなくとも成立する。

{{math theorem|定義|<math>\psi\in\mathcal{H}</math>に対し、以下の形の微分方程式を[[シュレーディンガー方程式|'''シュレディンガー方程式''']]と呼ぶ：
: <math>i\hbar{\mathrm{d}\over\mathrm{d}t}\psi(t) = H\psi(t) </math>　
: <math>\psi(0)=\psi </math>
|note='''シュレディンガー方程式'''}}

ここで微分は強微分の意味で考える。すなわち
: <math>\lim_{t\to t_0}\left\|{\psi(t)-\psi(t_0) \over t-t_0}- \chi \right\|=0 </math>
を満たす<math>\chi\in\mathcal{H}</math>が存在する時、<math>\chi</math>を{{Math|1=''t''=''t''{{sub|0}}}}における<math>\psi(t)</math>の'''強微分'''といい、
: <math>\left.{\mathrm{d}\over\mathrm{d}t}\psi(t)\right|_{t=t_0} = \chi </math>　
と書き表す。量子力学では、<math>\psi\in\mathcal{H}</math>の時間発展がシュレディンガー方程式に従う事を仮定する。

=== {{Mvar|H}}が有界作用素の場合のシュレディンガー方程式の解 ===
{{Mvar|H}}が有界作用素であれば、シュレディンガー方程式を以下のように解くことができる。まず
: <math>\mathrm{exp}\left(-{it \over \hbar} H\right) := \sum_{n=0}^\infty {1\over n!}\cdot (-{i t\over \hbar})^nH^n </math>
と定義すると、右辺が[[作用素位相|一様作用素位相]]で収束する事を{{Mvar|H}}の有界性から示すことができる[[#M16|<sup>M16</sup>]]{{Rp|page=84}}。そこで
: <math>\psi(t):=\mathrm{exp}\left(-{it \over \hbar} H\right) (\psi) </math>
と定義する。これを形式的に微分すると、
: <math>i\hbar{\mathrm{d}\over \mathrm{d} t}\psi(t)=i\hbar{\mathrm{d}\over \mathrm{d} t}\mathrm{exp}\left(-{it \over \hbar} H\right)\psi
 </math><math>=H{\mathrm{d}\over \mathrm{d} t}\mathrm{exp}\left(-{it \over \hbar} H\right)\psi
=H\psi(t) </math>
となり、シュレディンガー方程式を満たす事になる。詳細は省略するが、この形式的な議論は数学的にも正当化可能である。

しかし{{Mvar|H}}が有界作用素ではない場合はテイラー展開
: <math>\mathrm{exp}\left(-{it \over \hbar} H\right) := \sum_{n=0}^\infty {1\over n!}\cdot (-{i t\over \hbar})^nH^n </math>
は一般には意味を持たない。実際、たとえ{{Mvar|H}}が<math>\mathcal{H}</math>で稠密に定義されていたとしても<math>\mathrm{Dom}(H^2) </math>は<math>\mathcal{H}</math>で稠密になるとは限らない為、上述のテイラー展開が意味を持つ集合は非常に小さくなってしまうかもしれない。またたとえ{{Mvar|ψ}}が<math>\bigcap_n\mathrm{Dom}(H^n) </math>に入っていたとしても、<math display="inline">\sum_{n=0}^\infty {1\over n!}\cdot (-{i t\over \hbar})^nH^n\psi </math>が収束するとは限らない[[#M16|<sup>M16</sup>]]{{Rp|page=84}}。

そこで本節ではテイラー展開に頼らず<math display="inline">\mathrm{exp}\left(-{it \over \hbar} H\right) </math>を定義する'''作用素解析'''という手法を導入し、<math display="inline">\mathrm{exp}\left(-{it \over \hbar} H\right) </math>に関する'''ストーンの定理'''を導入する事で上述の問題を解決する。

=== 作用素解析 ===
<math>\mathcal{H}</math>を状態空間とし、{{Mvar|H}}を<math>\mathcal{H}</math>上の（有界とは限らない）自己共役作用素とする。スペクトル測度によるスペクトル定理より、スペクトル測度{{Mvar|μ}}が一意に存在し、<math>H=\int_{\sigma(H)} \lambda \mathrm{d}\mu </math>が成立する。

