論理形式
論理学において、言明の論理形式(ろんりけいしき、テンプレート:Lang-en-short)とは、その言明の形式体系における精密に規定された意味論的な版である。非形式的に言えば、論理形式は、曖昧でありうる言明を、ある形式体系に関して精密で曖昧さのない論理的解釈を持つ言明へと形式化しようとする。理想的な形式言語においては、論理形式の意味は統語のみから曖昧さなく決定されうる。論理形式は意味論的な構築物であって統語的なものではない。それゆえ、ある言語において同じ論理形式を表す文字列は複数存在しうる[1]。
論証の論理形式は、その論証の論証形式(テンプレート:Lang-en-short)と呼ばれる。
歴史
論理学にとっての形式という概念の重要性は、すでに古代において認識されていた。アリストテレスは、『分析論前書』において、妥当な推論を表すために変項文字を用いた最初の人物の一人であったテンプレート:要出典。それゆえヤン・ウカシェヴィチは、変項の導入が「アリストテレスの最大の発明の一つ」であると主張するテンプレート:要出典。
アンモニオスのようなアリストテレスの後継者たちによれば、図式的な用語で述べられた論理的原理のみが論理学に属するのであって、具体的な用語で与えられたものは属さない。具体的な用語人間、死すべきなどは、図式的なプレースホルダーA、B、Cの代入値に類比的であり、これらは論証の「素材」(ギリシア語 hyle、ラテン語 materia)と呼ばれた。
「論理形式」という用語そのものは、1914年にバートランド・ラッセルによって、自然言語と推論を形式化する彼の計画——彼が哲学的論理学と呼んだもの——の文脈において導入された。ラッセルはこう書いている。「論理形式についての何らかの知識は、ほとんどの人々にとっては明示的ではないものの、談話のあらゆる理解に関与している。この知識をその具体的な外皮から抽出し、それを明示的かつ純粋なものにすることが、哲学的論理学の仕事である」[2][3]。
論証形式の例
論証の形式という重要な観念を示すために、元の論証における文全体を通じて、類似の項目を文字で置き換える。
- 元の論証
- すべての人間は死すべきものである。
- ソクラテスは人間である。
- それゆえ、ソクラテスは死すべきものである。
- 論証形式
- すべての H は M である。
- S は H である。
- それゆえ、S は M である。
論証形式においてなされたのは、人間(human および humans)を H に、死すべき(mortal)を M に、ソクラテス(Socrates)を S に置き換えることだけである。結果として得られるのが、元の論証の形式である。さらに、論証形式の各個別の文は、元の論証におけるそれぞれの文の文形式である[4]。
論証形式の重要性
論証と文の形式に注意が向けられるのは、形式こそが論証を妥当ないし説得力あるものにするものだからである。すべての論理形式の論証は帰納的であるか演繹的であるかのいずれかである。帰納的な論理形式には、帰納的一般化、統計的論証、因果論証、類推による論証が含まれる。一般的な演繹的論証形式は、仮言三段論法、定言三段論法、定義による論証、数学に基づく論証、定義からの論証である。最も信頼できる論理の形式はモーダスポネンス、モーダストレンス、連鎖論証である。なぜなら、論証の前提が真であれば、結論が必然的に帰結するからである[5]。二つの妥当でない論証形式が後件肯定と前件否定である。
- 後件肯定
- すべての犬は動物である。
- ココは動物である。
- それゆえ、ココは犬である。
- 前件否定
- すべての猫は動物である。
- ミッシーは猫ではない。
- それゆえ、ミッシーは動物ではない。
文の順序づけられた集合とみなされる論理的論証は、それを構成する文の形式から導かれる論理形式を持つ。論証の論理形式は論証形式と呼ばれることがある[6]。一部の著者は、論証の図式ないし推論的構造として、論証全体に関してのみ論理形式を定義する[7]。論証理論ないし非形式論理においては、論証形式は論理形式より広い観念とみなされることがある[8]。
それは、文からあらゆる見せかけの文法的特徴(性や受動態など)を取り除き、論証の主題に固有のあらゆる表現を図式変項で置き換えることからなる。こうして、例えば「すべての A は B である」という表現は、「すべての人間は死すべきものである」「すべての猫は肉食である」「すべてのギリシア人は哲学者である」などの文に共通する論理形式を示している。
現代論理学における論理形式
現代の形式論理学と伝統的な、ないしアリストテレス論理学との根本的な違いは、それらが扱う文の論理形式についての分析の違いにある。
- 伝統的な見方では、文の形式は次のものからなる。(1) 主語(例えば「人間」)に量の記号(「すべての」「ある」「いかなる〜もない」)を加えたもの、(2) 「である」ないし「でない」という形をとる繋辞、(3) 述語(例えば「死すべき」)。こうして「すべての人間は死すべきものである」となる。「すべての」「いかなる〜もない」などの論理定項に、「かつ」「または」のような文結合子を加えたものは、共義的な項(ギリシア語の kategorei——述語づける——と syn——〜とともに——から)と呼ばれた。これは固定された図式であり、各判断は特定の量と繋辞を持ち、それが文の論理形式を決定する。
- 現代の見方はより複雑である。アリストテレスの体系における単一の判断が、二つ以上の論理結合子を含むからである。例えば「すべての人間は死すべきものである」という文は、名辞論理においては二つの非論理的な項「人間である」(ここでは M)と「死すべきである」(ここでは D)を含み、文は判断 A(M,D) によって与えられる。述語論理においては、文は同じ二つの非論理的概念を含み、ここでは と として分析され、文は全称量化と含意の論理結合子を含む によって与えられる。
より複雑な現代の見方には、より大きな力が伴う。現代の見方では、単純な文の根本的な形式は、自然言語のような再帰的な図式によって与えられ、論理結合子を含む。論理結合子は併置によって他の文に結合され、その文もまた論理構造を持ちうる。中世の論理学者は多重一般性の問題を認識していた。これは、アリストテレス論理学が「ある男たちはあらゆる幸運を持つ」のような文を満足に表現できない問題である。なぜなら、推論において「すべての」と「ある」の両方の量が関連しうるのに、アリストテレスが用いた固定された図式では一方のみしか推論を統御することを許さないからである。言語学者が自然言語における再帰的構造を認識するのとちょうど同様に、論理にも再帰的構造が必要であるように思われる。
自然言語処理における論理形式
意味解析においては、自然言語の言明が、その意味を表す論理形式へと変換される[9]。
関連項目
- テンプレート:Annotated link
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- 意味論的論証
- 妥当な論証形式の一覧
出典
関連文献
外部リンク
- テンプレート:PhilPapers
- テンプレート:InPho
- テンプレート:Cite SEP
- Beaney, Michael, "Analysis", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Summer 2009 Edition), Edward N. Zalta (ed.)
- ↑ The Cambridge Dictionary of Philosophy, CUP 1999, pp. 511–512
- ↑ Russell, Bertrand. 1914(1993). Our Knowledge of the External World: as a field for scientific method in philosophy. New York: Routledge. p. 53
- ↑ テンプレート:Cite book preprint
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