そこで[[有界]]可測関数<math>f~:~\sigma(A)\to\mathbf{C} </math>に対し、線形作用素{{Mvar|f(A)}}を
: <math>f(H):=\int_{\sigma(H)} f(\lambda) \mathrm{d}\mu </math>　
により定義する事ができる[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=141}}[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=144}}。この手法により線形作用素{{Mvar|f(A)}}を定義する手法を'''作用素解析'''[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=149}}(''operational calculus'')という。特に関数{{Mvar|f}}として指数関数を選ぶことで、
: <math>\mathrm{exp}(H):=\int_{\sigma(H)} \mathrm{exp}(\lambda) \mathrm{d}\mu </math>　
を定義できる。

=== ストーンの定理 ===
作用素解析により、
: <math>U_t:=\mathrm{exp}(itH) </math>　
と定義すると、{{Mvar|U{{sub|t}}}}はユニタリ変換であり、しかも'''準同型性'''を満たす。すなわち任意の<math>s,t\in\mathbf{R}</math>に対し、
: <math>U_tU_s=U_{t+s} </math>　
が成立する事が知られている[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=207-209}}。さらに{{Mvar|U{{sub|t}}}}は{{Mvar|t}}に関して'''強連続'''である。すなわち任意の<math>\psi\in\mathcal{H}</math>と任意の<math>t\in\mathbf{R}</math>に対し、
: <math>\lim_{s\to t}\|U_s(\psi) - U_t(\psi)\|=0 </math>　
である[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=207-209}}。

一般に<math>\mathcal{H}</math>上のユニタリ変換の族<math>\{U_t\}_{t\in\mathbf{R}} </math>で準同型性と強連続性とを満たすものを'''強連続１パラメータユニタリ群'''という[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=207}}。

実は強連続１パラメータ変換は、上述した指数関数のものに限られる事が知られている：
{{math theorem|定理|
<math>\{U_t\}_{t\in\mathbf{R}} </math>を<math>\mathcal{H}</math>上の強連続１パラメータユニタリ群とする。このとき、<math>\{U_t\}_{t\in\mathbf{R}} </math>の'''無限小生成元'''(infinitesimal generator)を
: <math>A(\psi):=\lim_{t\to 0}{1\over i}{U_t(\psi)-\psi\over t} </math>
により定義すると、<math>\mathcal{H}</math>の稠密部分集合上で上式右辺はノルム位相に関して収束する。しかも無限小生成元{{Mvar|A}}は自己共役作用素であり、任意の<math>t\in\mathbf{R}</math>に対し、
: <math>U_t:=\mathrm{exp}(itA) </math>
が成立する。
|note='''{{仮リンク|一径数ユニタリ群に関するストーンの定理|en|Stone's theorem on one-parameter unitary groups|label=ストーンの定理}}'''[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=210, 208}}}}

以上の事から、写像<math>A\mapsto\{\mathrm{exp}(itA)\}_{t\in\mathbf{R}} </math>により、<math>\mathcal{H}</math>上の自己共役作用素に強連続１パラメータ変換を対応させる事ができ、逆に<math>\{U_t\}_{t\in\mathbf{R}} </math>に対してその無限小生成元対応させる事で、強連続１パラメータ変換に自己共役作用素を対応させる事ができる。両者は逆写像の関係になっており、自己共役作用素と強連続１パラメータ変換は１対１に対応する[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=209}}：
: <math>A(\psi)=\lim_{t\to 0}{1\over i}{\mathrm{exp}(itA)(\psi)-\psi\over t} </math>

=== 一般の場合のシュレディンガー方程式の解 ===
<math>\mathcal{H}</math>を状態空間とし、{{Mvar|H}}を<math>\mathcal{H}</math>上の（有界とは限らない）自己共役作用素とする。このとき<math>\mathrm{exp}(tH) </math>を作用素解析の手法により定義し、
: <math>\psi(t):=\mathrm{exp}\left(-{it \over \hbar} H\right) (\psi) </math>
とすると次が成立する：
{{math theorem|定理|
<math>\psi(t):=\mathrm{exp}\left(-{it \over \hbar} H\right) (\psi) </math>はシュレディンガー方程式の解である[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=233}}。
}}
実際、前節で述べた事と強微分の定義から、
: <math>i\hbar{\mathrm{d}\over \mathrm{d}t}\psi(t)
</math><math>=i\hbar\lim_{t\to 0}{\mathrm{exp}\left(-{it \over \hbar} H\right) (\psi)-\psi\over t} </math><math>=H(\psi) </math>
が成立する。さらに作用素解析の定義より、
:: <math>\mathrm{exp}\left(0 H\right)  </math><math>=\int_{\sigma(H)} \mathrm{exp}(0\lambda) \mathrm{d}\mu (\psi)</math><math>=\int_{\sigma(H)}  \mathrm{d}\mu (\psi)=\mathrm{id} </math>　
である。最後の等号は作用素値積分の定義より従う。よって
: <math>\psi(0)=\mathrm{exp}\left(0 H\right) (\psi)=\psi </math>
となり、{{Math|''ψ''(''t'')}}はシュレディンガー方程式の解となる。

=== ハイゼンベルク描像 ===
これまで我々はいわゆる'''[[シュレディンガー描像]]'''で時間発展を記述してきた。すなわち任意のオブザーバブル{{Mvar|A}}は時間に関して不変であり、状態ベクトル{{Mvar|ψ}}の方が
: <math>U_t=\mathrm{exp}\left(-{it \over \hbar} H\right)  </math>
により
: <math>\psi(t)=U_t(\psi) </math>
と時間発展するとみなしてきた。一方同じ時間発展を'''[[ハイゼンベルク描像]]'''で記述することも可能である。この場合状態ベクトル{{Mvar|ψ}}は時間に対して不変であり、オブザーバブル{{Mvar|A}}の方が
: <math>A_t=U_{-t}AU_t </math>
と時間発展するとみなせる。

==== ハイゼンベルクの運動方程式 ====
{{Mvar|H}}を<math>\mathcal{H}</math>上の自己共役作用素とし、{{Mvar|A}}を<math>\mathcal{H}</math>上の自己共役作用素で、
: <math>A(\mathrm{Dom}(H))\subset \mathrm{Dom}(H) </math>
を満たすものとし、
: <math>\psi\in \mathrm{Dom}(H) </math>
を取り、
: <math>A_t=U_{-t}AU_t </math>、ここで<math>U_t=\mathrm{exp}\left(-{it \over \hbar} H\right)  </math>
とすると、これまでの議論から、<math>A_t(\psi)\in \mathrm{Dom}(H) </math>が任意の<math>t\in\mathbf{R} </math>に対して成立し、しかも
: <math>{\mathrm{d}A_t(\psi) \over \mathrm{d}t}=[H,A_t](\psi) </math>
が成立する事が示せる[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=239}}。ここで上式左辺の時間微分は強微分である[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=239}}。

一般に自己共役作用素の族<math>\{B_t\}_{t\in\mathbf{R}} </math>と、<math>\mathcal{H}</math>の元{{Mvar|ψ}}に対し、
: <math>{\mathrm{d}B_t(\psi) \over \mathrm{d}t}=[H,B_t](\psi) </math>
という形の<math>\{B_t\}_{t\in\mathbf{R}} </math>に関する方程式を'''[[ハイゼンベルクの運動方程式]]'''という[[#新井|<sup>新井</sup>]]{{Rp|page=239}}。上述した<math>A_t </math>に関する議論は、ハイゼンベルクの運動方程式の解が存在する十分条件を示した事になる。

== ネーターの定理 ==

=== １変数の場合 ===
<math>\mathcal{H}</math>を状態空間とし、<math>\mathcal{H}</math>上の（有界とは限らない）自己共役作用素{{Mvar|H}}をハミルトニアンとして固定し、
: <math>U_t=\mathrm{exp}\left(-{it \over \hbar} H\right)  </math>
とする。

<math>\{V_s\}_{s\in\mathbf{R}} </math>を強連続１パラメータユニタリ変換群とし、{{Mvar|A}}をその無限小生成元とする。

このとき以下が成立する：
{{math theorem|定理|
次の３つは同値である[[#M16|<sup>M16</sup>]]{{Rp|page=86}}：
# 任意の<math>s\in\mathbf{R} </math>に対し<math>V_{-s}HV_s=H </math>
# 任意の<math>t\in\mathbf{R} </math>に対し<math>U_{-t}AU_t=A </math>
# 任意の<math>s,t\in\mathbf{R} </math>に対し<math>U_tV_s=V_sU_t </math>
|note='''ネーターの定理'''}}

これは以下に述べる理由により量子力学における'''[[ネーターの定理]]'''[[#M16|<sup>M16</sup>]]{{Rp|page=86}}であるとみなせる。

まず最初の条件<math>V_{-s}HV_s=H </math>は、ハミルトニアン{{Mvar|H}}が強連続１パラメータユニタリ変換群<math>\{V_s\}_{s\in\mathbf{R}} </math>に対して不変である事を示している。すなわち、{{Mvar|H}}によって記述される系は'''対称性'''<math>\{V_s\}_{s\in\mathbf{R}} </math>を持つ。

一方２番目の条件は<math>U_{-t}AU_t=A </math>の左辺はハイゼンベルク描像で見たときの{{Mvar|A}}の時間発展であるので、この条件は対称性<math>\{V_s\}_{s\in\mathbf{R}} </math>を定義する無限小生成元が'''運動の不変量'''である事を意味している。

[[解析力学]]におけるネーターの定理は系の対称性の無限小変換が運動の不変量になり、その逆も成り立つというものだったので、上述した２条件の同値性は量子力学におけるネーターの定理であると解釈できる。なお３番目の条件は、時間発展してから対称性<math>V_s </math>で系を動かす行為と、対称性<math>V_s </math>で系を動かしてから時間発展する事とが同一である事を意味している。

なお、ほとんどの物理の教科書では、上述した量子力学におけるネーターの定理を時間微分と交換子を用いて記述しているが[[#M16|<sup>M16</sup>]]{{Rp|page=86}}、そのような記述方法は作用素の定義域に関する多くの問題点を含む[[#M16|<sup>M16</sup>]]{{Rp|page=86}}。

=== 一般の場合 ===
<math>\mathcal{H}</math>上のユニタリ変換全体の集合を<math>\mathcal{U}(\mathcal{H})</math>と表記すると、強連続１パラメータユニタリ変換群<math>\{V_s\}_{s\in\mathbf{R}} </math>は実数にユニタリ変換を対応させる準同型写像
: <math>s\in\mathbf{R} \mapsto V_s \in \mathcal{U}(\mathcal{H}) </math>
とみなす事ができる。[[解析力学]]におけるネーターの定理はこうした実数からの写像だけでなく、一般の有限次元[[リー群]]からの写像に対しても成立していた。そこで本節では量子力学における有限次元[[リー群]]のネーターの定理を見出す。有限次元[[リー群]]{{Mvar|G}}から<math>\mathcal{U}(\mathcal{H})</math>への写像
: <math>\Pi ~:~G \to \mathcal{U}(\mathcal{H}) </math>
で準同型性
: <math>\forall g,h\in G~:~\Pi(gh)=\Pi(g)\Pi(h) </math>
と'''強連続性'''
: <math>\forall \{g_n\}_{n\in\mathbf{N}} \subset G ~\forall g \in g~:~ </math><math>\lim_{n\to \infty}g_n= g \Rightarrow \lim_{n\to\infty}\|\Pi(g_n)-\Pi(g)\|=0 </math>
とを満たすものを{{Mvar|G}}の<math>\mathcal{H}</math>上の'''[[ユニタリ表現]]'''という[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=360}}。なおここで「強」連続と呼ぶのは、[[弱位相]]における連続性と区別するためである。

<math>\mathfrak{g}</math>を{{Mvar|G}}の[[リー環]]とし、{{Mvar|X}}を<math>\mathfrak{g}</math>の元とする時、
: <math>V_s:=\Pi(\mathrm{exp}(sX)) </math>
とすると（上式のexpはリー環の元にリー群の元を対応させる写像である）、<math>\{V_s\}_{s\in\mathbf{R}} </math>は強連続１パラメータユニタリ変換群になるので、ストーンの定理より、
: <math>\Pi(\mathrm{exp}(sX))=\mathrm{exp}(itA_X) </math>
を満たす自己共役作用素{{Mvar|A{{sub|X}}}}が存在する（ここで左辺のexpは前述の通りリー環の元にリー群の元を対応させる写像、右辺のexpは自己共役作用素に1パラメータ変換を対応させる写像）。よって<math>\mathfrak{g}</math>の元に自己共役作用素を対応させる写像
: <math>\pi ~:~ X\in\mathfrak{g} \mapsto A_X </math>
が定義可能である。

<math>\mathcal{H}</math>上の自己共役作用素{{Mvar|H}}をハミルトニアンとして固定し、
: <math>U_t=\mathrm{exp}\left(-{it \over \hbar} H\right)  </math>
とすると、強連続１パラメータユニタリ変換群に関するネーターの定理から、以下の３つは同値である：
# 任意の<math>s\in\mathbf{R} </math>に対し<math>V_{-s}HV_s=H </math>
# 任意の<math>t\in\mathbf{R} </math>に対し<math>U_{-t}\pi(X)U_t=\pi(X) </math>
# 任意の<math>s,t\in\mathbf{R} </math>に対し<math>U_tV_s=V_sU_t </math>
これが一般のリー群に関するネーターの定理であるが、強連続１パラメータユニタリ変換群に関するネーターの定理と違い、さらに<math>\mathfrak{g}</math>の[[リー代数|リー括弧]]に関しても、以下の性質が言える事である[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=360}}：
{{math theorem|定理|
: <math>\forall X,Y\in\mathfrak{g}~:~\pi([X,Y])=i[\pi(X),\pi(Y)] </math>
}}
なお、自己共役作用素の括弧積
: <math>[A,B]:=AB-BA </math>
は<math>\mathrm{Dom}(A)\cap \mathrm{Dom}(B) </math>が<math>\mathcal{H}</math>の稠密部分集合になる場合にしか自己共役作用素ならないが、<math>\mathcal{H}</math>のユニタリ表現の場合には
: <math>\forall D\in\mathfrak{g}~:~ W \subset \mathrm{Dom}(\pi(X)) </math>
を満たす<math>\mathcal{H}</math>の稠密部分集合{{Mvar|D}}が必ず存在する事が知られているので、括弧積は必ず自己共役作用素となる[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=360}}。

== フォン・ノイマンの一意性定理 ==
位置作用素<math>Q_j(\psi):=x_j \cdot \psi</math>と運動量作用素<math>P_j(\psi)=-i\hbar{\partial\over \partial x_j}(\psi) </math>は、状態空間<math>\mathcal{H}=L^2(\mathbf{R}^d)</math>の稠密部分集合<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>で定義された作用素である。よってこれらの交換子も<math>\mathcal{H}</math>の稠密部分集合<math>\mathcal{S}(\mathbf{R}^d)</math>上で定義可能であり、以下の関係式（[[交換関係 (量子力学)|'''正準交換関係''']]）を満たす。ここで{{Mvar|I}}は単位行列であり、<math>\delta_{j,k} </math>は[[クロネッカーのデルタ]]である：
: <math>\forall j,k=1,\ldots,d~:~[Q_j,P_k]=i\hbar\delta_{j,k}I, \quad </math><math>[Q_j,Q_k]=0, \quad [P_j,P_k]=0 </math>
なお[[連続線形拡張|BLT定理]]より、これらの交換子は<math>\mathcal{H}</math>の全域に拡張可能であり、上式は<math>\mathcal{H}</math>の全域で成立する。

'''{{仮リンク|フォン・ノイマンの一意性定理|en|Stone–von Neumann theorem}}'''[[#新井|<sup>新井</sup>]]'''{{Rp|page=230}}'''（「'''ストーン＝フォン・ノイマンの定理'''」とも[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=286}}）は、正準交換関係のやや強いバージョンである「ヴァイルの関係式」を満たす有限個の「既約な」作用素の組は同型を除いて、位置作用素と運動量作用素に限られるというものである。

なお、フォン・ノイマンの一意性定理を示すには、「ヴァイルの関係式」をはじめとした正準交換関係よりも強い仮定を課す事が必須であり、'''正準交換関係を満たすにもかかわらずフォン・ノイマンの一意性定理が成立しない反例で、物理的にも興味深い例が存在する'''[[#新井|<sup>新井</sup>]]'''{{Rp|page=230}}'''。

=== 定義 ===
フォン・ノイマンの一意性定理を定式化するために必要な概念を定義する。

==== ヴァイルの関係式 ====
<math>\mathcal{H}</math>上の自己共役作用素<math>A_j,B_k\quad j,k=1,\ldots,d
 </math>に対し、正準交換関係を指数関数の上に乗せた下記の式を'''ヴァイルの関係式'''という[[#新井|<sup>新井</sup>]]'''{{Rp|page=230}}'''[[#H13|<sup>H13</sup>]]'''{{Rp|page=284}}'''：
: <math>\forall j,k=1,\ldots,d,\forall s,t\in\mathbf{R}~:~
 </math>
: <math>\mathrm{exp}(-is A_j)
\mathrm{exp}(-it B_k)
\mathrm{exp}(is A_j)
\mathrm{exp}(it B_j)
=\mathrm{exp}(i\hbar\delta_{j,k}), </math>
: <math>\mathrm{exp}(-is A_j)
\mathrm{exp}(-it A_k)
\mathrm{exp}(is A_j)
\mathrm{exp}(it A_j)
=I, </math>
: <math>\mathrm{exp}(-is B_j)
\mathrm{exp}(-it B_k)
\mathrm{exp}(is B_j)
\mathrm{exp}(it B_j)
=I. </math>
通常の正準交換関係の場合には、<math>A_j,B_k
 </math>の定義域の共通部分が<math>\mathcal{H}</math>で稠密でないとそもそも交換子が定義できないという問題を抱えていたが、ヴァイルの関係式の場合、<math>A_j,B_k
 </math>を指数関数の上に乗せた結果出来上がるユニタリ変換を取り扱っており、しかも[[連続線形拡張|BLT定理]]よりこれらのユニタリ変換の定義域は<math>\mathcal{H}</math>全体であるので、こうした定義域の問題は起こらない。

正準交換関係をヴァイル関係式で表す事を、正準交換関係の'''ヴァイル表現'''という。なお、一般には通常の正準交換関係よりもヴァイルの関係式の方が強い制約条件であり、両者は同値ではない。

==== 規約性 ====
<math>\mathcal{H}</math>上の自己共役作用素<math>A_j,B_k\quad j,k=1,\ldots,d
 </math>が'''ヴァイル表現として規約'''であるとは、<math>\mathrm{exp}(isA_j),\mathrm{exp}(itB_k)\quad j,k=1,\ldots,d,~s,t\in\mathbf{R}
 </math>の共通の不変真部分閉空間が<math>\{0\} </math>のみである事をいう。すなわち閉部分空間<math>\mathcal{K}\subsetneq \mathcal{H}</math>が
: <math>\forall j,k=1,\ldots,d~\forall s,t\in\mathbf{R}~:~\mathrm{exp}(is A_j)(\mathcal{K})\subset\mathcal{K}, \quad </math><math>\mathrm{exp}(it B_k)(\mathcal{K})\subset\mathcal{K} </math>
をみたすなら
: <math>\mathcal{K}=\{0\} </math>
である事をいう。

=== 定理 ===
次の事実を'''フォン・ノイマンの一意性定理'''という：
{{math theorem|定理|
<math>\mathcal{H}=L^2(\mathbf{R}^d)</math>上の自己共役作用素<math>A_j,B_k\quad j,k=1,\ldots,d
 </math>がヴァイルの関係式を満たし、しかもヴァイル表現として規約であれば、以下を満たす<math>\mathcal{H}</math>上のユニタリ作用素{{Mvar|U}}が存在する：
: <math>\forall j,k=1,\ldots,d~\forall s,t\in\mathbf{R}~:~ </math><math>U\mathrm{exp}(isA_j)U^{-1}=\mathrm{exp}(isQ_j),\quad </math><math>U\mathrm{exp}(itB_j)U^{-1}=\mathrm{exp}(itP_j). </math>
しかも{{Mvar|U}}は絶対値1の複素数倍を除いて一意である。
|note='''フォン・ノイマンの一意性定理'''[[#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=286-287}}}}

=== ハイゼンベルク群による表現 ===
フォン・ノイマンの一意性定理は、量子力学に重要なリー群である'''[[ハイゼンベルク群]]'''を用いる事でより簡潔に表現できる。

==== ハイゼンベルク群 ====
{{Mvar|d}}次のハイゼンベルク群とは、
: <math>\mathbf{H}_d=\mathbf{R}^d\times \mathbf{R}^d\times \mathbf{R}</math>
に以下のような積を入れる事で定義される[[リー群]]である[[#W|<sup>W</sup>]]'''{{Rp|page=1-3}}'''：
: <math>(\mathbf{p},\mathbf{q},c)\cdot(\mathbf{p}',\mathbf{q}',c'):=(\mathbf{p}+\mathbf{p}',\mathbf{q}+\mathbf{q}',c+c'+{1\over 2}(\mathbf{p}\mathbf{q}'-\mathbf{q}\mathbf{p}'))</math>
ここで<math>\mathbf{p}\mathbf{q}'</math>、<math>\mathbf{q}\mathbf{p}'</math>は<math>\mathbf{R}^d</math>上の内積である。

==== ハイゼンベルクリー環 ====
ハイゼンベルク群が量子力学で重要なのは、対応するリー環（'''ハイゼンベルクリー環'''）が正準交換関係（で<math>\hbar=1</math>にしたもの）を満たすからである。すなわち、{{Mvar|d}}次のハイゼンベルクリー環は、
: <math>\mathfrak{h}_d=\mathbf{R}^d\times \mathbf{R}^d\times \mathbf{R}</math>
と表記でき、{{Mvar|1=j=1,…,d}}のとき、{{Mvar|1=j=d+1,…,2d}}のとき、{{Mvar|1=j=2d+1}}のときそれぞれ、座標軸<math>(0,\ldots,0,\overset{j}{\check{1}},0,\ldots,0)</math>の事を<math>\vec{P}_j</math>、<math>\vec{Q}_j</math>、<math>\vec{I}</math>と書くと、これらの[[リー代数|リー・ブラケット]]は
: <math>\forall j,k=1,\ldots,d~:~[\vec{Q}_j,\vec{P}_k]=\delta_{j,k}\vec{I}, \quad </math><math>[\vec{Q}_j,\vec{Q}_k]=0, \quad [\vec{P}_j,\vec{P}_k]=0 </math>
を満たす[[#W|<sup>W</sup>]]'''{{Rp|page=1-3}}'''。

==== ハイゼンベルク群によるフォン・ノイマンの一意性定理 ====
まずフォン・ノイマンの一意性定理の仮定をハイゼンベルク群を用いて表現する。<math>\mathcal{H} </math>をヒルベルト空間とし、<math>\mathcal{U}(\mathcal{H}) </math>を<math>\mathcal{H} </math>上のユニタリ作用素全体の集合とする。
: <math>\Pi ~:~\mathbf{H}_d \to \mathcal{U}(\mathcal{H}) </math>
を
: <math>\Pi(\vec{I})=i\hbar I </math>
を満たす強連続な写像とし、さらに
: <math>A_j:=\Pi(\vec{Q}_j),\quad B_j:=\Pi(\vec{P}_j) </math>
とする。するとフォン・ノイマンの一意性定理の条件であるヴァイルの関係式は、{{Mvar|Π}}が準同型である事を意味している。すなわちヴァイルの関係式を満たす{{Mvar|Π}}はハイゼンベルク群の強連続なユニタリ表現である。このように見た時、ヴァイル表現に関する規約性の条件は、このヴァイル表現が規約である事と同値である。なお、ハイゼンベルク群のニタリ表現の事を'''シュレディンガー表現'''という[[#Z13|<sup>Z13</sup>]]'''{{Rp|page=3}}'''。

一方、フォン・ノイマンの一意性定理の結論部分は、このユニタリ表現が同型を除いて一意であり、その唯一のユニタリ表現による<math>\vec{Q}_j,~\vec{P}_k </math>の像がそれぞれ

まとめると、以下の結論が得られる[[#W|<sup>W</sup>]]'''{{Rp|page=3}}'''：
{{math theorem|定理|
強連続なシュレディンガー表現
: <math>\Pi ~:~\mathbf{H}_d \to \mathcal{U}(\mathcal{H}) </math>
で
: <math>\Pi(\vec{I})=i\hbar I </math>
を満たすものは、同型を除いて１つしか存在しない。必要なら{{Mvar|Π}}を同型なものと取り替えると、
: <math>Q_j:=\Pi(\vec{Q}_j),\quad P_j:=\Pi(\vec{P}_j) </math>
が成立する。ここで<math>Q_j </math>、<math>P_j </math>はそれぞれ位置作用素、運動量作用素である。
}}

=== Mackeyの定理 ===
Mackeyはより弱い条件のもとフォン・ノイマンの一意性定理を示している[[#M16|<sup>M16</sup>]]{{Rp|page=94-95}}：
{{math theorem|定理|
<math>\mathcal{H}</math>を可分とは限らないヒルベルト空間とし、<math>\mathcal{H}</math>上の自己共役作用素<math>A_j,B_k\quad j,k=1,\ldots,d
 </math>と<math>\mathcal{H}</math>の稠密部分集合{{Mvar|D}}が以下の４条件をすべて満たしているとする。
# {{Mvar|D}}は<math>A_j,B_k\quad j,k=1,\ldots,d
 </math>で不変である。すなわち<math>A_j(D)\subset D </math>、<math>B_j(D)\subset D </math><math>~~\forall j,k=1,\ldots,d
 </math>を満たす。
# ({{Mvar|D}}'''上の正準交換関係''')<math>\forall j,k=1,\ldots,d~\forall \psi\in D~:~[A_j,B_k]\psi=i\hbar\delta_{j,k}\psi, \quad </math><math>[A_j,A_k]\psi=0, \quad [B_j,B_k]\psi=0 </math>
# ('''規約性''') <math>A_j(\mathcal{K}\cap \mathrm{Dom}(A_j))\subset \mathcal{K},\quad </math><math>B_k(\mathcal{K}\cap \mathrm{Dom}(B_k))\subset \mathcal{K} </math>が任意の<math>j,k=1,\ldots,d </math>に対して成立する閉部分空間<math>\mathcal{K}\subsetneq \mathcal{H}</math>は<math>\mathcal{K}=\{0\}</math>に限る。
# <math>\sum_{j=1}^d A_j{}^2|_D + B_j{}^2|_D </math>は本質的に自己共役である
このとき、同型写像
: <math>U~:~\mathcal{H}\to L^2(\mathbf{R}^d) </math>
が存在し、
: <math>\forall j,k=1,\ldots,d~:~ </math><math>UA_jU^{-1}=Q_j,\quad </math><math>UB_jU^{-1}=P_j. </math>

よって特に、（可分性を仮定しなかったにもかかわらず）<math>\mathcal{H}</math>が可分である事が従う。
|note='''Mackeyの定理'''}}

== 注釈 ==
<references group="注" />

== 参考文献 ==

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* [A97] {{Cite web|url=http://citeseerx.ist.psu.edu/viewdoc/summary?doi=10.1.1.47.6573|title=Quantum Mechanics beyond Hilbert space|accessdate=2017年2月9日|author=J. P. Antoine (所属：[[ルーヴァン・カトリック大学]])|format=pdf|publisher=CiteSeerX|ref=A97}}appearing in ''Irreversibility and Causality, Semigroups and Rigged Hilbert Spaces'', Arno Bohm, Heinz-Dietrich Doebner, Piotr Kielanowski, eds., Springer-Verlag.
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* [H13] {{Cite book|ref=H13|author=Brian C.Hall|title=Quantum Theory for Mathematicians|series=Graduate Texts in Mathematics 267|date=2013/7/1|year=|publisher=Springer}}
* [K12] {{Cite book|ref=K12|author=Konrad Schmüdgen|title=Unbounded Self-adjoint Operators on Hilbert Space|series=Graduate Texts in Mathematics 265|year=2012|publisher=Springer}}
* [L04]{{Cite web|url=http://www.math.kun.nl/~landsman/HSQM2006.pdf|title=Lecture Notes on Hilbert Spaces and Quantum Mechanics|accessdate=2017年3月8日|author=N.P. Landsman|date=2004/12/20|format=pdf|publisher=[[ラドバウド大学]]|ref=L04}}
* [M07]{{Cite web|url=http://math.mit.edu/~rbm/iml/Chapter1.pdf|title=Tempered distributions and the Fourier transform|accessdate=2017年3月8日|author=Richard Melrose|date=2007/12/15|format=pdf|work=Introduction to Microlocal Analysis|publisher=Massachusetts Institute of Technology|ref=M07}}
* [M66] {{Cite web|url=http://streaming.ictp.trieste.it/preprints/P/66/012.pdf|title=General Eigenfunction Expansions And Group Representations|accessdate=2017年2月9日|author=K. Maurin|year=1966|format=pdf|publisher=[[国際理論物理学センター|ICTP]]|ref=M66}}
* [M16] {{Cite web|url=https://arxiv.org/abs/1508.06951|title=Mathematical Foundations of Quantum Mechanics: An Advanced Short Course|accessdate=2017年2月9日|author=Valter Moretti|date=2016/7/4|format=pdf|publisher=arXiv|ref=M16}}
* [P01] {{Cite web|url=http://www.math.nsysu.edu.tw/~amen/posters/preprints.html|title=Introduction to spectral theory of Schr&Ouml;ndinger operators|accessdate=2017年2月9日|author=A. Pankov|date=2001/12/07|format=pdf|publisher=Applied Mathematics E-Notes Bulletin Board|ref=P01}}
* [S12] {{Cite web|url=http://www.math.kit.edu/iana3/~schnaubelt/media/st-skript.pdf|title=Lecture Notes Spectral Theory|accessdate=2017年2月9日|author=Roland Schnaubelt|date=2012/8/6|format=pdf|publisher=[[カールスルーエ工科大学]]|ref=S12}}
* [W]{{Cite web|url=http://www.math.columbia.edu/~woit/notes20.pdf|title=Topics in Representation Theory: The Heisenberg Algebra|accessdate=2017年7月26日|author=Peter Woit|format=pdf|publisher=[[コロンビア大学]]|ref=W}}
* [Z13] {{Cite web|url=https://pcmi.ias.edu/2013GSSLectNotes|title=HEISENBERG GROUP|accessdate=2017年7月26日|author=Steve Zelditch (Northwestern University)|format=pdf|publisher=[[プリンストン高等研究所]]|ref=Z13|year=2013|work=2013 Graduate Summer School Program Lecture Notes}}

{{量子力学}}

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[[Category:量子力学|*]]